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ハロウィン🎃覚醒体験! ~ドタ遠(17)~

ハロウィン🎃覚醒体験 という別カテゴリーに入れましたが、 実質ドタバタ遠距離介護(17)でして、 ドタ遠(16)「滞在をお楽しみください」のつづきとなります。   そのような次第で、10月5日ドタ遠帰国よりベルギーに戻ってからと言うもの、私は、   「ベルギーのマジかよコロナ対策」「混乱極めるウチの病院」「決まりを守らん意識低すぎ(一部の)こちらの人々」に心を乱され、批判とジャッジの鬼👹と化し、悲しいかなブータレまくり💢の日々、を送っておりました。   そして、2020年10月30日、 「ベルギー、栄誉なきコロナ首位」の記事を読み、続いて、そんなベルギーの遅すぎロックダウン決定を聞き、気分落ち込み奈落の底~!、となったのは、プロローグで書きました通りです。   そしていよいよ、10月31日、ハロウィンの日!    ベルギーのイケてる話(1)でご紹介いたしました、ひきりんさんのブログによると、 https://ameblo.jp/hiquirin/ その日はハロウィンとしては46年ぶりの満月で🌝、しかもブルームーン&マイクロムーンだったのだそうです! 私は残念ながら見ていませんでした。😣 ・・・あ、で、初めに言っときますが、その日、特に、何も起きていませんので。ね。   は?   いや💦、あの、 外側の現象としては、です。   天上から光の玉✨が下りてきたとか、 ドドーンとカボチャの神様🎃が現れたとか、そういったことは、何もありませんでした。 ガッカリした? 御免なさい。🙇   では、何があったのかと言いますと、   「もう状況に振り回されるのは、嫌だ!!!」 という強い思いが、私に沸き起こりまして、   ふと、一か月前の「ドタ遠」を思い出し、どうしてあの時はすべてがうまく行ったのか? 滅茶苦茶大変な状況だったのに、どうして自分はそれに振り回されるどころか、苦手な事務仕事さえパッパカこなし、それを楽しむことさえできたのか??   と、つらつら思いを巡らしまして、   そして、「ああ、自分の心の在り方が、違っていたんだな!」と。「どう違っていたのか? ・・・うん、そうだった、・・・なるほど、そうか!」と、   既にお話し致しました、「決めて信じる、味わい楽しむ」の気付き☝に至った、と言う訳です。   「ドタ遠」ではそれが自動的に出来ていましたが、ベルギー

ドタバタ遠距離介護(16)「滞在をお楽しみください」

ドタ遠(15)「ベルギーへ」のつづきです。   ベルギーのコロナ第一波は、2020年2月末のスキーバケーション・シーズン後に起こりました。  イタリアなどで感染爆発が既に騒がれていましたので、ベルギーでも空港など国境でチェックが行われるだろうと思ったら、何と、ただの「野放し状態」でした。フランスなど周辺国も同様だったようです。   人々は何のチェックも受けず、通常通り帰って来て、 家族に会い、友達に会い、おじいちゃんおばあちゃんにも会い、こちら式挨拶の頬にキス三回をやり、握手して、ハグをして、仕事や学校に戻り、   コロナ第一波の、大爆発が起こったのでした。結果、ヨーロッパ中が相次いでロックダウンへ。   規制の甲斐あってベルギーでは6月ごろ状況改善が見られ、生活が少し通常に戻りました。が、ホッとしたのも束の間、8月初めには我が街アントワープで再び感染拡大が始まり、その後あちこちで増え始め、夏休み後の大爆発を懸念して、ベルギーでは空港や国境で「旅行者質問書」記入が義務化されました。   私も、そういう訳で、日本を発つときにオンラインで質問書に記入しました。機内でも、 オンライン記入が間に合わなかった人のために、書類を配っていました。羽田でも、乗り継ぎをしたフランクフルトでも、「ベルギーに行く人は質問書記入を忘れないよう」再三注意を受けました。   ところが、    到着したベルギーの空港内では、その書類を提出する場所もなく、オンライン記入したのか聞かれることもなく、更に、質問書記入後は、PCR検査を受けるべきかどうかの指示があるはずなのに、それもない!、まま!、だったのです!!!   唯一私が受け取ったのは、「ご記入ありがとうございました。ベルギーでの滞在をお楽しみください」というメール回答のみ。「もしや、どこかに仕掛けが?」と、穴が開くほど読み返しましたが、やはりそれだけ。 幸い、ベルギーの日本大使館から「日本人は入国制限なし、検査の必要も無し」という情報を得ていたので、それで良しとしましたが、   なんという、ことだ、ベルギー??!!   「旅行者質問書」がちゃんと機能していないらしい、ということは小耳にはさんではいましたが、これでは「野放し状態」だった第一波直前と、ほとんど変わりないじゃありませんか! すでに到来していた第二派は、その後当然のごとく勢いを増し、

ドタバタ遠距離介護(15)「ベルギーへ」

ドタ遠(14)「決めて信じる、味わい楽しむ」のつづきです。   2020年10月5日。いよいよベルギーに戻る日がやってきました。   夕方の便だったため、午前中は時間がありました。高齢者移転事務所で使った、母の通帳、印鑑、その他をご本人に返すためグループホームに行き、最後と言うことでほんの短時間、中に入ることが出来、母に会わせていただきました。 母は、・・・いたいた! 静かで、穏やかで、明るく和んだ雰囲気の中、他のお仲間と、お椀などの洗い物を布巾で拭いていました。このグループホームに入れていただき本当に良かった、と、目頭が熱くなりました。   所長さんに残りの手続き関係など逐一お伝えし、母とはハグもできませんから、遠くから「はい、またねー!!」と手を振り、職員の方々に「今後ともよろしくお願いいたします!」と頭を下げて回り、最後までドタバタしながら建物を出ましたら、 うっかりバスの時間を気にしていなかったことに気付き、「しまった💦」と青ざめた瞬間に、何とちょうどバスがやってきたではありませんか!🚌   おお、最後まで、「何故かうまく行った」!!🎊   羽田空港国際線ターミナルに到着すると、不気味なほど「しーん」と静まり返り、人は超まばら。夫にバームクーヘンを買っていくつもりでしたが空港のお店はすべて(国際線だけでしょうが)閉まっていまして、断念。   飛行機を待つ間、そしてガラガラの機内で、 この度のドタ遠をしみじみ振り返り、「やるだけやった」と満足していました。完璧ではなくても、すべてうまく行ったことにひたすら感謝し、嬉しい充実感を味わっていました。 ただその時はまだ、前回書きました自分の心の状態についての「気付き」には、至っていませんでした。   さて、ブリュッセル国際空港に到着したとたん、せっかくの満足・充実感に冷水💦💦を浴びせるような、「ベルギーの呆れる現状」が、私を待ち受けていました!😱 つづく    

ドタバタ遠距離介護(14)「決めて信じる、味わい楽しむ」

ドタ遠(13)「 何故かうまく行く!②」のつづきです。 ドタ遠のときの私の心境には、「決めて、信じる」以外に、「味わい、楽しむ」というものがありました。   ここ数年の帰国は、いつも初夏と晩秋でした。今回2020年は、9月中旬から10月初め。晩夏から初秋の日本を訪れたのは、20年ぶりくらいでしょうか。 初日の夕方、力強い蝉の大合唱が聞こえてきました! わー、蝉なんて、20年ぶりだ! ミーンミーンミーン、ツクツクボーシツクツクボーシ🎶!    その数日後、合唱団は蝉たちから秋の虫たちへと入れ替わり。松虫、鈴虫、チンチロリンチンチロリン、リンリンリン、なんと清らかで美しい! うっとりと聞き惚れながら、眠りにつくその心地よさたるや、ムニャムニャムニャ・・💤。   蝉も、秋の虫も、ベルギーにはいないのかしら。鳴き声を聞いたことがありません。   更に数日後は、「しん」とした静けさにすっぽりと覆われた、秋の夜。 季節の移り変わりを、こんなふうにしみじみと味わえる、これぞ、人生の彩り。   ドタ遠帰国とはいえ、こんなふうに「日本にいる」というだけで、心は浮きたち、研ぎ澄まされるのです。海外に住んでいらっしゃる方なら、きっとこの気持ちはおわかり頂けるでしょう。   独特の季節感、人々の礼儀正しさ、お店やスーパーで売ってる品物なんか、見るだけで至福!! わー、よもぎ餅! わー、メロンパン! お総菜コーナーも天国の如し! コロッケだ! 揚げ出し豆腐だ! もう、嬉しいの楽しいのなんのって、ぜんぶ買っちゃいたい!!   カフェに入ればお水が出てくる、レストランに入ればおしぼりも出てくる! トイレはピカピカウォシュレット! ああ、素晴らしい、ああ、至れり尽くせり! 街を歩いていても、どこにいても、ああ日本だ🗾、満喫しよう💕! となるんです。   まさしく、「今ここ」をひたすら「味わい、楽しむ」マインドフルネスが、努力なしで自動的にできてしまう状態、なわけです。   もちろん、滞在主目的はあくまでも「ドタ遠」。 意外な事態に遭遇!、まるで思った通りいかない!、超青ざめるしかない!!、・・・連日起こります。 ただ、通常と違うのは、そこで「落ち込んだり」「くよくよしたり」「自分を責めたり」「他人や社会を責めたり」「いつまでもブータレたり」   そんなことに割いている時間はない!!!  と

ドタバタ遠距離介護(13)「何故かうまく行く!②」

ドタ遠 (12)「何故かうまく行く!①」のつづきです。 「それだけではなかった」   他に、では何があったのでしょう? それは、「ドタ遠」時の 私自身の意識 、 心の在り方 、が、通常とは違っていた、ということでした。 まず、通常に、フツーに、考えてみましょう。 高齢の母は認知症で一人暮らし。一人娘の私は海外在住。 どんなことが起こるでしょう。良い想像は難しい反面、悪い想像は、いくらでも思いつきます。想像は妄想となり膨張し暴走し、たちまち自分自身がそこに巻き込まれ、嵐にもまれる小舟のごとし、となります。   5,6年前のことでした。 日本で母とテレビを見ていた時に、「家族5人と住んでいた認知症の男性が、 夜こっそり外に出てしまい(家族は誰も気が付かなかった)そのまま行方不明」といった実話が紹介されていました。 母は他人事のように、「認知症、コワイねー」 私はと言えば、「うわー💦 そうか、一緒に住んでたって、こういうことはあるんだ!」 勤め先の老人科でも、患者さんが病院を抜け出してしまうことが、稀にあります。そのまま見つからなかったことは幸いありませんが、「一体どうやって!!??」ということが起こったりするんです。絶対に安全な場所は、どこにもありません、ということです。 とにかく私としては、母の事は、   「 必ずうまく行く!! 」   と 決めて 、 信じる 、しかありませんでした。   「お母さんをベルギーに呼びよせればいいのに」、という人も結構いらしたので、ここでちょっと付け加えておきますと、まず本人が、「旅行で行くのは良いけど、住みたかないね」。 日本語で話せるのも私だけ、私と一緒でなければ本人どこにも行けず何もできず、一気に衰える可能性大。「老木は植え替えるな」と言うコトワザも、こちらにはありまして。   いずれにせよ、ゴチャゴチャ考えるのはストレスになるだけ。こうすればOK!という、確実な有効策も安全策もないし、あとは、何しろ母の人生ですから「本人の意向」を第一に、その時その時に対処するのみ、でした。    「必ずうまく行く!!」と決めて、信じる。 その根拠の皆無さにもかかわらず、 これはしかし、凄い力を発揮しましたよ! 母宅の電話機を皮切りに家電が次々に壊れたり、母の親しかったご近所お二方が相次いで引っ越すことになったり(能天気な母もこれには大ショック

ドタバタ遠距離介護(12)「何故かうまく行く!①」

ドタ遠(11)「さようなら実家」のつづきです。   さて、10月を迎え、日本滞在も残すところあとわずかとなりました。   実家とお別れした翌日10月2日は、生保申請結果が出る日でした。例の根拠のない確信どおり、OK!を頂きました!👌🙆    市役所で手続き各種を終えた後、幼馴染と待ち合わせてランチ。 「何食べたい?どこに行く?」と聞かれ、「お蕎麦!天ぷら蕎麦!!😆」 私が呼び出したのに、ここでもまたご馳走して頂いちゃいました!m(__)m💦   当初は10月4日にベルギーに戻る予定でしたが、コロナで便が欠航、5日に延期となりました。職場に伝えたところ、「あと1日休暇?!オッケー、何とかしましょう」。こちらも何故かすんなりと。 ホテルの部屋を簡易事務所にして手続き関係の残りと、あとは友人に会ったり100均など買い物三昧するつもりでした。コロナで今度いつ日本に来られるかわかりませんからね、あれもこれも買っとかないと。   が、いや待てよ、滞在が1日伸びたのなら、前々から是非!!受けたいと思っていた、「研勢塾」の初級講座を受けよう! と思いつきました。   「研勢塾」は、「すべての武道・武術に通じる極意」を個人指導しているところで、太極拳の姿勢と動きを日常生活に活かす取り組みを続けている私は、2年前にその先生のブログに出会い、 「こ、これだっ!!!!!!!!」 と、完全にハマってしまいました。 が、海外在住ですし、帰国と言えば「ドタ遠」、受講する機会はそれまで全くなかったのです。   「初級講座・全6回を3~4日間でやる、というのは無謀かな。いや、そもそも今から予約ってのが、無理でしょう、ふつう💦」と、まあダメもとで問い合わせてみたところ、 「その日程とその時間帯なら、それぞれうまい具合に、全部空いてます!」と、先方もビックリ!! 他の生徒さんの病気ドタキャンが重なって、のことでした。   いやー、今回受講出来て、本当に良かったです!! 折良く先月から、研勢塾のオンラインサロンが出来たので、そちらで受講を続けています。   研勢塾については、取りあえず、ここまでにしますね。ご興味が湧いた方は下記へどうぞ。 https://ameblo.jp/yspo/     と言う訳で、この度のドタ遠。最後の最後まで 、「何故かうまく行く!」のオンパレードでした。🎊   こ

覚醒体験後(15)コロナの巻⑦

その間うちの老人科、職員の感染者は増え続け、現在10人ほどでしょうか。ただ、ありがたいことに重症だったTさんは回復中、他に今のところ重症者は出ていません。   私も軽症で喜んでいましたが、ある時点から回復が非常に遅く、この5日間ほど熱37度5分くらい、動くと咳が出る、という状態が続いています。症状が消えて少なくとも3日間経ったら自宅隔離を終えていいので、28日月曜日から仕事に戻る予定でしたがNo Goとなりました。😕   因みに、こちらでは38度からが「熱」なんですよ。ビックリしませんか? 私はしました。西洋人は平熱が37度くらいだから、ということです。うちの夫は平熱が35度台だったりしてますが。 で、日本は37度からが「熱」かと思っていましたが、37度5分から、なんですね。いずれにしても私は、こちらでは熱はなく、日本では熱がある、わけですわ。   アメリカの研究によると、ここ150年ほど人々の平熱は下がり続けているそうでして、この「熱」の基準も見直しが必要かもしれませんね。 また、平熱が低いと免疫力が下がって良くない、と良く言われますが、平熱が低い人のほうが実は長生きする、という調査結果もあるのだそうです。   以上、わかったようなわからんような、「世界熱事情」でした。ダラダラ書いただけで何のオチもありませんが。m(__)m   さて、昨日PCR検査を受けた夫は、陰性でした!🎉    私は感染力をまだしっかり保持しているので、引き続き注意が必要ですが、これは嬉しいクリスマス・ニュースでした!!🎅     つづく    

覚醒体験後(14)コロナの巻⑥

お見舞いメッセージをくださった方々、本当に有難うございました! どれほど元気づけられたかわかりません。この場をお借りして、もう一度お礼申し上げます。m(__)m💕   また、「コメント送りましたが、うまくいかなかったようです」とおっしゃっていた方も。   以前、「コメントにはグーグルアカウントが必要みたいですよ」とご指摘くださった方がいらしたので、誰でも書き込める設定に変えたのですが、何が問題なのか??今のところわからず、大変申し訳ありません。m(__)m💦 ちょっとずつ改善していきたいと思います。   さて、   土曜日から、熱(38度2分)、筋肉痛、咳、頭痛といった典型的な症状が出始めました。が、いずれも辛いというほどでなく、普通の風邪より楽かも、というくらいでした。昨日から熱も下がったようで、症状も大分消えましたが、逆に疲れが出てます。熱あったときのほうが元気でした。  「コロナさん、お願いした通り玄関口でとどまって、奥に行かないで下さったー」と、感謝しているところです!💖 心ってすごい、コロナさんにもしっかり通じるんですね!!(は?いや、本気で言っております、わたくし😊 ) 症状無しの自宅待機ですと、お給料の30%が引かれてしまうのだそうで(職場の集団感染の被害に遭って、のことなのにねー!)、症状が出ると病欠となりお給料が引かれるということはない、とのこと。なので、軽~い症状が出るのはかえって有難かったりして。 あとは、 と・に・か・く 、夫に移らないでくれるのを祈るばかり。🙏    え? 愛情深い? ははは💦、ま、それもありますが、彼は単なる風邪でも「瀕死の重病人かよ?!」というほど大騒ぎをするので、勘弁してほしいです。もう消毒しまくってます。   今のところご本人元気で、明日検査を受けることになっています。  🙏💦   文章に、な~んか勢いがないのを、書きながら自分でも感じていますが、ここはひとつご容赦のホド。   ではみなさん、明日は楽しいクリスマスイヴを!!!🎄 

覚醒体験後(13)コロナの巻⑤

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いやー、実はですねー。   ヘンな予感、があったんですよ。「コロナの巻」とか始めた時点で、すでに。😌 前回、「スリルとサスペンスはつづく」と最後に書いたときも、「これ、またもや陰性だったら、面白くないんじゃないか? お話しとして」、なんて思っちゃいまして。・・・😑。 予感的中🎯で、この度12月17日の検査は、 陽性 でございました!  老人科の患者さん3人と、私を含めて職員4人が、今回新たに感染していました。今後更に増えそうです。😓   私は、ちょっとだるくて絶好調✨ではないですが、今のところそれ以外に、特に症状はありません。一週間の自宅待機に入りました。   まあ、治る見込みが低かったらしい突発性難聴も、どこか面白がっているうちにほぼ完治しましたし、この際ですから、コロナさんとも楽しくやろうじゃないか♪、と思いました。 ウイルスも、同じ宇宙に共存する仲間です。何かのご縁で、今回私のところにいらっしゃった。大嫌いだったお薬とも仲良くできましたし、コロナさんとも仲良くしようじゃないか、と、 決めました! 💞   コロナさんは皆に嫌われ恐れられていますが、日本に関していえば、コロナの死亡者は調べたところ、12月18日の時点で2661人。シートベルト着用などで減り続けている交通事故の死者数は、去年は3215人。でも、クルマを恐れて嫌う人はあまりいませんね。   もちろん、クルマやバイクは危険な要素はあっても、とても便利です。コロナは便利などころか、大変大きな社会的弊害も。がしかし、   私に関していえば、コロナのお蔭で今年はもっと自分と向き合う、向き合わざるを得ない状況だったなー、と思っています。 何となく、いつものパターンで生きてしまうこと、たまに旅行に行ったり楽しいことをして気晴らしして、そういうことでちょっと誤魔化していたかもしれないこれまでの人生を、ロックダウンや不自由な生活で、じっくり見直してみることができました。👍   以前から趣味でやっていました太極拳指導とレイキやアクセスバーズなどのセラピー(これらについては、いずれ詳しいお話しをさせて頂きますm(__)m)を、今年から副業にするつもりで準備していましたが、コロナで棚上げ。 でも、かえって良かったんです。 自分が本当にやりたいことを仕事にしたいのに、それを邪魔する何かが、これまでずーーっと心の奥

ドタバタ遠距離介護(11)「さようなら実家」

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ドタ遠(10)「海外送金」のつづきです。   2020年9月30日。実家をカラにする日がやってきました。🌞   アシストのKさん+相棒Sさん+2人の作業員の方、計4名様が、朝のお約束時間ピッタリにいらっしゃり、さすがプロだ、と思わせる手際の良さで、仕事を始めてくださいました。 その傍らで、私はまず、今まで「高齢者移転事務所」用に使っていた電話機を母に返す準備と、専用アダプターをKDDIに返却する準備。そしてその晩からホテルに移動するので荷造りしてあったスーツケースと、掃除道具を部屋の隅に移動し、アシストの皆さんに「これは持って行かないでくださいね💦m(__)m」と念を押しました。   午後3時頃作業終了、とのことだったので、私はその間、郵便局(アダプター返却)、グループホーム(電話機を母に)、その後友人2人と遅めのランチとお茶(2週間の自宅待機期間もちょうど終わっていたので)、会話に花を咲かせながら、そこで作業終了の知らせを待つ、という段取りでした。   終了の知らせを受け帰ってみると、見事にカラ。お掃除もザッとしてくださってありました。 アシストの皆さんがお帰りになった後、私は翌日の査定に備えてお掃除。立つ鳥跡を濁さず。54年もお世話になった、感謝の気持ちを込めて。   夕方ホテルに移動し、その後は「実家引き上げ打ち上げ」と称して、ランチとは別の友人5人と行きつけの洒落た居酒屋へ。美味しい料理とお酒と会話を、心底味わい楽しみました。私が企画したというのに、呼び出した5人におごってもらってしまう、という感動結末まで。😂   そして翌日。査定の日です!💓 まずは、前日に引き続き、お掃除。その後、母が散々お世話になった下の階のMさんのお宅で、心のこもった美味しいお昼を御馳走になり、午後1時、いよいよ査定!   何となく怖そうな人を想像していましたが、大変腰の低い、感じの良い男性がいらっしゃり、 あちこち隅々までチェック、逐一記入して、計算され、   査定の人:「そうですねー」 まっちーこ:(どきどきどき) 査定の人:「追加費用として、こういう金額になりますが、よろしいでしょうか」 まっちーこ: (どきどきどきどき) ・・・あら、覚悟していた5万円の、約半分!!😮 理由は、畳と奥の部屋のフローリングがきれいだったこと、でした。うちはすぐに絨毯敷いてしまったので、

覚醒体験後(12)コロナの巻④

12月14日月曜日。   職場のコロナ集団感染発生後の、初出勤でした。😷 早速、同僚の誰か感染しているのか聞いたところ、TさんとKさんの2人が感染、症状もあり、そのうちTさんは重症。😧 更にもう1人N君が、この日仕事中激しい咳に見舞われ、検査後に早退。結果はまだ出ていない、と。   既に感染が分かっている2人は、しかし金曜日(私が検査した日と同じ)の時点では陰性で、その後週末に症状が出て再び検査し、陽性だったと! それ以外の同僚は誰も、今のところ陽性ではない、とのこと。 じゃ、誰が感染源だったの? という話なのですが、そこで仰天事実が!!😵 私は例の突発性難聴で2週間仕事を休み、その後先週は復帰しましたが、早番(面会時間の前)でした。なので知らなかったのですが、その間病院は、制限付きとはいえお見舞客を受け入れる体制に変わっていた、というのです!!   これには、呆れると同時に怒りが込み上げました。 ちょっと状況改善 → すぐ規制を緩める → 再び状況悪化 何度これを繰り返せば気が済むのでしょう?! 人の命までかかっているというのに!   が、ベルギー人の看護師長や同僚たちは、「うーん、まあでも、結局感染源はわからないわけだし」という、暖簾に腕押しのような反応。 確かに、患者さんの誰かが感染源である、という可能性もなくはない。というのも、コロナ検査は入院初日の一度だけで、その後はそれらしき症状がでれば、なので。 でも、あり得るリスクを最小限に抑える事が、一番大事なんじゃないんですか、今は??   トルコ出身の同僚Eさんは、私と同意見でした。するとこれは、西洋の個人主義と関係があるのでしょうか? 例の「 全体のために個を犠牲にしない」メンタリティーと?   長いものに巻かれないベルガエ族の象徴みたいな、うちのベルギー人の夫は、というと、 「この場合は、全くキミの言う通り!!!」👏 で、 先週金曜日の時点では陰性だった、老人科の患者さんと職員全員、17日木曜日、再びコロナ検査を受けることになりました。 スリルとサスペンスはつづく。😅

ドタバタ遠距離介護(10)「海外送金」

ドタ遠(9)「管理事務所にて」のつづきです。   多額の現金を持ち歩いてもまず問題ない、安全大国・日本。🗾 だからでしょう、今も現金で支払うことが非常に多いですね。実家を空にしていただく業者さんに22万円ほどお支払いすることになりましたが、当日現金で、が普通らしいのです。   が、これは海外在住者には難題なのです。😕  最近は、海外のクレジットカードでも日本でキャッシングができて便利ですが、 キャッシングはショッピングと違い限度額がヒジョーに低く、大金は引き出せないのです。   そこで、「銀行振り込みでも良いですか?」と聞き、「勿論です」と快諾していただいたのですが、私は日本には口座がないので、日本に居ながらにしてベルギーの自分の口座から海外送金をすることになる旨を業者さんに伝えたところ、   「あ、ちょっと待ってください、うちの社の銀行 、海外送金を受けられないようです💦」 私も海外送金は、今年始めたばかりの初心者🔰なので知らなかったのですが、口座が海外送金を受けられない、ということは結構あるようなのですね。個人の口座なら問題ないようですが、ビジネスの口座だと色々あるらしいのです。   で、経理の方、社長さんも巻き込んで、すったもんだをさせてしまいました。が、業者「アシスト」のKさんはいつも明るく気持ちよく対応してくださり、「今後お客様で、まっちーこさんのような方もいらっしゃるでしょうから、対応を整える良い機会です」と言ってくださいました。👍   散々御面倒をかけ、海外送金が受けられる口座を用意していただき、 やっと送金ができた、その後でフト気付いたのですが、「あれ、このすったもんだは必要なかったぞ!?」。   というのも、私が使っている送金会社のシステムは、こういうステップを踏むのです。   自分のベルギーの口座 → 送金会社のベルギーの口座  その後、 送金会社の日本の口座 → 日本の振込先   ですから、日本の振込先には、最終的にベルギーからではなく、日本からお金が送られることになるわけです。 私がウカツでしたー!😌 アシストのKさんにもその事をお伝えし、お詫びしましたが、最後まで明るく気持ちの良い対応でした。👍👍👍 これで私も学びましたし、アシストさんには、ビジネスをインターナショナルに広げる、絶好のチャンスをつかんで頂けたわけですね!

覚醒体験後(11)コロナの巻③

さて、その間ここベルギーのコロナ状況は、   厳しめのロックダウンのお蔭で、欧州コロナ首位から下位へと、栄誉ある転落(?!)を遂げていました! 🎊👏   感染状況が改善したとたん規制を緩めてしまった、オランダやドイツなど周辺国では、また顕著な増加傾向がみられており、いやはや全くイタチごっこですねー。💦   が、下位に輝いた✨とはいえ、ベルギーの感染者数は、まだまだ1日2千人を超えていまして(くどいようですがベルギーの総人口は東京より少ないのでーす)、減少は横ばい状態となっています。   で? 私まっちーこは、この度その「1日2千人」のうちの1人となったのでしょうか? のみならず、患者さん達にまでバラまいてしまったのでしょうか?! 😓   検査結果が出るまでの間、どういう結果であれ、私が固く決心したのは、   絶対に自分を責めない! ということでした。   手洗いも、消毒も、100%完璧には出来ません。病的に気にしすぎるのも、どうかと思います。  でもわたくし、コロナ対策&ロックダウンで禁止されていることは一切やっていませんし、マスクも必ず、正しく着用しています。 いくら気を付けていても感染してしまう人、世界中に沢山いるわけです!   日本では、感染した有名人などが謝罪してますよね。マスク無しで集団ドンチャン騒ぎやったとか、手洗いの習慣を未だにつけてないとか、ならば反省は必要でしょう。でもそういう無責任なことをしたわけじゃないのに感染してしまったなら、どうして謝る必要があるのでしょう???   私の話に戻りますと、もし自分ではなく他の同僚が、今回の集団感染の元だったとしても、もちろん絶対に批判しない、とあらためて誓いました。もしその同僚が無責任な行動を取っての結果だとしても、そこから学んで二度と繰り返さないでくれれば良いことです。 「この中で罪のないものだけ、彼女に石を投げなさい」と言ったのは、イエスさまでしたっけ? 本当にその通りです。   そして、自分自身にも石を投げちゃダメです! 過ちを犯しても、いったん深く反省したら、自分自身も心から赦そうじゃないですか! 親友なら赦しますよね? 赦して励ましますよね? 自分が自分の親友になってこそ、他人にも真の友情が、自己愛を育んでこそ、他人を本当に愛せるのではないでしょうか?   でももし自分が感染源で、患者さん達

覚醒体験後(10)コロナの巻②

12月11日(金)午後6時。   看護師長の電話を受けた後、小雨の中自転車こいで、コロナ検査のために職場の病院に向かいました。   検査場の職員に事情を説明したところ、「ああ、集団感染が出た老人科ですね。ハイリスクですねー」と先刻ご承知。   検査後、 「で、結果はいつ出るんですか?」 「明日の午後2時です。スマートフォンの専用アプリで確認して下さい」 「専用アプリ??」 「看護師長から伺ってないですか?」 「聞いてませんねー」 「あらま」 「じゃ、今から老人科に行って聞かないと、ですか?」 「そうですね、そうしてください」   職場の老人科に行ってみたら、これまでと違う物々しい雰囲気が漂っていまして、 入口と通路にバリケードのごとくテーブルが立ち並び、それぞれに消毒用アルコール、医療用マスク、医療用手袋、フェイスシールド、防護服が所狭しと置かれていました。   同僚たちは、ちょうど食事休憩中でした。 「ああ、マッチーコ! 検査に来たの? 今のところみんな陰性だよー♪」 「おお、それは良かったー!」  ・・・が、待てよ? ということは? もし私だけ陽性だったら、私が患者さん達に移したことに?! なりませんか?!😥  お見舞い客の面会は禁止になっていますし、患者さん同士は同じ部屋でなければ接することがないため、職員の誰かが「元」であることが、十分考えられるわけです。💦   さて、看護師長にアプリの件を聞いたところ、 「検査場で用紙をもらわなかったの?」 「用紙? いーえ何にも」 「アプリはなくて大丈夫。用紙に書いてあるURLにアクセスすれば、検査結果が分かるから。その用紙は自宅待機証明書でもあるから、もし陽性だったら、それに記入して人事課に送ってね」 検査場に引き返しその旨を伝えたところ、「あー、そうですかー」と、すんなり用紙をもらえました。😑   ・・・ベルギーは、通常でも割とこんな調子です。 そこへコロナによる対応変化の嵐。病院のカオス状態はもう慣れていまして、この程度では 平常心一糸乱れず 、になっちゃいましたよー。😯    つづく  

覚醒体験後(9)難聴の巻⑦+コロナの巻①

その後、右耳👂は、   音が割れるとか、ダブルに聞こえるとかいうこともなくなり、両耳同時に触って擦ってみても、左右同じように聞こえるようになっていきました!😄 耳鳴りも、よーく注意するとそれらしき超音波が聞こえる、かな? という程度に。    そして一昨日、2週間ぶりに耳鼻科を訪れ、再び聴力テストを受けました。  「・・・すごいっ! ここまで良くなるとは、正直思いませんでしたよ!」とドクター。👍👍👍   一時は完全に聞こえなかった右耳、音域によっては左耳より良いくらいに回復していました。が、4000ヘルツあたりだけイマイチということで、薬を半分から1/4に減らしつつ、もう少し続けてみましょう、ということになりました。次の検査は、年明け1月25日です。     自分の感覚では、以前と全く変わらないほど回復しましたので、 「難聴の巻」は取りあえず、 一件落着~~!🌸     というわけで、今日は仕事もお休みだったので、やっとうちのクリスマスツリー🎄を飾ったり、クリスマスカードを書いたりしていたら、 突然、職場の看護師長から電話が。     「マッチーコ!! うちの科で患者さんに集団感染が出て、職員みんな急遽コロナテストしてもらうことになったのよ! 今から予約取って行ってきてくれる?」  わわわ、まじっすか💫!? 一難去ってまた一難?!😰     つづく

ドタバタ遠距離介護(9)「管理事務所にて」

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ドタ遠(8)「お別れ会」のつづきです。   団地には分譲もありますが、うちは賃貸でした。なので、元通りにしてお返ししなければなりません。でも54年も住んで、すっかり元通りは無理ですよね~。(^_^;)   片付け業者が実家を空にする9月末日、その翌日の10月1日に、公団の査定が入ることになりました。敷金がどれだけ引かれるか、追加費用がどれだけ生じるか、を見るための調査です。 うちと同様50年以上住んで、最近引っ越された元ご近所の方から、「敷金は戻らず追加費用が5万円くらい」と言う情報がすでに入っていたので、うちもそれくらいか、と覚悟していました。   とはいえ、費用を出来るだけ押さえたいのはヤマヤマ。そもそも何が元々あったもので、何がうちで後から取りつけたものなのか、 管理事務所に確認に行きました。   思い起こせば初めの頃、お風呂は木製だったのですよ!  浴槽の左側は下が釜、上部が「上がり湯」を入れる槽になっていて、その上に小さい木の蓋がついていました。その後ポリ浴槽になり、シャワーも付き、洗面台も新しくなりました。これらは、公団が後から全戸に取り付けたものなので、そのままで良し、と。   窓枠は、初めは鉄製でしたが、その後公団が全戸アルミサッシに交換。「網戸はそれぞれのご家庭で付けたものですが、よろしければそのまま置いて行ってくださって結構です」、と。   「トイレはウォシュレットですか?」と聞かれ、「はい、そうです」。これも公団が後から全戸に付けてくれたのだと思っていましたが、そうではなく希望する家庭だけだったそうで、 「元の便座は、まだとってありますか?」 「は?! べ、便座?! ですかっ?!」 「はい」 「・・・いやあー、ない、と思いますね~~」(結局ありませんでした)   半世紀前の元々の便座が、査定に影響する?! これにはビックリ💦!! ・・・ま、それはそうと、本当に住みやすかったです、団地は。   建物はしっかりして、築50年以上とはとても思えません。上下の音はたまに響きましたが、お隣の音は全く聞こえたことがないですし。22歳から一人暮らしを始めて3回アパートを引っ越し、ベルギーに来てからも3回住まいを変えましたが、建物に関しての問題は、この団地が最も少なかったですね。   号棟間の空間もたっぷりで、芝生や緑が多く、小学校、幼稚園、商店街、銀行、郵

ドタバタ遠距離介護(8)「お別れ会」

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ドタ遠(7)「片付け業者」のつづきです。   これまた帰国滞在中にメドを付けなければならなかった、母の「成年後見人申し立て」。   ネットで調べても、まあ複雑で、どーしたらいーんでしょー?? と言う感じでしたが、敏腕ケアマネの妹・Yさんが司法書士、と言う願ってもない偶然で、この信頼できるお方に申し立て準備をお願いする運びとなりました。私のほうは、Yさんの指図で必要書類などを用意するだけで済みました! ああ、なんと有難い!👍👍👍   しかし、書類! 書類です、皆さん! 片付けで最も大変だったのは、 書類の処分、でした!!   特に、個人情報が記載されているものですが、その種類と量たるや、今思い出しても目眩がします・・・。💫 実家には、手動シュレッダーがありましたが、これは大量の書類を一気に処分するには全く適しません。そこで「名前切り取り作戦」を取りまして、まあ、夜な夜な夜なべしてやりました! 友人も二人手伝いに来てくれまして、お蔭で手にハサミダコ🐙が出来るには至りませんでしたが。   そして手紙類。父の日記。母の日記。読んで、心に焼き写し、処分しました。 写真。これは、と思うものだけ厳選し、あとはすべて処分しました。   片付けで一番気になっていたのは、祖父母のお位牌。結局アシストさんのツテで共同供養していただくことにし、丁重に箱詰めして、白と金の綺麗な布で包みました。父は自然葬だったので、供養はいつも心の中で。   愛着はあるけれど、手放すしかない物たちと、ある夜お別れ会をしました。 「お別れをすることで、実は初めてひとつになれるんだよ」 ふと、そんな言葉が聞こえたような。 は? だれ? 父? 実家をすべて空にする9月30日が、刻々と近づいていました。 つづく    お別れ会            

ドタバタ遠距離介護(7)「片付け業者」

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ドタ遠(6)「社長秘書」のつづきです。   実家の団地。 その敷地は以前は泥沼田んぼで、中央を流れる暴れ川が水害を繰り返し、稲作に大変な苦労があったと聞いています。 昭和40年、その土地に、当時の「新時代の象徴」でもあった「団地」が 建てられ、多くの人々、特に子育て世代が移り住んできて、まっちーこ&父母もそのうちの一家族でした。 それから半世紀以上が経ち、住民の高齢化が進み、空き家も目立つようになりました。一方で、団地の良さを見直して、引っ越してくる若い世代も増えてきています。 団地の商店街はかつての賑わいを失っているものの、代わりに昭和ノスタルジーをコンセプトにしたカフェ、こだわり牛乳屋さん、個性派グッズのお店などが登場し、週末は遠方からも、若い人中心に客足が絶えません。団地は今、新旧が入り混じった、何とも面白い雰囲気を醸し出しています。   さて。50年以上実家であったところを引き払う、というのは、いやはや💦決して簡単なものではありませんでした。物理的に、そして感情的に。この期間内にやるしかない! という追い詰められた状況は、かえってありがたいことでした。 「自分がベルギーに持って帰るもの」「自分は要らないが、まだ十分使えるもの」「捨てるもの」に選別し、連日夥しいゴミ出し!   有効利用したいものは、まず買い取り業者に買い取ってもらい、ご近所に使えそうなものを引き取っていただき、友達にも何かあれば持って行ってもらい、あとはNPO法人「セカンドライフ」というところを通じて寄付しました。 https://www.ehaiki.jp/second/ (ご参考までに)   そこまでやったら、後は片付け業者さんにお任せしようと、業者をサイト比較、そして見積もり比較。 二つの業者に絞ってから、最終的に一つに決めました。その決め手は?「金庫」、でした!   見積もり料金は両社ともほぼ同じで、金庫に関してはどちらも別料金でした。が、A社は金庫の料金がすでに決まっており、B社は、「金庫がまだ使える状態かどうか」を見てから値段を決めていました。 また、B社は国内では需要がない中古食器類も海外に持って行くとのことで、つまりコストを除けばほとんど利益にはならなくとも、有効利用に力を入れている、ということが伺えたから、です。 B社の実名は、買い取り専門店「 アシスト 」。買取だけでな

覚醒体験後(8)難聴の巻⑥

難聴の巻、その⑥でございます。   4種類のヘヴィーな薬を朝昼晩、10時と3時のおやつの後も服用中です。   思えば子供の頃、私にとって「薬を飲む」とは、何か特別な「カックいい~!」ことでした。「包帯を巻く」もそう。「入院」「松葉づえ」「車いす」に至っては憧れの対象でしたが、いまだに経験する機会が与えられずにいます。 薬で蕁麻疹が出たり胃のトラブル三昧だったり、ということがあってからでしょう、いつしか、「薬=副作用=嫌い」、になってしまいました。    案の定この度も、薬を始めた翌日は、胃が重く食欲減退。「やっぱり~」😩 ・・・いや、ちょっと待て! これは過去のデータを脳が処理し、それに気分と身体が反応しての結果であーる!  「お薬と仲良くする、と決めたのだ、過去を引きずってたまるか~~いっ!」と威勢よく啖呵を切り、やにわに姿勢を正し、胃のためにこれでもかと良~~く噛んで食べていたら、「あら!?おいしいじゃないの! ごっくん!😋」。   それから食欲もモリモリ出て(単純!)、副作用らしい副作用はないまま5日たちました。👍 今日6日目からステロイド薬は量を減らしていきます。👍👍   で、肝心の右耳はと言うと、   じつは薬を始める直前から、自分の声も周りの音も、スピーカーの割れた音のように、聞こえ始めていました。 再び音に超~過敏にもなり、この状態は聞こえないより余程辛く、これで固定して「ここから治りません」は、是非やめていただきたい・・・。💦  そして三日前あたりから、例えば水道の水を流すと、右耳のすぐそばでも水が流れる(音がする)んです。ダブルで聞こえるんですよ。変でしょう?   耳鳴りは、ここ数日バリエーションが減り、シュワーーーーンワーンワーン。一日に一回ほど、モールス信号がやって来ます。ベルもたまーに鳴ってます。   全体の印象としては、少~しずつ良くなってきているようなので、昨日試しにyoutubeでピアノ系の音楽を聴いて見たら、 やっぱりダブルで、右耳だけ個別に、0.00001秒くらい遅れて、極々わずかに音程もずれてる感じで、音が聞こえてくるんです。   面白いな、右耳。なにをやってるんだろう、 どうしてこうなっちゃうんだろうなー、と思ってたら、ふと、何とも愛おしい気持ちが込み上げてきて、涙がぽろぽろー。   その音楽は、こちらです。最近気に