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覚醒体験後(7)難聴の巻⑤

難聴の巻、その⑤でございます。   A「完治する人・三分の一」 B「回復するが完治はしない人・三分の一」 C「全く回復しない人・三分の一」  こう言われたら、皆さんは、自分はどれっぽい? って思われますかしら? 私はAです。おめでたい人です。🎊  でも、Bかもよ? Cかもよっ? って気持ちがないわけではありません。いや、実はすごくあるんです。でも、「大丈夫だぜ」と自己暗示かけて良い結果があったこれまでの経験から、「Aだぜ」という気持ちが、俄然優位に来るわけです。 「ABCのいずれかは、初めの難聴の度合いによる」、という説もサイトで読みました。   私の場合、初めは指を右耳に突っ込んでグリグリ回しても、その指の擦る音が全く聞こえませんでしたので、最悪の度合い、でしょうか。 耳鼻科ドクターで出された薬も、ホームドクターに報告したら「わ、そんなに」という反応でしたので、ヤバい部類であることが十分考えられます。   そこで、BだったらCだったらの場合に備え、シナリオを考えてみました。   片耳聞こえなければ、夫がブーブー言い出しても顔の向き変えるだけで、 夫婦円満! 耳鳴りは宇宙との交信、意味わからんでもほっとけば、宇宙が何とかしてくれそう! もし左耳も同じになったら?  もっと夫婦円満! みんなと仲良くできそう! 絵の才能が開花される! ブログ書きには何の支障も無し! それどころか、もう宇宙人になって、「宇宙の中心で、愛を叫ぶ」にバージョンアップ!!   ・・・なんと、良いことだらけじゃありませんか!🎊   つづく      

ドタバタ遠距離介護(6)「社長秘書」

ドタ遠(5)「引っ越し終了」のつづきです。   一番サッサと済ませられるのは、引っ越し関係の手続きだろう。と思っていましたが、「とーんでーもなーい」ものもありました。その一つは、「転居届」です。 「ご本人の委任状が必要です」「委任状書式をダウンロードしてください」 ・・・実家にはパソコンもプリンターもなく、私のミニノートPCでダウンロードは出来てもプリントアウトが出来ません。電話で問い合わせたところ、 書式 も全部手書き 、が解決策! ひえ~! じゃやるしかない。やりました💦。 お次は、ご本人の署名・押印。 グループホームは団地から近いと言っても徒歩・バス・徒歩で30分、書類抱えて社長の元へサインもらいに行く秘書さながら。 しかもコロナです。グループホームに行く前に事情説明して許可をもらい、ホーム到着後は入口で手の消毒と検温、名前と時間と要件を記入。フェースシールドをしてやっと中に入り、2階に上がって社長室をノック。「あら~~!💕」とノーテンキな歓迎を受け、 「早速ですが社長、ここに署名してください」 「何この紙?」 「転居届のための、委任状 です」 「ああ、そう。どこに署名するの?」 「ここですよ」 「はいはい。署名ね。ボールペン、ボールペンっと。で? 何なのこの紙?」 「転居届の委任状ですよ、ここに署名してね」 「ここね。わー、字が曲がっちゃう~! わー、変な字~!(笑)」 「読めるから大丈夫でしょう」 「大丈夫かな。オッケー! で? この紙何だって?」 「・・・(^_^;)」 さらに大変だったのが、KDDIの電話移転。 「転居先がグループホームの場合は、契約内容が変更になります。変更は電話で出来ますが、ご本人が電話口に出る必要がございます」 ・・・「社長ご訪問」のドタバタをまた繰り返し、KDDIに電話しご本人を電話口に、その後は代理人(私)が契約変更の説明を延~々~と受け、「では新しいアダプターを転居先のご住所にお送りします」。 ホッ。としたのも束の間、「アダプターお受け取りの際は、運転免許証か、顔写真付きマイナンバーカードが必要です」「そこにお客様の新住所が記載されていないと、受け取りが不可能となります」   な・ん・で・す・とっ?!😵 どっちも持ってないんですが、うちの社長。「作

ドタバタ遠距離介護(5)「引っ越し終了」

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ドタ遠 (4)「生保申請」の続きです。   怒涛の引っ越しも、無事終了。新しいお部屋に、天然母も大満足のご様子。😃   ああ、よかったよかった。ちょっと一息いれました。🍵🍡   でもやることは、まだまだまだまだの、テンコ盛り! 特に手続き関係ですが、事務仕事が苦手な私にとっては、人生の一大チャレンジ!(ちょっと大げさ) 生保の手続きは一段落しましたが、母は成年後見人も必要で、これまた申し立て準備の山!なのです。  そして、引っ越し関係あれこれ。転居届、公共料金、電話の移転、諸々の住所変更。 実家の片付けも、出来るだけ自分でやって、最終的には片付け業者さんにお願いするつもりでしたが、その業者さんも2~30万円かかるという話💦、良さそうなところをいくつか厳選して、更に見積もり比較しないと、ね。   滞在は、すでに残り2週間半。すべてやり終えるには、優先順位を間違えてはいけません。   「えーと、まず団地の引き払いを9月末日にするには、解約手続きは2週間前までに、か。今日は?9月17日。 ・・・!! 今日しなきゃ、でしょ~~~~っ!!!」  💨💨💨 そんな調子で、手に汗握る日々が続きました。(^_^;)   団地の実家は、このように、しばらくのあいだ「高齢者移転事務所」兼「がらくた市」の様相を呈しておりました。   つづく

覚醒体験後(6)難聴の巻④

難聴の巻、その④でございます。   救急外来の中に入ったら、待合室は、あら! 空っぽ!😮   ヒマしてる職員に極上の笑顔で迎えられ、ドクターはそれは丁寧に話を聞いてくれました!が、次に行くべき耳鼻科外来はもう終了、「明日予約が取れるか試しても良いですが、すでに他の耳鼻科に明後日水曜日の予約があるなら、それでいいと思いますよ」と、ドクター。 まっちーこ:「とおっしゃいますと、明日でも明後日でも大差はない、一刻を争うほどではない、ということですね?」 ドクター:「そういうことです。でももし症状が急変することがあったら、また来てください。夜間でも耳鼻科のドクターを呼び出しますから」   原因不明の突発性難聴は、 まだまだ研究途上で、ドクターに寄ってこのように見解が違う、ようです。(^_^;)   翌日水曜日。予約を取っていた耳鼻科を訪れました。 始めて行った耳鼻科でしたが、ドクターは超フレンドリー、診察も丁寧、良い印象を受けました。    検査の結果、私の右耳は低音だけ聞こえていて、中音・高音の聞こえが著しく悪い。が、鼓膜にも全く異常は見られず、やはり「原因不明の突発性難聴」、との診断を受けました。   考えられる原因として、内耳感覚細胞のウイルス感染説、そして、内耳の血流障害説。 薬も「可能性としての原因」に対する4種類が処方されました。 ステロイド薬、血流改善薬、血液サラサラ薬、そして脳の働きを良くするビタミン配合薬。   「ヘヴィーな薬ばかりですが、治るために2週間、頑張って飲んでくださいね」と、耳鼻科ドクター。元々薬嫌いで、ここ10年以上何の薬も飲まなかった私は、ちょっと後ずさり。💦   この奇妙な病気は、「完治する人が3分の1」「回復しても難聴が残る人が3分の1」「残りの3分の1は治らずに終わる」のだそうです。これも、ドクターや医療サイトに寄って、多少の違いがありますが。   薬局で買い揃えた4種類を、食卓に並べてみました。す、すごい量です! うーむ・・・。   「まあでも、ね。こうして御縁があって服用させていただくことになりました。ここはひとつ、仲良くやりましょう。リラックスを心がけ自然治癒もして行きたいので、是非サポートいただければ幸いです。 副作用はお手柔らかに。m(__)m」   と、ごあいさつし、謹んで飲み始めました。  つづく    

覚醒体験後(5)難聴の巻③

 難聴の巻、その③でございます。   月曜日を迎えました。   日本ですと、耳に異常があれば耳鼻科に行きますね。こちらでは、何であれまずホームドクターに行くのが一般的です。 直接耳鼻科に行っても良いのですが、予約が必要で、たいがいすぐには診てもらえません。が、ホームドクターでも、内科はもちろん、皮膚科、耳鼻科、眼科、精神科、婦人科、などなど、すべての基本的なことは解決してもらえます。 ホームドクターの判断で専門医に行くように言われる場合は、紹介してもらえたり、所見を書いてもらえたり、緊急の場合はドクター自らが予約を取ってくれたりもします。   そういう訳で、私が朝一で向かったのは、ホームドクターでした。   症状を説明し、 聴力テストを受けたところ、右耳は、例のバラエティーに富んだ耳鳴りなのかテスト音なのかよく分からず、結局ほとんど聞こえなかったようで、左耳は異常なし。 続いて耳の中を見てもらったところ、外耳・中耳に炎症はなく、何か詰まっているでもない。内耳の問題でしょう、と。 ドクターは、とにかく一週間仕事を休むよう診断書を書いてくれ、耳鼻科にも電話してくれましたが、ずっと話し中だったため、受付の人が引き継いで、電話で予約を取ってくれました。 それが、緊急だと言うのに、2日後の水曜日。😕 家に帰り、職場に電話して、諸事情と休む旨を伝えました。   その日の夕方、職場の看護師長から電話があり、慌てた様子で、 「水曜日なんて遅すぎる!!、って、うちの科のドクターは言ってるわよ! うちの病院の救急に行きなさい、って!  今すぐ !!」 「は~~~?!」😵   ホームドクターに電話し、「どうしましょう?!」 「そうですか、職場のドクターがそうおっしゃるんなら、行ったほうがいいですね。僕も、後で受付の人から水曜日と聞いて、今日明日中には予約取れると思っていたので...」 「面倒なことになったなー、救急はいつもドタバタで、超~待たされるし、救急ドクターは話ちゃんと聞いてくれないし」と、重~い足取りで家を出た私でしたが、 はっ💥、こんな時こそ、 リラックス 、だっ! こういう経験って、後から思い出して、「そうそう、あの時は焦ったなー(笑)」ってね。 色んなことあって、それを味わって乗り越えて、楽しいんだね、人生は。👍   美しい晩秋の夕暮れ、紅葉もそろそろ終わりを迎え、

覚醒体験後(4)難聴の巻②

難聴の巻、その②でございます。   ネット情報が沢山あって有難いご時世ですが、ありすぎも困りものですね。 私の右耳の症状は、どうやら「突発性難聴」というもののようなのですが、原因不明、治療法も模索中で確立はしていないとのことで、 サイトに寄って色々でして、   「48時間以内に耳鼻科へ!!! 取り返しのつかないことになるかもしれません!!」 というギョッ!!💣とするものもあれば、 「1週間以内に検査しましょう。2週間以上放置すると症状が定着する可能性があります」 と、少し落ち着きを取り戻すものも。😌 とにかく週末で医者に行けないので、情報に振り回されるのは辞めて、日曜日はとことんリラックスすることにしました。🍵 「病は気から」と言いますね。経験したことのない耳の違和感は、正直不気味~ですが、「ぼわーん」として気持ち良い、という解釈も、不可能ではない。初めはちょっと無理がありましたが、 「右耳、奥のほう、気持ちいいなー、あー、気持ちいい」「細胞から何から、ゆるゆるほぐれてきたなー」と自己暗示かけ続けていたら、ホントに気持ちよくなってきました。(単純)👌   耳鳴りも、ワイルド→マイルドに、せわしない「シュシュシュシュ🚂」も来なくなり、 「キラキラキラ・チラチラチラ✨」を常にバックに、時折「ピヨピヨピヨ🐤」、「キーン🌠」、そしてお馴染みのモールス信号が、代わる代わるソロで登場。🎶🎶🎶 面白いじゃないですか、やっぱり! 宇宙との交信でしょう、これは、ねえ?   いつしか頭痛は消え去り、音に超過敏でもなくなり、元気が出てきました!  右耳を触ってこすってみたら、土曜日はその指の音さえ聞こえなかったのに、少し聞こえてきたではありませんか!!   おい、治るぞ!!??  つづく    

覚醒体験後(3)難聴の巻①

覚醒体験から3週間がたちました。   ベルギーのコロナ状況は、ロックダウン後少しずつ改善を見、一日の感染者数もピーク時2万人から5千人を切るまでに下がりました。 総人口は東京より少ないので、東京と比べたらまだ10倍も。でも減っているのは有難いことで、東京は逆に増えているのが気になりますね。   勤め先の病院も、コロナ患者数は減りつつありますが、変化続きのカオス状態は相変わらず。そのせいか今週は、職場で「困った状況」「苦手な状況」に随分出くわしたのですが、エネルギーに戻る技(?)のお蔭で、運気回復も早かったように思います。 まあ、良い感じだな、と思っていました。   ところが、木曜日の夜。寝る準備をしていたら、突然右耳の耳鳴りが始まりました。 翌金曜日も続き、鳴り方も、 「ぶーん」「キーン」「しゅー」「シュシュシュシュ(蒸気機関車みたいな)」と変化していき、鈴の音やモールス信号まで加わってきました!  「おお、これはきっと宇宙と交信しているんだ!」、と面白がって喜びつつも、仕事中は「耳鳴りのせいで聞こえづらいな」と感じ、 翌土曜日の朝、右耳が、全く聞こえていない、ことに気が付きました。💦   や、やばいんじゃないか? と、ネットで検索。 突発性難聴か、あるいは違う病気か、いずれにしても、 「一刻も早く受診しましょう、できれば発症後2日以内に!!」。 えーっ、そう言われても、週末に入ったばかりですよ! 仕方ないので月曜朝にドクターの予約を入れました。 さすがに不安に駆られ、「宇宙との交信」にも心躍らず、良く聞こえないのに音に過敏になり、耳の違和感、頭痛、で、エネルギーに戻る技も、空振り三振・・・。   🎃覚醒体験前日のような、不安と落ち込みの状態に戻ってしまった私まっちーこの耳に、ひたすら打ち続けられるモールス信号。   難聴の巻、今後の展開やいかに?!   つづく  

ベルギーのイケてる話(3)「激旨フライドポテト」

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 Afbeelding van <a href="https://pixabay.com/nl/users/chequeredink-2062887/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=1203082">Dan Johnston</a> via <a href="https://pixabay.com/nl/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=1203082">Pixabay</a>   前回はベルギービール、今回はフライドポテトで~す!   こちらも、去年FM東京(全国ネット)「世界のタカラモノ」と言う番組で、ご紹介したお話しです。   フライドポテトはベルギーが発祥、と言われています。その昔、誤解から「フレンチフライ」と呼ばれるようになってしまい、ベルギー人としては、大変!!!腑に落ちないようです。😠(笑)   さて、その ベルギー の、こだわりフライドポテトは、   まずジャガイモの種類が決まっており、通常「ビンチェ」という男爵系Lサイズを使います。細長く切ってから良く水気を切り、必ず二度上げします。初めの温度は150度、2回目は170~180度。日本ではほぼ各家庭に電気炊飯器があるように、 こちらではほとんどの家庭にフライドポテト用揚げ器があります。「付け合わせ」ではなくあくまで「主食」、皆さん、凄い量を平らげます!   「いや、いくらなんでも、この量は!」💦と私も初めは思いましたが、サクサク・ホッコリの、激旨!! やめるきっかけをつかめないほど、食べ続けてしまいます。   これを毎日食べたら大変、太り続けるか胃を壊しますので、週に一度フライドポテトの日を決めている家庭が多いようです。(うちは因みに金曜日です)(あ、今日だわ!💕)   ベルギー発祥フライドポテト、アントワープでは「フリチェス」と呼ばれ、老いも若きも大好きなソウル

お知らせ

 「読んでまーす、でもコメントはちょっとー。(^_^;)」 とおっしゃる方々もいらっしゃるので、 「まっちーこへメッセージ」欄を作りました。 「名前」と書いてあるところを、「お名前」にしたいのですが、定形のようで変更できないのが、気になっています。(^_^;) もちろん、「お名前」はニックネームでも全くOKですよ! 何でも結構です、お気軽にメッセージくださいね!

ドタバタ遠距離介護(4)「生保申請」

ドタ遠(3)「グループホーム」のつづきです。   のっけからドタバタ最高潮でした、帰国初日、の翌日。   朝食後、すぐに生保申請書記入にとりかかりました。   ゴチャゴチャのテーブルの上を片付け、きれいに拭いて、用紙を広げ、 青い ボールペンを手に取り、・・・おいおいおいちょっと待て、日本は 黒 だよーっ!!💦 ほっほっほっ、何かとスリリング!💦 そうです、ベルギーでは、正式な書類は 青ボールペン で書くのです。   母の略歴、家系図、申請の理由、などなど、すでに下書きしてあったものを何度もチェック。西暦→日本の年号も間違いないかチェック。💢あーーーっ、しまった間違えた! 修正液? 線で消してハンコ? どっちっ?!💦💦 いいや、後で聞こ。   約束の時間午前10時に間に合うよう何とか記入を終え、いざ市役所へ。帰国後2週間の自宅待機期間は市役所に来ないよう初めは言われましたが、結局短時間ならOK、と言うことになりました。   役所といえば決して忘れてはいけないのが、 印鑑 !!!です。これまで何度忘れては青ざめたことでしょう。やっと学んだまっちーこ、ここ数年は帰国の度に印鑑2~3本、どこに行くにも飲み会に行くにも持ち歩いています。ま、その印鑑も、廃止方向なのだそうですね。   さて、生保申請に話を戻しますと、去年(2019年)の帰国時に、生保について初めて相談した女性職員Sさんがその後もずっと担当、初めは柔らかい口調の中にも申請のキビシ~イ道のりを感じさせるお話しがありましたが、ケアマネが間に入り話が具体的になってからは、常に親身で協力的な対応を頂きました。申請が通ったあとはケースワーカーが担当となり、Sさんとはこの日までということで、お互いに別れを惜しむような感じさえありました。💓   「審議の結果は2週間後」と言うことでしたが、大丈夫!と、根拠のない確信に満ちて、市役所を後にしました。     団地に戻り、昼食後は、その翌朝に控えた母の家具類引っ越し準備へ。💪   グループホームのお部屋は6畳ほど、ベッドは備え付けなので、持って行くものはそう多くなく、テレビ、小タンス、洋服ハンガーラック、衣装ケース、小テーブル×2、クッション、寝具、その他、といったところ。それでも半日もない時間での準備となると、ヘヴィ

覚醒体験後(2)「眉毛が、ね」

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ハロウィン🎃覚醒体験から、2週間がたちました。   今週何か変わったことがあったかと言うと、眉毛が、ちょっと、ね。(^-^)   お顔が重力に逆らわなくなってきた難しい?お年頃でして、わたくし。「あるがまま」もいいんですが、眉毛が下がってきたのがどうも気になり、最近は眉毛の先端を指でキュッと上げてから、落ちてこないようにワセリンで貼り付けてたんです。   それを、今週はしなかったんですよ。ワセリン貼り。エネルギー全開→リフトアップしちゃったみたいですよ! まあ、なんて素敵!✨  <a href="https://pixabay.com/ja/users/openclipart-vectors-30363/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=149674">OpenClipart-Vectors</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=149674">Pixabay</a>からの画像   「✨それは良いけど、まっちーこ、ハロウィンの日に何があったのか、早く言わんかい、こら💢」と思われてる方も、いらっしゃるかもしれません。   連日関係ない話ばかりしているようですが、実はそうでもないんですよ。特に「ドタバタ遠距離介護 」は覚醒体験の下地になっているので、頑として(!)外せないんです。スミマセン。m(__)m   さて、それはそうと、ブログを書き始めたのが11月7日で、今日は15日、9日経ちました。 統計を見たら、ぴったし800のアクセスが。え? これは、多いですよね? ビギナーにしてみたら、ね??   おめでとう、まっちーこ 800 !🎊、ありがとうございます、皆さま!💞   とはいえ、ブログ初心者🔰も良いところな、わたくしです。やっと写真やイラストを入れ始めました

ドタバタ遠距離介護(3)「グループホーム」

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ドタ遠(2)「いざ母の元へ」のつづきです。     さて、黒塗りハイヤーで実家の団地に到着した、VIPまっちーこは、・・・   「あらー、いらっしゃーい💕」   と、相変わらずノーテンキな天然母のお出迎えを受け、スーツケースを家の中に引きずりこむと、一息つく暇もなく銀行へ!💨 翌日の生保申請時に母の所持金が6万円以下である必要があり、グループホームへの初期費用を引けば、ちょうどそういう金額になる、これも、全くの偶然ラッキー✨でした!   団地敷地内の銀行で初期費用を振り込み、スーパーでお昼のおにぎり🍙を買って戻り、母にとっては団地での最後の食事、でしたが、感慨にふけってるヒマもなく、昼食後すぐにタクシーを呼び(母腰痛で歩行困難だったため)二人でグループホームへ!   コロナで入居者の家族も面会不可となっていましたが、私は入居契約と引っ越しに際してなので特別に、マスクとフェイスシールドをして建物内へ。グループホームは2階で、母の部屋は、何と角部屋で窓が二つ! おお、またしてもラッキー✨! ベッドは備えつきなので、母の身柄(!)はその日からそこで、家具の引っ越しは翌々日に予定し、業者は既に帰国前に頼んでありました。   延々と続くグループホーム契約事項の説明を受け、署名とハンコをこれでもか!と押しまくり、ようやく晴れて契約完了! 母を残して私はバスで団地へ。 「慣れるまではちょっとかかるでしょう」 「でしょうね、団地には54年住んでましたから」     と所長さんとも話しましたが、数日後に聞いた話では、 「初めだけちょっと戸惑っておられましたが、2分後にはすっかり慣れ、もう長く住んでいる人みたいですよ!」と所長さん!      何と、あっ晴れ!な、切り替えの早さ!      「健康と幸せの天才」我が天然母の辞書に、「執着」と言う文字はない。😄👏        滞在初日、うちの中はこんな感じで、ごちゃごちゃ。😨    引越し、家の引き払い、手続きすべて、果たして3週間弱の滞在で出来るのかー?!        つづく😰

ベルギーのイケてる話(2)「絶望から生まれたビール」

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去年、FM東京(全国ネット)「世界のタカラモノ」と言う番組に、人づてのご紹介で出演し、そこでさせて頂いたベルギー・アントワープに纏わるお話のひとつを、以下ご紹介しますね。    それは、 ベルギービール について、です!  <a href="https://pixabay.com/ja/users/mrsvickyaltaie-5621291/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=2404150">Victoria Al-Taie</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=2404150">Pixabay</a>からの画像     独特の風味で日本でも大人気のベルギービールですが、実はこれ、「あれもない」「これもない」という、 絶望的な状況 から生まれたものなのです!   どういうことか、と言いますと、   ベルギーは葡萄が取れずワインが作れない、そこでビールを作ろうとしたが良質のホップも 採れない!、そんな悲しい土地柄でした。しかし、それでスゴスゴと諦めるベルガエ族でしょうか? いいえ、とんでもございません! 彼らは知恵を絞って工夫を凝らし、ホップを補う形で様々なハーブやスパイスを加えて、頑として(?!)ビールを作ることにしたのです!   一体どれほどの試行錯誤があったことでしょう。「やっぱり駄目か」とガックリ肩を落としたことも、一度や二度ではないでしょう。 それでもまたヤル気と情熱を取り戻し、加えるハーブや熟成の仕方をとことん追及、そしてついに、何と1000種類を超えるビールを作り出し、それぞれのビールの特徴を最大限に引き出すための形の違うグラスまで考案! 他に類を見ない繊細でバラエティーに富んだ風味は、世界中にファンを生み出すところとなりました!   私たちも今、コロナ

ドタバタ遠距離介護(2)「いざ母の元へ」

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 ドタ遠(1)「序章」のつづきです。   2020年の年明けごろから、母の一人暮らしは、ついに難しい局面を迎えました!   銀行でお金を下したり、クリニック定期検診に行ったり、それまで出来ていたことが怪しくなり、敏腕ケアマネと優良ヘルパーさんのご好意&ご協力で、何とか凌ぎました。   そして、お金の事。   母の国民年金は、住んでいた団地の家賃にちょい足りない額で、父の他界後19年間、生活費はずっと貯金で賄ってきました。その残高がとうとう5月に底をつき、差し当たって私が海外送金。生保を申請するには、団地の家賃は高すぎるため引っ越しが必須。敏腕ケアマネの協力で生保受け入れ可のグループホームと特養をいくつか申し込み、ウェイティング・リストに名前を載せました。   夏ごろから、母は日々のお買い物も怪しくなり、続いて腰の痛みもひどくなったところへ「グループホームに空きが出ました」との知らせ! そこは実家から近く、環境抜群、評判も良い! 私も「できればここが」と目を付けていたのでした。それまでは施設行きを頑として拒んでいた母も、腰は痛いし衰えの自覚ありでグループホーム・デビューに乗り気! よし、このタイミングを逃してはならないっ!!    いきなりな三週間弱の休暇も、何と!有給で取ることができました!👍👍👍「全体のために個を犠牲にしない」ベルギー気質よ、ありがとう!! ただ「有給」に至っては、色んな偶然が重なっての事で、全く奇跡的でした!   一方、グループホームさんは、唯一の家族が海外在住という事が懸案事項となり、なかなか入居の最終OKが出ないっ!! 焦りが頂点に達する中、私は努めて冷静に、「ご心配は大変ごもっともです。がしかーし」と母が認知症になってから7年間、海外からのサポートが意外にうまく行きました過程をメールにしたため送付。やっと晴れてOKを頂き、帰国準備突入!    ベルギー出発は9月14日。ANAのフライトは目を見張るほどガラガラで、乗務員とお客の数が同じくらい?!に見えるほど。それでも接客態度は全く変わらない日本人は、本当に素晴らしい、と再認識。   羽田空港で受けたコロナテストは、結果が早く出る唾液採取の抗原検査に変わっており、これもラッキーありがたや! 投票所のような仕切りがあるところにみんなで横一列に並び、目の前にはレモンと梅干の写真が(笑)。試験

ベルギーのイケてる話(1)「少数派を尊重」

「個」を主張するメンタリティーには、もちろん良い面もたくさんあります。ベルギーは、社会の少数派も尊重するイケてる国、でもあるんですよ!   例えば性的少数者の人権・市民権は、EUが世界で最も先進的ですが、ベルギーはそのEUの中でもトップクラス! 同性婚は、オランダ(2001年)に次いで、世界で二番目に早く(2003年)認められました。🎊    私の周りでも、ファミリー、友達、職場、ご近所に、同性カップルがふつうに混在・共存しています。 日本もだいぶ変って来たようですが、まだまだこのレベルではありませんよね。   数年前のことですが、「みんな有名人」という、一般人のインタビューなどで構成されている夜6時台の番組を見ていたら、40代くらいのごく普通の女性が「私はレズビアンで、娘のお友達に恋していて、・・・」なんて話をさりげなくしていて、「そっか。そういうこともあるよねー」と思いながら聞いていたのですが、ふと!、これが日本で日本の番組だったら、仰天して椅子から転げ落ちたのではないか?!、と思ったことがありました。(ちょっと大げさ?)   職場(老人科)でも、ありますよ。ゲイの患者さんに、ボーイフレンドがお見舞いに来たり。さすがに多くはないですけどね、高齢者世代だと。「娘がレズビアンでね」なんて話はよく聞きます。「初めは驚いたよ! ショックだったし。でも結局、ね、本人が幸せなら良いんだよね」。   本人が幸せなら良い。たいへん良く聞く言葉です、こちらでは。👏💕👍   この記事の締めくくりに、「ひきりん」さんのブログをご紹介したいと思います。   「ひきりん」さんはベルギー在住の日本人男性で、イブさんというベルギー人男性と結婚されて首都ブリュッセルにお住まいです。私は数年前この方の、とても感性豊かでセンスの良いブログに出会い、こんなブログが書けたら良いなー、と思ったのでした。   時々訪れるとホッコリ気分になれて、「 もっと自分を大切に、丁寧に生きよう」という気持ちになります。   ヨーロッパ発日欧ミドルGAYカップルのツレ連れ日記 https://ameblo.jp/hiquirin/          

ベルギーのまとまらない話(2)「方言を貫く人々」

私が住んでいるアントワープは、北部オランダ語圏、「犬」で有名なフランダース地方に属しています。    「フランダース」は実は英語読みで、フランス語では「フランドル」、オランダ語では「フランデレン」、となります。これより以下は、元の呼び方「フランデレン」で統一させていただきますね。   フランデレンで話されるオランダ語は、オランダのオランダ語とは大分違い、更にアントワープ 始めそれぞれの地域で、独特の方言があります。   こ・れ・が・ま・た、キョーレツ!でして! !   アントワープ弁は、アントワープ語と言うべき!、というお話しはコメント欄でもさせていただきましたが、実は他の地域もまた同様、フランデレンのテレビでも、方言だとたいてい字幕が出る、それぐらい違います。日本だと、青森あたりの高齢者が話すと字幕出たりしますが、普通は出ませんよね?    職場の同僚が、「うちのファミリーは、オーステンデ(フランデレン西部・海辺)とリンブルグ(フランデレン東部)に散らばっていて、お正月に集まると、訛りの嵐でほとんど会話にならないのよね」と。 そのフランデレンの総面積は、日本でいうと長野県とほぼ同じ。どうでしょう? 長野県内で、地域によって、違う言語が話されている、と思ってください。💦    つまり。「まとまらない話」を無理やりまとめると、   「個」を主張するベルガエ族の末裔たちは、自分の方言も、頑として貫く!、ということです!   自分の話を分かってもらえるか、より、自分のアイデンティティーを全面に押し出す、ことのほうが大事だ、ということですよね、これは?   すごくないですか? 色んな意味で。    いや私は、これは、・・・ちょっとくらいは影響受けてもいいのかな、と思ったりもしますが。💦   残念ながら、若い世代は、あまり方言を話さなくなっています。私の職場・老人科などは、アントワープ語を学ぶには、最適の環境! お蔭で、コテコテになりました!👍      

ドタバタ遠距離介護(1)「序章」

天然系で超健康優良婆、そんな母の認知症が発覚したのは、2013年の事でした。   老人看護・介護職員ほど、自分の親となると、凄い例を毎日見ているだけにパニックになる、という話も聞きます。 私もご多分に漏れず、しかも母は日本、私は海外、父はすでに他界、おまけに私は一人っ子、大パニックに陥る材料は十分すぎるほどでした!   「夫を置いて一定期間日本に帰り、母の介護をしよう」と思ったわけですが、 仕事の事収入の事、夫が当時うつ病だったことなど、簡単に決められることではなく、まずこういう時こそ努めて慎重に、なることにしました。   大変ありがたいことに、ご近所の方々や、おじ・おば達の、親身の協力を得ることができました! また本人は、認知症だという理解はありませんでしたが物忘れが多いという自覚はあり、すべて手帳に記入してそれを確認しながら生活、それが結構ちゃんとやれている!    その後母は要介護1の認定を受け、ケアマネとヘルパーさんのサポートを頂き、デイサービスにも通い、私自身は毎日母に電話と年に二回の帰国で、様々なことに対処してきました。   今は幸いネットで色んなことが瞬時に対応出来るので、スリルとサスペンスもありましたが、結局「長期介護帰国」することなく、何とかうまく行ってきました。もちろん母をお世話くださった方々の並々ならぬご好意なくしては、あり得ないことでした!   ところが、2020年の年明けごろから、・・・。   つづく        

ベルギーのまとまらない話(1)「個を主張するベルガエ族!」

ベルギーにベルギー語というものはなく、北部はオランダ語、南部はフランス語、東部の極一部がドイツ語です。言語圏の違いは、文化や気質の違いにも及び、国としてまとまるのが大変です!  建国してまだ200年も経っていないこの国は、ベルギー人の夫に言わせると「ヨーロッパの余っちゃった地域を合併させた、つぎはぎ国家だよ」。   なるほど。では、「つぎはぎ」する前のこの地域は、どんなふうだったのでしょう?   かつてローマ帝国が広大な地域に支配を広げていた時、最も激しい抵抗にあい手こずらされたのが、今のベルギー地域に住む「ベルガエ族」だったそうで、  当時から、長いものに巻かれない、 「個」 を主張する人たちだったようです!  ベルガエ族はもともとケルト民族で、ベルギーの語源ともなったベルガエは、ケルト語で「戦士」を 意味するとか。   ・・・怖い国に来てしまったものです。(汗)   そして、5世紀ごろ。ローマ帝国が衰退しはじめ、ゲルマン系フランク族が(今の)ベルギー北部を占領、ローマ帝国はベルギー南部に後退。これがゲルマン系北部、ラテン系南部と、言語・気質・文化が分かれるルーツになったそうです。   その後この地域は、フランス、オーストリア、スペイン、オランダに代わる代わる支配され、ベルギー建国後は2度の世界大戦中ドイツの支配を受けました。第二次大戦後、ドイツからベルギー領土となった地域が、東部極一部のドイツ語圏です。   ということは、ですよ?   ドイツ語圏は別としても、北(オランダ語圏)と南(フランス語圏)は元々は同じ「戦士」ベルガエ族だったはずですね。「つぎはぎ国家」とは言い切れないようにも思いますが。 兄弟が長いこと別々の環境で育ち、大人になってから「今さら”兄弟だ”と言われてもさー、シックリこねえんだよなー」 と言う感じなのでしょうか。   まあそういう訳で、ベルギー人が、他の西洋人にも増して、国家や所属団体より個人を大切にする傾向があるのは、こうした歴史が深く関係しているようです。   そして離婚率も、何と、 世界一 、です!!🎊   最新の調査では、コロナ離婚にまだ至らずとも、夫婦三組に一組が危機にあるんだそうですよ!! スゴイですね~!!!   ・・・えっっ?「お宅は大丈夫か?」、って??   ブログなどにうつつを抜かして、夫をほったらかさないようにしないと

覚醒体験後(1)「一週間後」

ハロウィン 覚醒体験から、一週間が過ぎました。   日常にもどれば、ベートーベンが流れ続けることもなく、至福を感じ続けるでもなく、以前の状態にまた戻ってしまった、かというと、いや、そうでもないのでした。(なんだそれは?)   職場はこの週、拍子抜けするほど患者さんが少なく、「おお、ラッキー🎶」、と高をくくっていたら連日ハプニング続きで残業! 身近な同僚2人にコロナの疑いが出てスリリングでしたが、2人とも陰性でホッとしたり。   状況で一喜一憂したり、分離された「個」の感覚がすぐに蘇ったりするんですが、「私はエネルギー」にもすぐに戻れる。そんな感じ、なのです。   分離された「個」の感覚、つまり 不安、孤独、優越感、劣等感、などなど、状況に応じて相変わらずちょこちょこ出てくるんです。が、どこかそれらに「楽しさ?」「懐かしさ?」が伴うような、「エネルギー」に戻らないで、ちょっとこのまま味わおうか、なんて思ったり、やっぱり違いますよね、以前の状態とは。   これがこれからどう発展していくのか。もっと大きな状況の変化にあっても、 「エネルギー」に戻れるのか。今後のお楽しみです!   これを書いているさなかに、「バイデン氏大統領選当選確実」のニュースが入ってきました!   時代は変わりますね!!

プロローグ

2020年秋。コロナ第二派が猛威を振るう欧州。                    中でも感染拡大が最悪となった、「ヨーロッパの心臓」欧州の真ん中に位置する小国ベルギー。周辺国はすでにロックダウンに踏み切る中、一足遅れてロックダウン決定が下されたのが10月30日のことでした。   みなさん始めまして! まっちーこです!   ベルギー・フランダース地方のアントワープに住んで20年になります。地元の大病院老人科で看護助手として、17年勤務しています。   日本では一度も正社員として勤めることが出来なかった、というか初めから自分には向いていないと思い、演劇、音楽、障碍者自立支援など好きなことをしながらフリーター→契約社員→自由業で何とかやってきました。 そんな自分が海外移住後に正規職員で17年もやれているのは、全く驚くべき快挙! ベルギーの、色んな意味での「緩さ」のお蔭です。   ベルギーのかなり徹底した「個人尊重」、全体のために個を犠牲にしないメンタリティーも、一従業員としての働きやすさに大いに影響しているように思います。社会の少数派を尊重する気質も多くのベルギー人に見られ、人種差別を受けたこともほとんどありません。 (もちろんレイシストはどこにでもおり、私はラッキーだったということもありますね。) コテコテのアントワープ弁をしゃべるヘンな日本人として、地元に溶け込み、日々楽しく働いています!   その勤務先では今、コロナ患者急増と共に同僚やドクターにも感染者が続出、状況は悪化の一途。東京では一日の感染者が200人超えた!と騒いでいる中、こちらは東京より少ない総人口で一日の感染者2万人を達成!! 人口比を考えたら一日の感染者10万人のアメリカより5~6倍ひどい!  周辺国のメディアは「ベルギー、栄誉なきコロナ首位!」、隣国ドイツは「理解に苦しむ、ベルギーの惨状!」。・・・。   この小国は、なぜ第二派コロナ大国になってしまったんでしょう。長所でもある「緩さ」と「個人尊重」が、今回は思い切り仇になってしまったようです。   他者を批判することは有害無益、と重々承知しつつも、対応の悪い政府、意識の低い人々に、怒りの矛先を向けずにはいられませんでした。ロックダウンが決定した30日は金曜日、週末オフを挟んだ月曜からの仕事をこれほど憂鬱に感じたことは、これまでになかったような。