ふしぎ体験(5)「ノルマンディーにて⑤」

ふしぎ体験(4)「ノルマンディーにて④」のつづきです。

 

「私が今どんなに幸せか、あなたの想像が及ばないくらいですよ」

 

会話はさらに続きました。

 

「まっちーこさんは、アロマンシェ海岸で、お母さんに上げようと貝殻を拾いましたね。どこにでもある貝殻だったでしょう? たまたまこの砂浜に上がっただけ。

 私たち兵士も同じです。

まっちーこさんは昨日、去年この地を再訪して大歓迎を受けた、生き残り元兵士たちの写真や壁画を見ましたね。あなたが勤める老人科の患者さん達と同じ年頃だ、と感慨にふけられましたね。

それは結構なのですが、私は、彼らや死んだ我々も含め、英雄視されることを全く嬉しく思いません。私たちはどこにでもいる人間。この出来事に関わる運命にあっただけです。

 

特別な人間など、どこにもいないのですよ。歴史上の英雄も聖人も、そういう役目を担っただけです。 立派な行いをする人も、堕落した人生を送る人も、それぞれに理由があります。

珍しい運命をたどる人がいても、それは「特別」ではない。あなたの貝殻と同じですよ。珍しい形の貝殻はあっても、やはり貝殻の一つに過ぎません。あなたと私は、今こうしてお話をすることでお互いに特別な意味を持っていますが、あなたも私も「特別」ではないんです。

 

人は皆、それぞれの課題を持って生きています。その課題は、すべての、大いなる宇宙の、調和のためのものなんです。


だから、どんな存在も特別ではないのです。そして、だから美しいのです。


忘れないでくださいね」

 

 

 


・・・ここで余談です。

(その1)

 

「どんな存在も特別ではない」は、逆に「すべての存在は特別」とも言えるかと思います。

 

が、私などは「すべての存在は特別」と言われると、「そうか!じゃ私は、その中でもっと特別を目指そうー」などと考えて「違うだろ」方向にスタコラ行ってしまうので、ジェームスさんもそれを見越して「どんな存在も特別ではない」という表現にしたのではないか、と思われます。(^_^;)ゞ

 

(その2)

 

これは単なる私の空想ではないか?? という疑いが時に脳裏をかすめながら、「会話」がなされていました。

が、あえて太字にしました二つの事、

 

魂の存在そのものが、愛。

どんな存在も特別ではないのです。そして、だから美しいのです。

 

これらは、それまでの私には、全くなかった発想でした。


つづく


2008年の、生き残り元兵士たち再訪を記念して描かれた壁画の一つ

 

 

 

 

 

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