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ふしぎ体験(12)「番外編」

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この度「人生二大ふしぎ体験」を改めて振り返り、敢えてブログに書いて見ましたのは、1月10日の記事、覚醒体験後(18)「在りたい自分??」、           ↓ https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2021/01/18_10.html   「在りたい自分」ですね。これをハッキリさせましょう!という目的がありました。   書いている最中、   ふしぎ体験→大きな気づきから、なに?!もう10年以上経ってるつーのに、全然進歩が、・・・おっとー!!、またしても自己ジャッジの悪癖が蘇ったり💦。   過去生については心の整理がとっくについていると思っていたら、書きながら震え出したり涙が出てきたり、感想を寄せてくれた読者の方(心の友人でもある)の愛情溢れる言葉にまた涙したり。心があらためて浄化し、やっと重荷を手放すことができなような。   まあこのように、🐢よりも遅い歩みで、高校時代の下校時よりフラフラ寄り道しつつも、確実に着実に前進中ではないか、と!👍👍👍     そして「在りたい自分」も、ここへ来て更に明確になってきました。✨ 3日ほど前に、わーっと浮かんできた言葉を、以下シェアさせて頂きたいと思います。m(__)m       在りたい自分は、既にそうである自分。宇宙の一部、であること。   それ以上でも以下でもない自分を、宇宙にただ明け渡せば、恐れ、不安、疑いは自ずと消えて行く。 すべてと一つであることをいつも思い出せば、本来の自分が蘇る。   その本質であるところの、愛で在りつづけ、愛を伝え、愛を広げるためだけに生きよう。 それがまったく出来ない自分にこそ、最上の愛を捧げよう。   軽やかな心で、上昇下降を繰り返す人生の波に乗り、気付き、出会い、思わぬ展開を楽しみ、 心配せずに信頼し、「今ここ」を味わい、日々の小さなことを慈しめば、   限りなく豊かな最高の人生を、私はもう送っている。         <a href="https://pixabay.com/photos/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=1023340"

ふしぎ体験(11)「スマトラ島にて③最終回」

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ふしぎ体験(10)「スマトラ島にて②」のつづきです。   そして、この「過去生体験」は、それ以上深追いすることもなく、そのままになっていました。   そして、2008年のこと。   ベルギーに移住してから8年が経ち生活には慣れたものの、40代半ばだった私は若いころのように無理が効かなくなってきており、身体中を連鎖反応のように壊した時期でもありました。 翌年の2009年にはノルマンディー・ふしぎ体験もあり、ちょうど人生の転機に来ていたようです。   さて、2008年。ふと、また過去生体験を思い出し、よく分からないままだった「自然を敬え」が、気になり始めました。   これは、「傲慢になるな」より、もっともっと深いメッセージなのではないか?   スマトラ島での私は、自然と共に生きていたはずだった。いったい、どんな自然を敬っていなかったというのだろう?   ・・・。   自分、だ。   最も身近な自然の一部、自分!   自分を、在るがままの自分を、ダメな自分を、過ちをおかす自分を、 最低の自分を、ゆるし、認め、更には敬いなさい、と言うことだったんだ! それがしっかり出来れば、自然の法則である「すべてとの調和」が、自ずと整いますよ、と!   人は脳が発達して自意識が芽生え、「私は何故生きているのか?」「私は存在に値するのか?」など考えるようになり、自分で自分を認めるのが難しく、他人に認めてもらおうとするようになった。   だからいつも自分をチェックし、完璧に近づこうとし、歳を取ることも、病気になることも、失敗することも、出来ていたことが出来なくなるのも許せない。   でもそれが他の人なら、例えば親友なら、歳を取っても何が出来なくなっても親友としての価値はまるで変わらないのに、 それが自分だと変わってしまう。   親友なら、例え彼(彼女)がスマトラ島の私のような過ちを犯したとしても、「自分を責めつくして自殺しなさい」なんて間違っても言わないはず!   自分を親友のように、ゆるし、認め、敬えばよかった。それこそが自然な在り方で、「自然を敬え」は、きっとそのことだったんだ!   自然に在れば、すべてとの調和は自ずと蘇り、超自意識過剰な私も固執から解き放たれ、真実が見え、正直になれ、深い感謝と共に揺るぎない調和の世界を築いていくことができたろう。   そしてそれこそが、真の「償い」な

ふしぎ体験(10)「スマトラ島にて②」

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 ふしぎ体験(9)「スマトラ島にて①」のつづきです。   ところが遂に大失敗! 私のいいかげんな「予言」がもとで、一人の子供が、なんと死に至ってしまう!   ・・・しかし、どういうわけだろう?! そんな事態にもかかわらず、人々は私にとってあまりにも都合のいい解釈をし、私を信頼し続けるのだ!!   どうしたらいい? 先に進めなくなってしまった。正直に話す? これまでついた嘘をすべて? 自分の罪は自分で被ろう、でも人々の怒りは、私の家族にまで及びはしないか? 食事も喉を通らず、誰にもこの葛藤を打ち明けられず、ますます痩せ細っていく。 「病気かい? 早く良くなっておくれ」「あの薬草が良いよ。私が取って来て上げる」みんなが心配し、励ましてくれる。つらい。非難され憎まれたほうがどんなに楽か。   恋人とはすでに別れている。こんな嘘と邪心にまみれた心の暗闇に、透明な光に満ちた彼を引きこみたくなかった。理由も分からず突き放された彼の悲しい顔が、いつまでも脳裏に焼き付いている。   そして私が選んだ道は、誰にも何も話さず、閉ざした心を罪悪感と自己非難で埋め尽くし、 身体は栄養失調と衰弱に任せて、じわじわと死んでいくことだった。 なかなか簡単に死に至るものではなく、沈痛な年月が流れる。 ある日、フラフラの身体を押して、吸い寄せられるように山に登る。 やっとの思いで頂上にたどり着き、向かいの山の見事な滝が見渡せる、大好きな風景をもう一度目の当たりにしたとき、   天から? 大地から? 心の奥底から? 大きな声が聞こえ、圧倒される。   その声が放った言葉は、「自然を敬え」。   そのまま二度と村に戻らず、山で孤独の死を迎える。 午後の太陽の黄色い光に、やっと吸い込んでもらえるような気がした。     以上が、 CDの誘導による私の過去生体験でした。   体験中、指や手足が勝手に、特に手の指が盛んに動きました。   「なんでこんなに指が動くんだ?」とか、「誰かがドアのブザーを鳴らすと困るな」とか、意識は現実の世界にもあり、眠りの状態ではありませんでした。   スマトラ島に関しては、今まで特に関心を持ったこともなかったので、驚きました。これは本当に過去生の記憶なのか、単なる空想の産物なのか?   自分としてはその問いはあまり重要ではなく、ただこの話が自分の深い内面の性質を怖いほど的確に言い

ふしぎ体験(9)「スマトラ島にて①」

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「ノルマンディーにて」シリーズが終了しましたところで、   私がこれまでに遭遇した、2大ふしぎ体験のもうひとつを、続けてお話しさせて頂こうと思います。m(__)m   それは、「スマトラ島にて」起こりました。 とはいえ、私はスマトラ島に行ったことはないのです。今生では。 はい。このシリーズは、私の過去世体験でございます。     1995年頃、まだ日本に住んでいた時のこと。 友人が、「過去世体験」というCDを貸してくれました。そのCDの誘導に従うと、催眠状態となり、前世ないし過去生が蘇る、というのです。   まったくの興味本位でやってみましたところ、以下のような、鮮烈なイメージと物語が浮かんできてしまいました!   子供時代。足元を見ると、はだし。   足の裏がとても硬くて頑丈なのが、自慢。 褐色の肌、引き締まった身体、漆黒の髪。小柄で痩せっぽちながら大変な働き者の少女、それが私。   大自然と人々と調和しながら、日々汗を流して働き、困っている人がいれば助け、みんなが幸せになるように知恵を出し行動するのが何よりの喜び。  愛情あふれる家庭。優しい村人たち。美しい自然に囲まれたのどかな村。 森に行くといつも出会う、派手な色の鳥が一番の友達。   一風変わった子供である私には、予知能力のようなものが備わっており、それで村人たちの問題を解決することが多く、みんなに慕われ大事にされている。 早く大人になって、もっともっと人々に、村に貢献したい。   私が住んでいるところは? スマトラ島。   17歳。恋人が出来る。瞳に深い優しさをたたえた青年。私の人生の中で最も輝いた年。 しかしその後、ようやく大人になろうとする私に、これまでの調和をくつがえす異変が起こる。 17歳をピークに、予知能力が衰えて行くのである。   そうとは知らず相談に来る村人たちに、正直なことを言えず当てずっぽうな予言・助言をしてしまう。 まぐれで当たったり、当たらずとも遠からずだったり。誰も自分を疑わない。   調子に乗ってそのまま「うそ」を通す。曖昧で意味深長なことを言えば、人々が後で辻褄が合うように解釈してくれることが分かり、その手を使い続ける。   ところが遂に大失敗! 私のいいかげんな「予言」がもとで、一人の子供が、なんと死に至ってしまう!     つづく    <a href="h

ふしぎ体験(8)「ノルマンディーにて⑧最終回」

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ふしぎ体験(7)「ノルマンディーにて⑦」のつづきです。   「どちらでもいいですよ! お好きなほうで、ね!」     ・・・その後も普段の生活では、彼の事を忘れていることがほとんどです。   ごくたまに思い出しても、・・・ええと、ジェームスさん? 健太郎?  「お好きなほうで」と言われても、ねえ。まどろこしいので、 ジェームスの愛称ジミーと健太郎をミックスして「ジミケン」と呼ぶことにしました!   呼称は決まったものの、ジミケンとの「交信」は、その後は全く!と言っていいほどありません。   実は私は昔から、弟の魂は自分に同化している? ような気がしていました。一つの身体に、二つの魂が入ることも良くあるのだとか。   皆さま私の文章を読んですでにお気づきかもしれませんが、私はどうも考え方・感じ方が女性より男性に近いところがあり、外側から見てもわかるらしく、少年っぽいだの中性的だの、よく言われます。  弟が同化しているのだとしたら、あの時あえて分離して登場したことになりますね。何のために?「己の深い魂の声」を聞くために? そして再び自分に同化しているのだとしたら、ほとんど思い出さないというのも理にかなっている?   まあ、ヘンな人のヘンな考え、と思って読み流してください。💦  あ?ここまで続けて読んでくださっているということは、あなたさまもちょっと変人?😄   ・・・さてここで、後日談です。   2015年9月、再びノルマンディーを訪れ、同じホテルに泊まりました。因みに私のではなく、夫のアイディアです。   また何か起こるかな??と思っていたら、20部屋ほどある中から、また前回と同じ部屋に通されました。  「6年前もこちらに来たのですが、その時も同じ部屋でしたよ」とホテルの人に言ったところ、「へえ、そうですか! ああ、あの部屋がある棟はね、来月から大改装することになっているんです。丁度その直前でしたね」   前回2009年の訪問時は曇りがちで肌寒く、アロマンシェ海岸「ゴールドビーチ」はD-DAYに思いを馳せるに相応しい、閑散とした雰囲気でした。 2015年の訪問時は素晴らしいお天気で🌞、ビーチは海水浴客で賑わい、同じ海岸とは思えないほど明るく楽しい雰囲気でした。   ノルマンディー滞在後、フランス・ベルギー国境付近の街に立ち寄り一泊。その時のホテルも20部屋ほどあ

ふしぎ体験(7)「ノルマンディーにて⑦」

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ふしぎ体験(6)「ノルマンディーにて⑥」のつづきです。   普段の生活では、ジェームスさんの事をすっかり忘れていることがほとんどでした。 そしてその2年後の、2011年10月9日。   父が亡くなって 丁度10年を迎えたこの日、私は日本一時帰国の途につきました。 フライトは、ブリティッシュ・エアウェイズのロンドン経由。イギリスと言うことでジェームスさんを思い出し、「お、まるで一緒に行くみたい! 楽しいー♪」。 実家に到着し、母の元気な笑顔に迎えられ、まずは父の遺影にご挨拶。すると、遺影の前に見覚えのある押し花が!    母はジェームスさんからのプレゼントを大切に、そして毎日、父と共に彼にもご挨拶したり話しかけている、と言うことだったのです!   家族に恵まれなかった、と言っていたジェームスさんは、母親の愛情に憧れているのだろう、と思っていました。 母が、直接会った私よりずっと、彼を大切な身近な存在として扱っていることを、きっとジェームスさんは喜んでくれているに違いない!と、私も胸が熱くなりました。     ・・・そして、その年(2011年)の暮れのこと。   腰痛防止体操をした後、そのままゴロンとしてボケーっとしていた私は、ふと!ジェームスさんの気配を感じました。   彼は、にこにこ😊しながら、こう言いました。   「どうして私が、あなたのお父さんと出会ったと思います?」  「ああ、そうでしたね、ジェームスさん! そのことを『いずれお話しします』とおっしゃっていましたね!」   父が親しくしていたあるご家族の、まだ小さいお嬢さんが霊視能力があるということで、父の他界後、彼女のバレエの発表会に父はロシア人など40人くらい連れてきた!という話を聞いたことがありました。 へえ!父は天国で国籍も超え色んな人と関わっているのか!と、その時とても愉快に思ったのですが、ではジェームスさんとはどういう経緯で知り合ったのか、大変興味をそそられるところでした!   「私はね、まっちーこさん。日本に生まれ変わろうと思ったことがあるんですよ」   ・・・息の根が止まるかと思うほど、驚きました。   「健太郎?!」   母は、私を産んだ2年後に男の子を出産しましたが、残念ながら死産でした。 「健太郎」という名前が、彼に用意されていました。   「・・・本当に?! ジェームスさん、 それ、本

ふしぎ体験(6)「ノルマンディーにて⑥」

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ふしぎ体験(5)「ノルマンディーにて⑤」のつづきです。   魂の存在そのものが、愛。 どんな存在も特別ではないのです。そして、だから美しいのです。 これらは、それまでの私には、全くなかった発想でした。   翌日。   ベルギーに戻る前に、海岸に沿って、同じく上陸作戦の舞台となったオマハビーチとユタビーチの間にある、オック岬に行きました。   そこにはドイツ軍の基地があったそうで、連合軍の爆撃に遭い巨大な穴が地面のあちこちに、今もそのまま残っています。穴の間を歩き、辺りにころがっている基地の残骸を見ながら、当時の様子を思い浮かべました。 「敵、って何なんでしょうね?」   昨夜会ったジェームスさんが、また話しかけてきたようでした。   殺風景としか言いようのない岬に、ふと薄紫色の一輪の花を見つけました。直径3センチほど、5つの花びらを思い切り広げている見たことのない花が、ひとつだけぽつんと咲いている。   「お母さんに、あげてください」   ジェームスさんがそう言ったような気がしたので、花を摘んで、押し花にして持ち帰りました。   母には電話やメールでジェームスさんの話をしました。母は大変興味を持って聞いてくれました。 母以外にも、機会があるごとに、多くの人にこの話をしました。   夫にはしていません。😅 ジェームスさんの言う通り、彼はこの手の話は信じないし受け付けないのです。が、本人に自覚はなくともジェームスさんの言うことを感じ取って行動した、ということですから、それで良いのだろうと思っています。   押し花は、数か月後にベルギーに遊びに来た母に、直接手渡しました。 「ジェームスさんから」と言って渡したとき、母がちょっと怪訝な顔をしたような気がしました。興味を持ってくれたとはいえ、霊からのプレゼントなんてやっぱり気持ち悪い、と思ったかな? ジェームスさん、がっかりしたかな?   「魂の存在そのものが、愛」 「どんな存在も特別ではない。そして、だから美しい」   彼から教わったこの二つの事は、その後もふと思い出しては、味わい咀嚼しました。   が、普段の生活では、ジェームスさんのことをすっかり忘れていることがほとんどでした。     つづく      オック岬        

ふしぎ体験(5)「ノルマンディーにて⑤」

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ふしぎ体験(4)「ノルマンディーにて④」のつづきです。   「私が今どんなに幸せか、あなたの想像が及ばないくらいですよ」   会話はさらに続きました。   「まっちーこさんは、アロマンシェ海岸で、お母さんに上げようと貝殻を拾いましたね。どこにでもある貝殻だったでしょう? たまたまこの砂浜に上がっただけ。  私たち兵士も同じです。 まっちーこさんは昨日、去年この地を再訪して大歓迎を受けた、生き残り元兵士たちの写真や壁画を見ましたね。あなたが勤める老人科の患者さん達と同じ年頃だ、と感慨にふけられましたね。 それは結構なのですが、私は、彼らや死んだ我々も含め、英雄視されることを全く嬉しく思いません。私たちはどこにでもいる人間。この出来事に関わる運命にあっただけです。   特別な人間など、どこにもいないのですよ。歴史上の英雄も聖人も、そういう役目を担っただけです。 立派な行いをする人も、堕落した人生を送る人も、それぞれに理由があります。 珍しい運命をたどる人がいても、それは「特別」ではない。あなたの貝殻と同じですよ。珍しい形の貝殻はあっても、やはり貝殻の一つに過ぎません。あなたと私は、今こうしてお話をすることでお互いに特別な意味を持っていますが、あなたも私も「特別」ではないんです。   人は皆、それぞれの課題を持って生きています。その課題は、すべての、大いなる宇宙の、調和のためのものなんです。 だから、 どんな存在も特別ではないのです。そして、だから美しいのです。 忘れないでくださいね」       ・・・ここで余談です。 (その1)   「どんな存在も特別ではない」は、逆に「すべての存在は特別」とも言えるかと思います。   が、私などは「すべての存在は特別」と言われると、「そうか!じゃ私は、その中でもっと特別を目指そうー」などと考えて「違うだろ」方向にスタコラ行ってしまうので、ジェームスさんもそれを見越して「どんな存在も特別ではない」という表現にしたのではないか、と思われます。(^_^;)ゞ   (その2)   これは単なる私の空想ではないか?? という疑いが時に脳裏をかすめながら、「会話」がなされていました。 が、あえて太字にしました二つの事、   魂の存在そのものが、愛。 どんな存在も特別ではないのです。そして、だから美しいのです。   これらは、それまでの私には、全

ふしぎ体験(4)「ノルマンディーにて④」

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ふしぎ体験(3)「ノルマンディーにて③」のつづきです。   ドアのところで振り返った彼は、パッとその存在を輝かせ、 「もちろんです!」 と言って去っていきました。   じわ、じわ、じわ、と身体に温かみが戻ってきました。   その後も、心の中でジェームスさんとの会話が続きました。ん?彼は去ったはずなのに、と思ったとたんに答えが。    「あなたと私はもう知り合えて、心の繋がりが出来たので、もう寒い思いなどさせることなくお話しができるのですよ」   以下は、その時の会話です。 お伝えしやすくするためにジェームスさんの1人語りのように書いていきますが、実際は、私が言っているのか彼が言っているのかわからないような会話でした。あまりにもハモリが見事で、自分がどのパートを歌っているのか分からなくなる感じと似ていました。   「他界されているあなたのお父さんですか? はい、良く存じ上げていますよ! あなたに会うためにも、多大なご協力を頂きました。どうやって知り合ったのか、って? そうですね、彼と私は、時代や民族を超えて互いに引き合うものがあったのです。 このことは、いずれもっとお話ししますね。   まっちーこさん、あなたのお母さんにも、私の事を話してくださいませんか? きっと私を、そのままの私を、受け入れてくださるでしょうね? そうしたら私は、あなた方ファミリーの輪に参加しているような気持ちになれるでしょう!   『まあ、じゃあ彼は65年もまっちーこが現れるのを待っていたの?』ってお母さんは思われるかな。でも私たちには、時間と言う感覚はないんですよ。あ、それから、”天国に行けずに彷徨う霊”、なんて暗いイメージは持たないでくださいね! 私はずっと幸せだったんです。   光りのメッセージを受け、全宇宙の祝福を受け、「そうか、自分はこれで良かったんだ。自分は、すべては、そのままそれで良いんだ!」とわかったと同時に、私は悟りました。   魂の存在そのものが、愛 である、と。   そのことを知らずに、 あまりにも多くの人が、 不幸を作ってしまう。   愛を求めなくていい。あなたが愛なんです。そこに、心底、気付いてほしい。  私は十分幸せですが、この思いをしっかり受け取めてくれる人がいたら、もっともっと幸せになれると思っただけなんです。   何故あなたか、って? Whay not?   私た

ふしぎ体験(3)「ノルマンディーにて③」

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ふしぎ体験(2)「ノルマンディーにて②」のつづきです。   霊は恐縮した様子で、ついに話を始めてくれました。   「私は、あなたが今日ご覧になり気に留めてくださったお墓の主、"A SOLDIER" です。   あなたが御想像なさった通り、家族の愛に恵まれず、恋愛にも失望。そんなときに、当時のヨーロッパの脅威だったドイツを抑え込むことに人生の目的を見い出しました。私は脇目も振らずに進み、上陸作戦に参加しました。   そして、遂にドイツの衰退が見え隠れし始めたころです。 何故か、私は困惑し始めました。私の「目的」が果たされたら、その後どう生きて行くのだろう?と。 そんな折、ドイツ軍がつまらないミスをおかしました。それは我々にとっては全く喜ばしいことだったのですが、私はと言えば、足元が救われたような衝撃を受けたのです。   そのミスとは、かつて私がおかした馬鹿げたミスとそっくりで、そのとき私は、相手が同じ人間であること、自分が自分と戦っている!という奇妙な感覚に襲われました。それまでは先頭を切るほどだった私が、その感覚から抜け出せず前に進めなくなってしまったのです。   そこで私の人生は終わりました。そして死の瞬間に、まるで予期していなかった、想像を絶する至福が訪れました!   「自分が自分と戦っている」それは錯覚ではなく、真実です。それを体感できたのは、全宇宙の祝福に値する素晴らしいことですよ。   という、光のメッセージを得たのです!   ・・・まっちーこさん、あなたは「私は目的に突っ走るタイプだったけど、それを見直し始めました。旅の目的は旅そのもの、人生の目的は人生そのもの。そういう気持ちで、今回の旅行に行ってきます」と、お友達に書かれていましたね。同感です。    私はずっとあなたを待っていました。Wさん(夫)も私の言うことを感じ取って、あなたをここまで連れてきてくださいました。残念ながら彼は私の存在を信じないので、あなたとだけお話しさせていただきます。彼をのけ者にしているようで、心苦しいのですが。   私はあなたの事も彼の事も、良く知っていますよ。 Wさんと仲良く、これからも楽しい人生を送ってくださいね。聞いてくださってありがとう!」   霊が立ち去ろうとしているのが分かりました。   「あ、待ってください、A SOLDIERさん! あなたの

ふしぎ体験(2)「ノルマンディーにて②」

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 ふしぎ体験(1)「ノルマンディーにて①」のつづきです。   霊がいる?! その日に見た夥しい白いお墓が目に浮かびました。 兵士たち?! みんなで来ちゃいました、とか? でも、なんで?!   その時、枕元の左側に気配が。「霊は一人だ」と直感。 「ごめんなさいね」と言っている感じ。・・・優しい感じ。   「霊は何かを伝えたくて現れるので、聞いてあげればいいんです」と、以前どこかで聞いたような。   とにかく怖い気持ちも全く起きないくらい、寒くて敵いませんので、何でも聞きますよー、早く言ってくださーい!   霊は困っている。   まっちーこ「どうしました?」  霊「はい、もうちょっと受け入れ体勢になって頂けると」 まっちーこ「受け入れ体勢?!」   寒さで胎児のごとく身を縮こまらせているから? 心を開くように仰向けになれ、と? いやはや、わかりました。やりますよ、やるしかないようだし。   仰向け~~、うわ~~、さむい~~、つらい~~~!!   霊は恐縮した様子で、ついに話を始めてくれました。   つづく        アロマンシェ海岸付近のイギリス軍兵士たちの墓地(極々一部)    

ふしぎ体験(1)「ノルマンディーにて①」

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またまた新カテゴリーの登場です。「ふしぎ体験」!   過去に私は2回ほど超不思議体験をしていまして、それらについてお話ししてみたいと思います。 そのうち一つは、2009年9月、夫と二人で行った旅行先のノルマンディーにて起こりました。   この旅行では、カレー海峡(イギリスで呼ばれるところのドーバー海峡)、有名なモンサンミシェル、そしてバイユーでこれも有名なタペストリー(歴史物語の刺繍絵巻)を見るのが主な目的でした。三つの目的を果たし堪能した後は、カーンという学生街に立ち寄ってベルギーに戻る予定でした。   ところがカーンで泊まったホテルのサービスが悪く、夫がホテルを変えようと言い出しネットで調べ、カーンから近いアロマンシェと言う海岸付近のホテルを見つけ、そこで最後の一泊をすることに。 朝早くカーンを出発しアロマンシェへ。ホテルは大きな古い家を改造した、どちらかと言うと民宿。庭にリンゴの木があり、風情があって良い感じでした。 アロマンシェ海岸がホテルの部屋から見え、海には黒いブロック状の防波堤が点々と。「・・・あっ、ここは上陸作戦の舞台の一つ、ゴールドビーチだよ!!」、と思わぬ展開に! 早速、そのゴールドビーチを訪れました。 イギリス軍がたったの12日間で作ったという即席港の残骸が残されたまま。忘れないためにあえて残してあるのだそうです。 すぐ近くのD-DAY博物館と、おびただしい数の兵士が葬られた墓地も訪れました。   このびっしりと佇む一つ一つのお墓の下には、音楽好きがいたり、笑わせ上手がいたり、プレイボーイがいたり、 ・・・と考えていたら気が遠くなり、 ふと「A SOLDIER」と刻まれたお墓が目に留まり、「ああ、身元が分からなかった兵士だな」。何とも痛ましく、感慨深く・・・。   そしてその夜は、旅行最後の夕食ということで、ノルマンディーの特産を味わいました。 リンゴのお酒シードル(この地方は葡萄が採れない)、カマンベール、そしてガレットという蕎麦粉のクレープ。ガレットは卵、チーズ、ハムなどをはさんで、野菜を付け合わせに食事として食べるものです。デザートはノルマンディー風アップルパイ。これまたこの地方の特産であるカラメルが入っていて濃厚な味でした。😋 満足してアロマンシェの宿に戻り、夜も更け、眠りにつきました。 深夜。   「ふう、暑いなあ」と目が覚

覚醒体験後(18)「在りたい自分??」

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最近テーマ(カテゴリー)がちょっとかぶってしまうことが多いようで、今日の記事は「覚醒体験後」ですが「アラフィフ起業大成功!」も大いに混ざっております。m(__)m   また「お試し」が来ましてねー。いや、「本当に覚醒したんかい?」っていう「お試し」ですけどね。   太極拳指導とレイキセラピーの副業を始めることに関して、うちの夫はとても協力的で大変ありがたく思っているのですが、「コロナ収束にはまだかかりそうだし、オンライン講座も考えている」と言ったところ、なんか懐疑的な反応だったんですね。   で、今日またその話をし始めたら、講座内容のアイディアなど何も言っていないうちから懐疑的どころか完全否定!「オンライン講座なんて表面的でダメダメ」「君なんかそれに膨大な時間費やして、結局何の成果も得ないよ」と言い切るんですよ!    ・・・愕然、呆然、口あんぐり!    反論を試みても先方聞く耳持たず、「じゃどうぞ、好きにすれば」と冷たく言われてしまいました。 「なにそれ?!」   さすがにムカッ💢と来てムスッ😬となり、プイッと無言の行に突入! してしまったものの、   いかんいかん! 曲がりなりにも覚醒体験したからには、ネガティブ・サイクルから抜け出だすくらいは朝めし前、と行きたいところ。まずは無心になるのだ、とバタバタ掃除など初めまして。   まあ、夫も私に対して悪気があったはずはなく、彼なりの考え(思い込み)で言ったわけで、私も「頭ごなしに否定すべきじゃない!」という私なりの考え(思い込み)で腹を立てたわけですな。   それは、今日と言う日を台無しにするほど大事なことですか? と自分に問えば、答えは明らか。「いーえ」。  ふと掃除を中断し、自分を見つめ自己愛育むこの有難きブログに向かい、つらつら書き始めるに、    「オンライン講座より、アラフィフ起業より、何よりもまず 『在りたい自分』 をハッキリ決めたらどうよ?」   と、行間より深い心の声が!   おお、確かに!!!   「在りたい自分」と何度も言ってる割には、「それって何なの?」と聞かれたら、「え? えっとー💦」となってしまう、これは少なくとも「在りたい自分」ではありませんねー。😌   で。えっとー。   「本来の私」で在りたい、のですよ、私は。「本質」から遠ざからないように。 じゃ、本来の私って? 私の本質

ベルギーのイケてる話(4)「にっ」

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コロナ感染・発病から3週間、やっと症状がなくなり3日たち、本日晴れてシャバに出ることができました!   久しぶりに太陽も出て、寒いですが(0度)、ああ、外の空気は良いですねー! 目当ての買い物があったので、いつも行くスーパーではなく歩いて20分のスーパーに、ショッピングカート引きずって行ってきました!   見慣れた風景も、こう久しぶりとなると自然に「味わい楽しむ」ことができますね。  向こうから歩いてきた年配の女性と、何気ない微笑みを交わしたり。😊😏   あ、これ! これはないですね、日本には!「何気ない微笑み」を、外で見知らぬ他人と交わすのは。   これをうっかり日本でやってしまったことがありまして😊。「あ、しまった!」と思ったときはすでに遅く、相手の方にギョッとされ慌てて目をそらされてしまいました。😣 私も日本にいたときは、やってませんでしたもんねー。😌 国や地方によっては、知らない人でも道ですれ違うと挨拶する習慣があるそうですね。こちらはそこまではいかないんですが、この「何気ない微笑み」はけっこうあります。人によってですけどね。絶対にしない人も沢山いますね。   どういう人がどういう時にするのかな、とちょっと考えてみたところ、 「気分よく過ごしたい、分かち合えればもっといい」といった気持ちが無意識にあるんでしょうか? で、お互いがそう思っていると、このスマイルが交わされる? 双方の意識が「今ここ」にないと、生じない現象といえるかもしれません。(?!いきなり固い表現💦)   ただすれ違いざまに「にっ」って笑うだけなんですけどね。私は好きで。出来るだけやりたいので、チャンスを逃さないように。たいがい2人同時に起こるんですよ。「にっ」。一種のテレパシーでしょうか?? ハズれることもありますが、全然気にしなくなっちゃいました。「空振り~!」って流して、また次の人に「にっ」。 あ、当たりー! 意味もなく意図もなく、心がほぐれる瞬間です。😊        <a href="https://pixabay.com/ja/users/alexman89-10638719/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&a

ドタバタ遠距離介護(19)「受け入れているか、いないか?」

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ドタ遠(18)「名脇役になろう!」のつづきです。   母の遠距離介護にあたって、「老人科で仕事していてラッキーだった!」 と思うことがもう一つあります。   毎日のように新しい患者さん来られ、ご家族も見え、まあとにかく色んな人がいるんですよ、当たり前ですが。「認知症」ひとつとっても、千差万別。それこそ「極楽」から「地獄」まで。   そして、いつもお見舞い客に囲まれている人もいれば、1人も身寄りのない人も。では前者が幸せで後者が不幸かと言うと、実際ご本人とお話してみると全くそうとは限らないんですね。   何が違うのか。「状況」ではない何か、ですよね。「心の在り方」でしょうか。 ・・・受け入れているか、いないか? まあ、そんなことも仕事から学んだというか、感じたというか。   お蔭で遠距離介護・初期の頃、恐れたり不安になるより母と自分の「状況」をまず受け入れよう、という気持ちになり、そしてそれは、後々私にとって大きな心の礎となりました。 もう一つ心の指針となったのが、かつて読んだことがあり記憶に残っていた、これ。↓   昔アイヌの人々は、高齢者が所謂「ボケ症状」を起こすと、「爺様は神様の国に近づいておられる。だから我々とは違うんだ」と考えたそうです。   素晴らしいですね。ある意味、本当ですよね。   母を見ていても、忘れるって良いことだ、認知症って楽しい! と思うようになったり。だって気持ちがいつも「今ここ」じゃないですか!    最近は「まっちーこって、私のムスメだっけ?」と言うことも出てきましたが、全然ショックじゃないんです、これが。「はい、今生ではムスメやらしてもらってます、まっちーこです。よろしくね💕」なんて言って一緒に「あははー」と笑ってます。😃😄   母もこのままどんどん忘れて行って、軽やかに穏やかに「愛」だけになって、神様の国に近づいて行ってくれれば最高です。そりゃ寂しさたっぷり入り混じりますけど、ね。それも人生の味わい。   受け入れれば心はそのまま「極楽」に、恐れて抵抗すれば「地獄」に近づく。超シンプルなんですね、きっと。   「不幸は全部自分が作っている」と言われる所以でしょうか。   皆さまはどう思われます?     つづく     <a href="https://pixabay.com/ja/users/geralt-9

ドタバタ遠距離介護(18)「名脇役になろう!」

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以前、ドタ遠(6)「社長秘書」でご紹介しました、 KDDI電話移転のサスペンスは今思い出しても冷や汗が出ますが、           ↓  💦💦 https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2020/11/blog-post_29.html 終わり良ければ総て良し、グループホームの母の部屋に電話移転できたお蔭で、毎日直通でTEL📞しています。    入居して4か月近くが経ち、母は一度だけ不機嫌なことがありましたが(何故かは本人覚えてない)、それ以外はいつも明るく溌剌とした声で、こちらが元気を頂くくらい! のほほん施設暮らしに大満足している様子です。ま、一人暮らしも満喫しきった、というのもあるのでしょう。   いやー本当に良かったなあー😂、と感謝の毎日。💖   7年に及んだ「ドタ遠」も、今思い返すと楽しいことばかり。いや、大変だったことも楽しく思い返せる、ということでしょうか。本当にありがたいことです。(涙)   とはいえ初めの頃は、どう対処したらいいのか全く分からなかった頃は、かなりキツかったですよ、正直!   ただ自分にとってラッキーだった事の一つは、私が病院の老人科で、他ならぬ「看護助手」として働いていたということでして。    と言うのも、患者さんは勿論ドクター・看護師など同僚をいかにうまくサポートするか、という仕事ですから、そういう職業的感覚がプライベートでも多少沁みついていたのか、   ドタ遠でも、自分の立場・気持ち・考えよりも、 母ご本人様をいかに尊重しながらサポートするか、という方向に早く切り替えられたような気がするのです。   心配心から「こうしたら? ああしたら?」と持ち掛ければ、母は「そんなの必要なーい!」とにべもなく、口論になったときも一度や二度ではなかったのですが、   ちょっと待てよ、と視点がサポート業に切り替わり、これを私はホントに御本人のために言ってる? 「私」 が安心したいからでは? 「私」 が気にする世間体のためかも?! と、考え直すことが出来ました。尊重されていると感じれば母も素直に協力的になってくれ、スムーズにいくことも色々と出てきたり。 もともと私自身はと言えば、お呼びでなくても舞台中央に踊り出てくるタイプ。自己主張の強さたるや「ウザい、こいつ!」と自分でも思うほど。😝   海

覚醒体験後(17)「ブレてこそ人生」

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ハロウィンに覚醒体験をして、大きな気付きを得ることが出来たと言うのに、   その後もズレまくり、ブレまくっております、わたくしっ!!!😰 そもそも「ブログをやろう!」というのも、覚醒体験中の至福の中で閃いたのでした。 これからはもうブレないように、この気付きをしっかり文章にして心に刻み、もしも分かち合える人がいたら是非していただけたら、それ最高じゃないか!💕 と思ったわけです。   そしてほぼ2か月が経ちまして、基本的には書きたいことがその都度インスピレーションでやって来て、わーっと夢中になって書いているんですが、   時として、「今日は訪問者が多かった!😆」「何だ?!今日はヤケに少ない!😢」と、酷い時はガックリ落ち込んだり、 状況に、振り回されているではありませんか!   「ブログの成功法」「アクセスの集め方」とか検索しはじめ、 なんか眉間にしわが寄りだし、SEO対策はゼッタイ大事?何それ結局、読んでも分から~ん😣!!とアタマ抱えてストレス抱えて、   💥はっ!?   違うだろ、まっちーこ!? もう一度覚醒しなおせー!!みたいな。   「ブレてます」とまずは自覚し、「ブレてこそ人生」と開き直り、 「ブログやろう!」と閃いたときの初心を思い出せば、・・・おお、おお、また蘇ってくる喜び✨!! SEOでも何でも改善できることは、ちょっとずつやって行けばいいよ。自分のテンポで、楽しみながらね。   大丈夫、まっちーこ。気楽にやれや。       <a href="https://pixabay.com/ja/users/sophieja23-698836/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=684748">Sophie Janotta</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=684748&qu

アラフィフ起業大成功!(2)「囚われない心」

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私のアラフィフ起業は大成功!   所謂、アファメーションと言うヤツですね。「決めて信じる」。かと言って、結果にはこだわらずに行こうと思います。😊   何よりその過程を楽しみたいですね。楽しめば心もリラックス、何でも臆せずトライできそう。失敗も「アラやっちゃった~♪」と笑い飛ばすくらいでないとね。💃🎶   「起業成功には年齢的に超崖っぷち!」これは事実ですが、深刻になっては面白くない! それより「今を楽しまないと人生あっという間に終わるよ!」と言う意味での崖っぷち、と捉えなおしております。 何であれ、その時その時を「味わい楽しむ」ことが出来れば、それが私にとっての成功だな、と。例え収入面で大成功しても、もしそれを楽しめなかったら、人生としてはチットモ成功ではないですよね?    「決めて信じる、味わい楽しむ」で「何故かうまく行く!」という法則を学んだ、一連の「ドタバタ遠距離介護」経験の中でも、私は結果にはこだわっていませんでした。いや、全く先が見えない状況でしたからこだわりようがなかった、というのが本当のところですが。💦 しかも結局、何が母にとって良いのか?なんて、本人にしか分からないじゃないですか。   なので「母にとって最良の人生となる!そのために出来るサポートを私はやる!」と決めて信じてきたのです。     ドタバタ遠距離介護 (13)「何故かうまく行く!②」  https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2020/12/13_28.html でお話ししました、   日本で母とテレビを見ていた時に、「家族5人と住んでいた認知症の男性が、 夜こっそり外に出てしまい(家族は誰も気が付かなかった)そのまま行方不明」といった実話が紹介されていました。   ↑これですが、   この男性が使ったとみられる自転車が発見され、その自転車のカゴには摘んだお花が沢山入っていたのだそうです。    その男性がどうなったのか分かりませんが、自転車で外に出て、新鮮な夜の空気を吸い、気ままに行きたいところに行き、お花を摘んで、・・・とっても幸せな時間を過ごしたのかもしれません。彼にはその自由な時間が、そのとき本当に必要だったのかもしれませんよね?    これが自分の親だったら、そんなふうに割り切って考えられるのか?と言われれば、いえ、全くそうではない

アラフィフ起業大成功!(1)「コロナ禍でも出来ること」

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お正月も3日目。 新カテゴリー「アラフィフ起業大成功!」の登場です! その(1)「コロナ禍でも出来ること」。   え、ところでいつ起業して成功したのか、って? これからですよ、これから!   皆さま既にご存知のように、私は老人科の看護助手として仕事をしておりますが、 高齢者の患者さんも団塊の世代となってきまして、10年前に比べて身体も一回り大きくなっておられます。オムツパンツのサイズ変化で、以前との違いがもう明らかでして。💦   で、私はと言えば、「極細蚊トンボ鶏がらスープの素」。ベルギー人相手の介護はさすがに辛くなる一方。   そこで、以前から趣味&ボランティアでやっていました太極拳指導とレイキ施術を、まずは副業としてスタートしようと、2020年から始めるつもりで準備していたところ、   コロナ!!😑   個人事業登録も済ませ、オランダ語でのホームページも作り、必要なものも買い揃え、始める寸前まで来ていたのですが、 ロックダウン!!😓 結局、去年はドタバタ遠距離介護も大詰めを迎え、夏から秋はそちらにかかりきりでしたので、副業始めていなくて助かったのですけどね。 あまりにも長い事棚上げ状態で、気分がちょっと萎えてしまっていました。   とはいえ、アラフィフもアラ還に近づき崖っぷちも良いところ! 萎えてる暇ないです!「決めて信じる、味わい楽しむ」。はい! 言ったからにはやりましょう! !   こちらはワクチン接種が少しずつ始まるそうですが、まだまだコロナ収束には程遠いですから、思い描いていた副業開始はいつになるやら、ですが、 オンラインで出来ることも、色々あるぞ?! と、年末年始のコロナ自宅隔離中を良いことに、あれこれ模索、研究、検討中です。 ふっふっふ。      つづく     <a href="https://pixabay.com/ja/users/geralt-9301/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=3233653">Gerd Altmann</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/

ベルギーのまとまらない話(3)「フスティング!」

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久々の、ベルまと話です。   フスティング (GOESTING)という、ベルギー北部フランデレン(フランダース)地方独特の言葉がありまして。これがですね、スゴイんです。💦 小さなベルギーがまとまらない、大きな理由の一つが、これではないか、と。😅  まずその語感ですが、フスティング の「フ」は、日本語の「ふ」と違い、「グ」に近いような、喉の奥から出す音で、同時に唇も思い切り突き出します。 フ(グ)スティング! 大変強い語気です。 そしてこの言葉は、英語にも日本語にも、ドンピシャの訳語がありません。 オランダのオランダ語には「ジン(ZIN)」と言うほぼ同じ意味の言葉がありますが、「フスティング」ほどの強さと威圧感はありません。   これをしいて日本語にすると、「個人的意向」。はい、これがこちらではとにかく大切なようで、この言葉を聞かない日はない、と言っていいほどで、あっ、今も夫が言いました!😆   夫が今言ったのは、「Ik heb goesting in chips! (私はポテチにフスティングがある!)」。これは「ポテチが食べたい!」と言う意味ですが、ニュアンスとしては「食べないわけにはいかない!」。   「私はフスフィングする!」これも良く聞きます。意味は「私はやりたいようにやる!」。「フスティングすれば?」、これは「やりたいようにやれば?」。 日本では、そう頻繁に聞かれる言葉ではないですね?   歴史的に何度も周辺国の支配を受け、その度に彼らを追い返してきたベルガエの人々。「地域全体」というものが常に変化してきたからでしょうか、帰属意識を持てない「全体」より「個」を大事にするメンタリティーが、一般的に個人主義である他の西洋諸国以上に、強く培われていったようですね。   やりたいようにやる、生きたいように生きる。周りに迷惑をかけない範囲で自分のフスティングを貫き、他人のフスティングも尊重する。これがこちらの人の理想のようですが、実際はなかなか難しく、 ベルまと話(1)でもお話ししましたように、離婚率は世界一!🎉 ベルまと(1)⤵ https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2020/11/blog-post_8.html   政治もまとまらず、2010年から11年にかけて、無政府状態が540日間続くという、前代未聞ダントツ世界

覚醒体験後(16)コロナの巻⑧

皆さま、あけましておめでとうございます!🎍 今年も何卒よろしくお願い申し上げます。m(__)m   新年早々、コロナの巻の続きです。 若いせいか😀軽症・楽勝だと思っていたら、実はそんなに若くないのか??😖咳だけなかなか収まらず、「症状が無くなってから3日経ったら自宅隔離解除して良し」、とのことなので、外に出られない状態が続いております。  が、 年末年始ゆっく~りできて、実は嬉しい!😛   ところで、私の今年の目標ですが、 それはまず、自分ともっともっともっともっと仲良くすることでーす。💕   咳が出るのでまだ仕事を休んでいるわけですが、普通だとここで、同僚に申し訳ない!と「罪悪感」が颯爽と舞台中央に登場するんですが、   じゃま臭いですね! 要らないですね! 何の役にも立たず、自分を苦しめるだけの「ざいあくかん」。何でやたらと出てくるんだ「ざいあくかん」?!   同僚がもし自分の立場で、「申し訳ない」とか言ってたら、「そんなこと言わないで、ゆっくり休んでね!!」って言うでしょ。   それ、自分にも言おうよ、思いやりを持とう、自分にも!!!  本当は、自分大好きなくせに。だから死にたくないんでしょ。自分と別れたくないからでしょ。素直に自分大好き、って認めよう。有り余る欠点もおバカなところも全部知ってるぜ。知ってるけど、何か意味があって存在してるんだ。それだけで良いんだ、充分なんだ、自分は、いて良い! いて良い、というだけで、素晴らしい!!   あけましておめでとう、まっちーこ、ずっと一緒にいてね、まっちーこ、元旦からラブラブで行こうね、まっちーこ!!💕💕💕   つづく(^_^;)