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音楽と私(9)「小学校【世界の音楽】鑑賞教室で~最終回~」

音楽と私(8)「小学校【世界の音楽】鑑賞教室で④」のつづきです。   音楽鑑賞教室用の台本は、前回の記事で終わりです。   私がこの鑑賞教室で特に印象的だったのは、子供たちは最後は全員が、夢中になって踊りだすことでした。(中学校でもやりましたが、中学生は踊りませんね。小学生と幼稚園生はみんな踊ります!) 始めて聞いた音楽で、習ったこともないのに踊るんです。体育館でお尻に敷いていた座布団も飛び交い、大変なお祭り騒ぎでした。 その光景を見るたび、 「人類はアフリカで誕生し方々に散らばった」という説は本当に違いない、と確信しました。大地の鼓動・太鼓のリズムは、DNA情報にしっかり入っているんだな、と。😀   音楽と私(4)「理想の世界」 https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2022/05/4.html で言及しましたスペイン・バルセロナのランブラス通りの話にも通じるのですが、   私の理想のバンド♬、というのがありまして、 様々な人種国籍、年齢層、性的マジョリティー&マイノリティー、 障碍のある人ない人が入り交じり、ライブ会場も同様にありとあらゆる人々がごった返し、 うねりを上げて、溶け合う雑多エネルギー! アフリカで誕生して方々に散らばったみんなが、またそこに集まったような。 自分のアイデンティティーが、ぶっ飛んでしまうような、そんなものはもう、どうでも良くなるような。   訳もなく、意味もなく、 ただ歓喜だけが溢れる!   そんな理想の世界が、 私にあったことを思い出させた、 一冊の古いノート「音楽鑑賞教室・台本」、 のご紹介でした。😄  

音楽と私(8)「小学校【世界の音楽】鑑賞教室で④」

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音楽と私(7)「小学校【世界の音楽】鑑賞教室で③」のつづきです。   このようにアフリカとスペインが混ざり合いながら、キューバの田舎で生まれた音楽と都会で生まれた音楽も影響を受け合い、現代のキューバ音楽へと発展していきました。   さて、キューバ音楽に限らずラテン音楽と言うと、リズミカルで明るいイメージですが、 実は意外と辛いことや悲しいことを歌っていることが多いんです。 これから演奏します「Moliendo Café(コーヒールンバ)」という曲も、コーヒー農場で奴隷として働かさせている青年の、叶わぬ恋の深い悲しみを歌ったものなんです。   https://www.youtube.com/watch?v=zGubRUWc-Cs    'Moliendo café' さあみなさん、 そろそろお尻が痛くなって来たでしょう?(子供たちは体育館に座布団を敷いて座って聴くのが定番でした)どうぞ立ってください! 音楽に合わせて踊ってみましょう。 簡単な踊り方を教えますよ。(中略) では一曲演奏しますね。今やった踊り方でもいいし、自分の好きなように踊って良いですよ。思い切りダンスしてみましょう!     https://www.youtube.com/watch?v=lQJuffpdWaE  'Son de la Loma'   みなさんの中では、今日初めてキューバ音楽を聴いた人が多いと思いますが、どうですか? 楽しいでしょう! もしキューバの黒人と白人が、お互いに心を開かないままでいたら、こういう音楽は生まれなかったでしょう。 世の中にはいろんな人がいます。色んな肌の色、色んな民族、貧しい人、お金持ちの人、健康な人、病気の人、体に障害のある人、 色んな人に心を開くことが出来たら、私たちの人生はもっと豊かになると思います。みなさんもこれから色んな人、色んな事に出会うでしょう。辛いことや苦しいことがあっても、大きな気持ちで、心を開いて、 お互いに明るく生きていきましょう!   では、今日最後の曲を演奏します。'Y que, y que, no importa' と言う曲です。Y que, y que(イケイケ)って日本語みたいですね。スペイン語では「それがどうした」と言う意味になるんです。   それではまた一緒に踊ってください! 「そ

音楽と私(7)「小学校【世界の音楽】鑑賞教室で③」

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「小学校【世界の音楽】鑑賞教室で②」の続きです。 船の上のアフリカ人たちは不安と恐怖の中、肌身離さず持ってきた太鼓を叩いたり、その辺の箱を叩いたりして歌を歌い、みんなで励まし合ったと言います。 そうして彼らは、キューバへと連れていかれました。                    ⛵  そういう訳で、キューバにはスペイン人とアフリカ人が住むようになりました。 今のキューバは皆平等に暮らしていますが、 初めの頃はスペイン人がアフリカ人を奴隷として働かせていました。 が、スペイン人の中にも貧しいお百姓さんや心の優しい人も沢山いました。そういうスペイン人はアフリカ人と仲良くなっていったのです。愛し合って結婚し、混血の子供を産む人も沢山出てきました。 そうしてお互いの文化が影響し合って行ったのです。キューバの音楽も、長い年月をかけてアフリカとスペインの要素が、混ざり合ってできたものなのです。  さあ、それではそのことがよくわかるように、これからある一つの歌を、アフリカ風、スペイン風、そしてその両方が混ざったキューバ風、この3つのやり方で演奏してみますね。 https://www.youtube.com/watch?v=5itrPlP23U0  'Donde Estaba Anoche' (YouTubeからご紹介できるのは、残念ながらキューバ風のみ、です。鑑賞教室では、この歌を伴奏打楽器のみのアフリカ風、伴奏ギターのみのスペイン風、そしてこの両者が混ざって更にコントラバスなども加わったキューバ風、で生徒さん達にお届けしました。) (また、キューバ風には「マラカス」も入っていますが、このマラカスは、絶滅したキューバの原住民シボネイ族が使っていた楽器だと言われています。たしかにアフリカにはない楽器です。)   このようなキューバ音楽はソン(SON)と言います。ソンは、主にキューバの農村や田舎のほうを中心に発達し広まっていきました。   一方キューバの大都会ハバナでも黒人と白人の交流が少しずつ進み、それが音楽にも表れ、アフリカのリズムにピアノなどの西洋楽器が加わるようになりました。   それでは一曲聞いていただきましょう。初めはゆったりしたダンソンと言うリズム、途中からチャチャチャと言うリズムに変わります。   https://www.youtube.com/wa

音楽と私(6)「小学校【世界の音楽】鑑賞教室で②」

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  「小学校【世界の音楽】鑑賞教室で①」の続きです。   さあ、そんな楽しいキューバなのですが、 実はこの国には、とても悲しい歴史があったのです。   https://www.youtube.com/watch?v=zNrsQGnHoZY  (シボネイ🎵)   ↑いま聴いていただいているのは「シボネイ」という曲です。シボネイとは、キューバの原住民、もともと住んでいた人たちのことです。今はもう、このシボネイの人たちは一人もいません。みんな殺されたり病気になったりして、死んでしまいました。 なぜそんなことが起こったのでしょう。   皆さんは、コロンブスと言う人をご存じですね? アメリカ大陸を「発見」した人です。冒険家コロンブスが船の旅に出たのは今から500年も前のことでした。 彼は船に乗ってどこに行きたかったのか、知ってますか?  日本や中国に行きたかったんです。 コロンブスは、マルコ・ポーロと言う人が書いた「東方見聞録」という本を読んで、中国や日本にとても興味を持っていました。その頃は電車も自動車も飛行機もなかったので、みんな遠いよその国には、行ってみたくても今のようには行けなかったんです。マルコ・ポーロは、イタリアから何年もかけて遠い中国まで、なんと歩いて行って帰って来ました! そしてコロンブスは、「船で行ってみよう」と思ったんですね。   さあ、いよいよスペインの港から船の旅に出たコロンブス。途中で嵐に見舞われたりしながらも、ようやく「ここは日本では?」と思われる島にたどり着きました! 「日本だ、日本に違いない!!!」 コロンブスはそう信じたのですが、実はそこは、キューバだったんです。 船から降りてその島を散策したコロンブスも、だんだん「あれ?」と思い始めました。 「おかしいなあ、マルコ・ポーロの本には、日本は”黄金の国ジパング”、『人々は金でできた家に住み、美しい着物を着ている 』 と書いてあったが、そんな家もそんな人もいないなあ」 ここは日本ではないようだ、と思ったコロンブスは、再び船に乗りキューバを離れもう少し先に行ってみて、とうとうアメリカ大陸にたどり着くのです。   後で色々調べてみて、ヨーロッパから海を渡って日本や中国に行く途中には、別の大陸がある、ということが始めて分かったんですね。それで「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」と言われているんです