投稿

ラベル(レイキと私)が付いた投稿を表示しています

レイキと私(17)「みどり」

イメージ
私が昔書いた小説のこと、まだブログでチラッとしかお話ししてませんでした。   ベルギーに移住する準備をしつつ、色んなことが先行き不透明だったのは22年前、西暦2000年のことでした。その頃のことは、すでにブログに書いたのですが、 https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2021/03/blog-post_31.html   レイキと私(6)「ベルギー移住計画」   ちょうどそのベルギーと日本を3か月ごとに行き来していた時、私は時間も結構あったので小説を書いたのでした。その前から長いこと、障碍者自立支援で経験したことを書きたい!、と思っていたのです。   当時インターネットは普及し始めていましたが私は実家にパソコンがなかったので、参考資料探しは専ら図書館通いで、実家のワープロを使って執筆しました。 自分の障碍者自立支援体験をそのまま書くと、どうも主観的になりすぎ余計な力も入ってしまう。うーん。 そこへフト、「孫娘を見守るおじいさんの霊」という突拍子もないアイディアが! その霊の目を通したこの世のドタバタ、死後の世界のファンタジーを交えて完全フィクションで書き始めたら、楽しくてアイディアが次から次から! 結局初めの構想にはなかった、スピリチュアル満載の小説が出来上がってしまいました。 タイトルは孫娘の名前である「みどり」。緑色のイメージから、癒し、再生、という意味も込めています。   2000年と言えばまだレイキを習うずっとずっと前ですが、F先生から教えていただいた気功治療をもとにセルフヒーリングを模索していた頃でもあり、遠隔ヒーリングに通じるような「波動を送る」という表現も小説の随所に見られ、我ながら興味深いです! レイキの友達が、「小説のことブログに書けばいいのに」と言ってくれてたんですが、何となく先延ばしになっていました。   おじいさんの魂が天国に行く道すがら、その一生を振り返るのが第一部。 最愛の孫娘が人生初の大挫折を経験、立ち直っていく過程(そこで障碍者自立支援に関わる)を、見守るお祖父さんの目から描いたのが第二部。   第一部では戦争体験のことも沢山出て来ます。 ロシアのウクライナ侵攻で、最近いきなり現実味を帯びた「戦争」。過去のものではない!という。 そんなことから、「みどり」を読み返してくれる人たちが周囲で出て来まし

レイキと私(16)「プーチン遠隔ヒーリング」

今日の記事は、昨日レイキ仲間に当てた文章の一部を抜粋し、若干手直ししたものです。   実はこの一週間ほど、ロシア大統領のプーチン氏に遠隔ヒーリングしています。 遠隔ヒーリングとは、レイキや気功などで相手の方に遠く離れた場所から施術をすることです。以下、省略して「遠隔」と書きますね。   とうとう戦争という事態になってしまい、先週は無力感に襲われてしまった私でしたが、「自分にできることはないだろうか」と考えた、・・・わけでは実はなく、何故か突然思いつきました。そういう衝動にかられたというか。 で、やったところ、 エクソシスト状態に。😱 私は遠隔はいつもセルフヒーリングを兼ねるんですが、身体中が勝手に激しく動いて止まらなくなってしまいました。   「エクソシスト」は以前も何度か体験していますが、他者への遠隔時ではありませんでした。普通にセルフヒーリング時だったり、夜中に目が覚めてボーっとしているときだったり。確か母が認知症になりだしたころとか、変化に対して恐れがあった時だった、と思います。 この度のエクソシストは、自分がプーチン氏と共にレイキで癒される中、手放そうとするエネルギーと抵抗するエネルギーが凄いうねりをあげている、という感じ。このうねりはプーチン氏のものかと思いましたが、いや、深いところから出ている私のものでもあるようです。   プーチン氏に遠隔しよう、と思いついたときから、すでに妙な一体感が芽生えていました。分離感が消えた?というほうが良いのかな。 これまで遠隔は自分の家族とか友人とか地球全体とかにしかやってきませんでしたが、今世界中で最も共感できない、親近感を得られない人物と自然に一体感を得たことは、自分が大きく深くなったというか、いや、そもそもこれが自分だったのか、というか。 つまり、プーチン氏への遠隔は「結局自分のためにやってるのか」とも思ったんですが、それと同時に、「その自分って何?」 なにかとてつもなく壮大なものを感じました。 頭での理解が感覚の理解として得られる、その瞬間だったのかもしれません。   このブログを始めるきっかけとなった覚醒体験とは、またちょっと違うもの、でした。 今この状況でプーチン氏とさえ一体になれるなら(もともと一体であることが腑に落ちるなら)、一体になれない人やモノがあるだろうか?   しばらく続け

レイキと私(15)「そして今に至る✨」

 レイキと私(9)「ヘンなもの」でお話ししましたように、 https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2021/04/blog-post_14.html     ベルギーは代替え医療に大変閉鎖的! レイキ界も細々と言った感じ。習いに行くにも選択肢が極端に少ないため、 アクセスバーズのときと同様、帰国時に日本で習うことにしました。   広まるにつれて本来のものから大分変化していった海外のレイキ、通称「西洋式レイキ」と「日本伝統式レイキ」の両方をみっちり教えてくれるということで、是非習いたいと思ったNPO日本レイキ協会の講座日程と帰国スケジュールが合ったためしがなく、致し方なく別のところで受けてヒーラーとティーチャー資格を取りました。   その後レイキ関係の書籍やNPO日本レイキ協会の自宅教材各種、協会理事長・辻耀子先生のyoutubeなどで学びを深めつつ、 レイキとアクセスバーズを、夫や母はもちろん、友人、同僚たちから幅広く希望者を募って実験台にして練習し、自信をつけて行きました。   すでに趣味で教えていた太極拳、そしてレイキとアクセスバーズの三本柱を副業にしようと考え、 準備がほぼ整ったのが去年2020年の春。   はい、そうです。コロナで余儀なく中断!!😣 でも、実はちょうど良かったのです。助かったんです。  去年の夏、母の一人暮らしは限界に来て、ドタバタ遠距離介護フィナーレとなったのは既にこのブログでシリーズでお話しした通り。   去年の秋はコロナ状況最悪となったお蔭で底力が発揮され、ブログを始めるきっかけとなった覚醒体験をし、   その後、NPO日本レイキ協会主催のレイキ・オンラインサロン「レイキスタ」に参加し更に学びを深め、レイキ仲間たちとの交流も深め、   本当にやりたいことをいよいよ仕事にするにあたって、実はまだ心の奥底にしぶとく恐怖心が残っていたのですが、   それがフト、「・・・あれ?消えた!」となったのは、 わずか2週間ほど前のこと!  その間ワクチン接種の影響もありこちらのコロナ状況は好転、コロナ専門老人病棟となっていた職場は丁度その2週間前から通常の老人病棟に戻り、 規制緩和も少しずつ拡大していく中、   2021年6月1日、ついに副業を開始する運びとなりました!🎊      

レイキと私(14)「ついに出会った!」

イメージ
という訳で、 その後私は、レイキの事を調べまくったのでした!😆   気功治療と似て非なるレイキ、それは千年以上前からある日本の伝統療法。日本で治療の事を「手当て」というのは、そのレイキ療法と関係があるようです。   漢字では「霊気」と書きますが、幽霊とは関係ないそうでして(笑)、この漢字を使うとコワイ😰誤解を招く上、レイキは戦後海外に広まり日本に逆輸入される形となったことからも、「レイキ」とカナカナ表記されるのが一般的となりました。   因みに「霊」と言う字は旧漢字で「靈」、もともとは「降り注ぐものを受け取り媒体となる」、という意味なのだそうです。オバケ~👻ではなかったのね~💦。   100年ほど前に臼井甕男(うすい・みかお)さんという方が、 かつてはエネルギー(気)感知能力の高い人だけが施術をしていた「霊気療法」を誰でも習得出来るものに改良し発展させ、そしてその後日本では100万人が実践するようになった、ということです。   ところが戦後、霊気施術はGHQにより禁止され、日本ではそのまま廃れて行ってしまいました。 が、凄腕後継者・高田ハワヨさんがハワイ在住だったことでアメリカ初め海外に広まっていき、日本にはその後徐々に逆輸入される形に。 私が日本で「レイキ」という名称を一度も聞いたことがなく、ベルギーで初めて聞いたというのも、 長いこと「レイキ」はヨーロッパで言う「気」ないし「気功」の事?だと思っていたのも、 そういう歴史的事情からだったのです!   何と言うことでしょう・・・。 「レイキと私」シリーズ(1)から始まり(14)まで来て、やっとレイキとの出会いが!!!😂 原始人母の「手当て」。シリーズ(1) https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2021/03/blog-post.html   父から教わった、東洋医学の基本概念。シリーズ(2) https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2021/03/blog-post_17.html   そして、F先生から教えて頂いた気功治療。シリーズ(3)(4) https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2021/03/blog-post_19.html https://yorochumacchi-ko.blog

レイキと私(13)「アクセスバーズ③」

自分の内面の深い深いところにずっと宿っており感じてはいた、 でも見ようとはしなかった恐怖心の正体、心の奥底に不気味に鎮座していたものは、 常に発射準備完了の「自己破壊爆弾」、でした。   それまでの人生、私はいかに凄まじい自己批判から逃れるか、最終兵器「自己破壊爆弾」登場を回避するかに、どれほどのエネルギーを費やしてきたかが見えてきました。 そのため、自分が本当にやりたいことを、趣味ではなく自分を公の場に晒しプロとしてやることを、何かしら理由を見つけては先延ばしにしてきたのでした。 お金を頂く仕事は、ほとんど常に3Kを選んできました。学ぶことは多いし好きでやってきましたが、自分からも他人からも出来るだけ批判されないためにそういう仕事を選んできた、ということもやっと明らかに!   本当にやりたい仕事は、世界の調和に貢献するために自分という素材を100%活かし切れる、何か。 人を楽しませたり、励ましたり、癒したりすることが大好きな私は、そういうことを仕事にしたいといつも思ってきました。介護や看護助手でそういうことはもちろん可能ですが、自分と言う素材を活かし切っているか?天職と思えるのか?は甚だ疑問。 完璧な自分になったら天職に出会え、批判からも逃れられるだろう、どうやらそんなふうに思っていたんですよ、私はそれまでずっと!   ・・・そんな時、来るわけないじゃないかっ??!!   たとえ天職に出会い大活躍したって、たとえ偉業を成し遂げたって、 批判は付きもの。 あまりにも当たり前のことに、アラフィフも半ばで(昔なら定年だ!?)やっと気が付き、愕然としたのでした。   ただひとつ不思議だったのは、 子供のころから両親や周りに人たちに「あるがままの自分」を受け入れてもらい、伸び伸びと生きてきて、ビートたけしさんじゃないですが「この幸せ者っ」だった私が、 どうしてそこまで批判を恐れ、「自己破壊爆弾」まで抱えていたのか? ということ。   ふと、自分の深い内面を垣間見て怖い気持ちになった、過去生体験を思い出しました。   https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2021/01/blog-post_24.html (カテゴリー:ふしぎ体験「スマトラ島にて」シリーズ)   なるほど、あの過去生では、私は子供のころから才能を発揮して周囲に認められ、

レイキと私(12)「アクセスバーズ②」

イメージ
というわけで、習うことにしました、「アクセスバーズ」!   当時(2017年)アントワープで教えてくれるところは見つからず、ベルギー国内で見つけた所は遠くて不便、クルマでないと行けないような場所。(私は🚙に興味なく運転しないのですよ~)   そこで、ドタバタ遠距離介護の帰国予定まで待って日本で受けることにし、東京の「ユウキの実」というヒーリングサロンを選びました。先生は佑木友那さん、ふんわりとした魅力の優しい方で、とっても楽しく丁寧に教えて頂きました!    「ユウキの実」 予約: https://coubic.com/youkinomi 公式ホームページ: http://www.yuukinomi.com/    (アクセスバーズ以外にも、ヒプノセラピー、クォンタムタッチ、マルコニクスヒーリング等、マルチに探究を続けられている、信頼できる施術者&指導者さんです。サロンが最近お引っ越しされ、目下色々と準備中のようです )   講座のときにアクセスバーズ施術も受けまして、友那先生からではなく特別参加してくださった方から受けたのですが、その時は「ふーん?」と言う感じであまり良く分かりませんでした。自分でやる方法も教わり、家でも練習しました。 もちろん夫にも実験台になってもらいまして、彼は「頭の中で何かが起こっている」感じはあるものの具体的にはうまく言えないようで、それでも「またやってほしい!」と言うのでその度に、今もやらせてもらっています。   夫のほうには、急激な変化はこれまでなかったのですが、後から振り返ると少しずつ緩やかに着実に、ストレス体質が改善されているようです。余計な力が抜けてきて運気も上がり、ラッキーを引き寄せる体質になってきています!   短期間にハッキリ変化があったのは、むしろ私のほうで、 アクセスバーズをやりだしてしばらくしてから、理由もなく気分が重くなりました。 そのうち、心の、奥の奥の奥底にある扉が開き始めてしまった?!、ようなヘンな感じがして💦、 な、な、なんだ??!! それまで見えていなかった、否、見ようとしようとしなかった何か、 その何かを無かったことにして、自分はそこそこハッピーでラッキーで人生うまく行っていると思っており、なのになかなか自分の夢や目標が叶わないまま50代になってしまい、 なんかヘンかも?? とは思い始めていたのです

レイキと私(11)「アクセスバーズ①」

イメージ
うつ病を繰り返していた時期が長かった夫に、F先生に教わった気功治療を、「指圧の一種」と称してやっていた時期がありました。   施術後はガッチガチの肩や背中がすっかりほぐれるものの、夫は「レイキと私(9)」でご紹介したアフガニスタンの友達のように「気を感じる」ということが全く!ないので、施術中の気持ち良さをマッサージや普通の指圧のようには感じられないのが難点でした。   ある時、私が昔父から教わった熱すぎないお灸を夫に試したところ、「おお、これは気持ちが良い!」ということで、気功よりもそちらをやるようになったのです、が、 火を使うし集中力がいるので、ズボラな私はやる気しない時が多いのが難点でした。(^_^;)   そんな折、インターネットで「アクセスバーズ」というものを見つけまして。👀   頭部にある32のポイントに触れるだけで、思考の癖から解放され脳がデトックスされる、というのです。おお、こりゃ夫にピッタリだ!   アクセスバーズ施術直後の脳が、深い瞑想から得られる高次元意識に繋がる脳の状態、それと同じになるという、2年間何千人という瞑想する人の脳を研究した神経科学者の解説動画も説得力十分!   施術するほうもリラックスできそうで、ズボラな私にはピッタリ! こりゃ是非講座を受けてみたい!と思ったのでした。   が、創始者ギャリー・ダグラス氏が「チャネリング」で得たという施術法、多くの人には「なにそれ怪しい😒」としか思えない、うちの夫などは拒否反応😬を示すに違いないな、と、見送ることに。   ・・・したものの、ふと思い直し、 「これ、習ってみようかと思ってさ」とアクセスバーズのサイトを夫に見せたところ、   「ふーん。・・・習ってみてよ。施術の実験台になるから」   ・・・おう?! ま、まじすか??!!       <a href="https://pixabay.com/ja/users/scofield38-16254995/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=5099435">Jeremie Barnier</a>による<a href=&

レイキと私(10)「野生の証明」

イメージ
2週間以上もご無沙汰してしまい、💦 あらあら、あっという間に5月になってしまいました!!   4月は、何と3回しかブログ記事アップしなかった💦! 実はレイキ・オンラインサロンで、メンバーの方々との情報交換や励まし合いに、多大な情熱を注いでおりました! さて、その間、 日本も芳しくないコロナ状況のようですが、一日当たりの感染者数まだまだ日本の10倍ほどをキープしておりますベルギーです!   うちのコロナ老人病棟も患者さんが減ってきた⤵👍と思ったらまた急増⤴👎、一昨日から病室満員御礼! 高齢者の皆さんはほとんどワクチン2回受けたはずなのに、なかなか改善が見られません。 病院の別のコロナ病棟で、インド変異種感染の患者さんも出てしまいましたし・・・。😣   医療はどんどん進歩しているのに、病気も病原体もどんどんややこしくなって、イタチごっこのようですね。   人間社会はそういう感じですが、動物はどうかというと、 「動物たちの自然健康法(シンディ・エンジェル著)」という本がありまして、それによると野生動物は、病気になると 適切な治療(症状に応じた薬草を食べるなど)を、自ら行うんだそうです! 自然と、宇宙と、すべてと繋がっているから、きっと直感・第六感でそういうことができるのでしょう。   人間も、かつてはそうやっていたはず。脳が発達し言葉を話すようになり、文明社会が出来てから、あまり出番がなくなった直感・第六感がどんどん衰えてしまったようです。   そして「病気は医者や薬が治すもの」となり他力本願、もともと人間に備わっていた自然治癒力も衰えていき、医療は進歩しても病気が減らない、と言う結果になっているのではないか、と。   生活様式もどんどん自然から遠ざかり、快適なようでいてストレスは増え続ける。   だから原始時代に戻れずとも、 人間が元々持っていた、自然の野生の能力に目を向けて取り戻していくことは、 真の健康や幸せ感を取り戻すことにもガッツリ繋がるのではないか、と思う訳です。   そういうことに大変!情熱💓を感じていまして、わたくし。   長~いこと忘れ去られていた日本古来の療法レイキもそのひとつとして、興味深々で学びを深めているのです!   <a href="https://pixabay.com/photos/?utm_source=lin

レイキと私(9)「ヘンなもの」

 父の他界後、夫と私はようやく結婚し、私は晴れてベルギーの正式滞在許可を得ました。🎊   その後は、いきなりアップテンポのとんとん拍子!   不法滞在中すでに上級まで通っていたオランダ語学校を最上級まで受け、看護助手の職業訓練校に半年通い、家の近くの総合病院にすぐに就職することができました!👍 とはいえ私が興味を持っているのは西洋医学ではなく東洋医学や代替え医療のほうなので、病院での仕事の傍ら色々と調べてみましたが、ベルギーは周辺国と違い非常に閉鎖的、現代西洋医学以外はほとんど認められていないことがわかってきました。   初めてレイキと言う名前をこちらで耳にしたときも、 「知り合いがヘンなものに引っかかって信じ込んでしまって。レイキっていう」  そういう話だったんですよねー。💦   レイキ=気功だと思っていたので、夫には「SHIATSUの一種」と言って時々施術していましたが、 オランダ語クラスで一緒だったアフガニスタン出身の女性と親しくなり、彼女にそんな話をしたところ大変興味を示し、「是非自分にやってみてほしい!」と。   そこで家に招待して、施術させてもらったんです。   夫とまるで違い凄く感度が鋭い人で、施術中も「あ、暖かい! 何か感じる! あ、すごい!」などなど反応が素晴らしい!    彼女はかなり骨盤が歪んでいたようで左右の脚の長さが明らかに違い、仰向けに寝てもらったところ足の開き方も極端に違っていました。が、施術が終わるころには足の開きがしっかり左右対称になっていて、私自身がビックリ!   骨盤矯正らしきことをしたわけではなく、F先生に教えて頂いた通り頭と身体のいくつかのポイントをゆっくりじっくり触れていただけなのに。   ご本人も、「大変気持ちよかった、スッキリした、体内のエネルギーが入れ替わったみたい!」と驚きの大満足、 「これは、是非多くの方々にやってほしい!!! あなたの仕事にすべきよ、私、大宣伝するから!!!」  この時、考えすぎずためらわず、彼女の言う通りに行動起こしていたら、今頃はカリスマヒーラーだったかもっ?!   が、ベルギーでは全く認知されていない、自分の夫にも話せない「ヘンなもの」、 いつか、きっと、そのうちに、・・・と思っているうちに、   とんでもない年月が流れていましたーーー!😆  

レイキと私(8)「父の旅立ち」

 「レイキと私」シリーズ、 思ったよりも横道にそれまくり、なかなか本題に入らないまま8回目を迎えてしまいました。タイトルも長すぎるので、「アラフィフ起業大成功!」カテゴリーから外し単独カテゴリーに変更しました。ご了承の程。m(__)m   さて、不法滞在期間中、 一度具合が良くなった父は心筋梗塞を起こし、その後膵臓ガンが発見され肝臓と肺に転移しており既に手遅れ!!😧  再び私は日本とベルギーを行き来することになりました。 気功治療のF先生と、ヒーラーとして活動し始めていた障碍者自立支援で仲間だったYさん、 このお二人が「押し掛け治療」と称してお礼も受け取らず、入れ代わり立ち代わり父の元に来てくださいました。 (私自身も、F先生から教えて頂いた気功治療を父に施術したと思うのですが、何故か記憶にありません。💦)   そのお蔭も充分あってのことでしょう。父はガンによる痛みが何と!一度もないまま、あと3か月と主治医に言われたところ9か月生き、その大半を病院ではなく自宅で、やりたいことをやり会いたい人に会って、旅立って行きました。   病院で父を看取った母。叔父・叔母、そして「押し掛け治療」で私の両親とも大変親しくなっていたYさんが駆けつけてくれました。亡くなった直後の父は、目を見張るほど満面ニコニコ笑顔だったということを、後で彼らから聞きました。   私は死に目には会えず、知らせを受けて2日後に帰国・到着。父の満面ニコニコ笑顔は、穏やかな仏像スマイルになっていました。   父の希望通りの宗教無し・お花を飾るだけのお葬式。父が俳優養成所講師をしていた時の生徒さんたちが、素晴らしい段取りで司会・進行をしてくださるという願ってもない成り行きに!   めっぽう真面目で不器用、ダンディーで三枚目、頑として自分を貫く強さの内に秘めた痛々しいほどの繊細さと愛情深さ。多くの方がそんな父の逝去を惜しみ、お別れに来てくださいました。   死亡後の諸手続きを終え、 一人っ子の私は母を残してベルギーに戻ることに、大~~きなためらいが。💦その一方で、ストレスが増える一方だった夫(当時は結婚直前でしたが)も心配。 夫はこの際仕事を変えようか、思い切って日本でベルギー風フライドポテト屋をやる? と言うことも考え始めていたり。   親戚やご近所と親しく交流し友達も多かった母は、地域活動やアルバイト、

レイキと私(7)「セルフメイド・セルフヒーリング」

ベルギー⇔日本を行ったり来たりの一年が過ぎ、 幸いなことに父も私もベルギーの彼も健康状態が少し落ち着き、今後の展望が見え始めたので、私はベルギーに腰を据えることにしました。   それは良いのですが、・・・ 国の歴史から始まって何でもかんでも複雑怪奇なベルギーは、移民手続きや結婚制度等についても例外ではなく、ただこれを話し始めると新シリーズ作って延々と~、になるので止めておきますが、   長い話を短くすると、他の事情も絡んで私たちは結婚するまで随分と月日がかかり、行政から待たされた期間とはいえ私は滞在許可のない事実上「不法滞在者」になってしまい、慣れない異国暮らしのストレスに拍車がかかりました。 話がちょっと変わり、日本でキューバ音楽をやっていた時のことですが、   友人にYさん(日本人)とL君(キューバ人)という国際結婚カップルがいました。彼らは東京に住んでおり、L君の日本語上達、日本に馴染む努力、ミュージシャンとして仕事をゲットしていく行動力は素晴らしく、周囲を驚嘆させていました!   その一方で、それを常に陰で支えたYさんの功績は周りからは目立つものではなかったのですが、いかに大変ですごいものか、私は友達だったので本人からも話を聞いて良く知っていたんです。 これは、もちろん夫と私にも当てはまることでして、海外生活に慣れるのは容易なことではありませんが、受け入れてサポートするほうも負けず劣らず大変なんですね。   そんな中、夫は鬱になりかけていましたから、今思えば本当に良く支えてくれたと感謝しかありません。💕  が、当時はYさんとL君の事も忘れ、ストレスから自分の大変さしか見えなくなって夫に八つ当たり😠💢したことも、一度や二度ではありませんでした。💦   その頃、  こちらでキューバ音楽活動が出来るかどうか、アントワープで仲間を探しましたが何と1人も見つからず、自分1人で弾き語りをするにもキューバ音楽好きが集まるような場所もなく、ショボーンと休止状態になっていきました。    (残念なことにそれは今も同じ状態なのです。が、決して諦めたわけではなく、弾き語りを老後の楽しみに残しています! キューバ音楽の大御所はみな高齢者、歳を取らないと味が出ない音楽、と言われているのです!😉)   (「日本人がキューバ音楽?!」と言う、こちらに人たちにしてみたらあまりのチ

レイキと私(6)「ベルギー移住計画」

またちょっと忙しくしていまして💦、更新が遅れちゃいました。m(__)m えーと、前回は、 自立支援運動についてと、ベルギー移住計画に至る過程、でしたね!   で、今回は、移住計画のっけからヤバヤバーーー!!!😵、のお話しです。   交際相手と結婚するかしないか? するならどのタイミングで?  テキトーに決めちゃう人はあまりいないでしょう。充分な交際期間をもってから決めるカップルが多数派ではないでしょうか。   が、国際遠距離カップルとなると、「充分な交際期間」が既に無理難題! で、結局私たちの場合は、お互いに何度かベルギーと日本を訪れあい、その後私がベルギーに3か月行って、彼の家で生活してみることにしました。   で、その直前。 折しも仕事上の変化でストレスを積もらせ、今思えば既に鬱の兆候が出始めていた彼は、身体の健康にも異常をきたし、仕事を続けられるのか?という、いきなりな局面に!😨   そしてその3か月の間、今度は日本にいた父が原因不明の体調不良で、ほとんど寝たきりの状態に!😱   更に私自身が股関節に激痛を起こし、検査の結果先天異常が発覚。良くなることはないということで、太極拳指導は諦めるしかなさそう。平均体重日本人より10キロ重いベルギー人相手の介護系仕事にも、大いに疑問が!😧   おいっ!! 幸先悪いにもホドがあるぞっ!!!😬   で、先に進めず後にも引けなくなった私は、3か月ベルギー3か月日本を繰り返し、様子を見て行くことにしました。(結果的に1年間そういう状態でした)   日本にいる間は、具合が悪くなった父と当時まだ仕事をしていた母のサポートをしながら、障碍者自立支援の介助の仕事をさせてもらうことができ、 時間があるので以前から書きたいなと思っていた題材で、ついに小説を書くこともでき、 ベルギーでは現地の暮らしに慣れながら、オランダ語の集中講座に通ったり、 結構有意義に過ごしました。😯   そうして一年が経ち、父はまた元気を回復し、ベルギー人の彼も小康状態となり、私の股関節も運動療法などで痛みが減っていきました。😊 そしてその頃、初めてベルギーで、「レイキ」という言葉を耳にしました。   「レイキ? なにそれ?」 「え?? 日本人なのに知らないの?」   どういうものなのか説明を受けたところ、日本でF先生に教えて頂いた気功治療と同じじゃ

レイキと私(5)「障碍者自立支援」

イメージ
ベルギーに引っ越す前、日本で暮らしていた最後の5年くらいは、そういう訳でキューバ音楽と障碍者自立支援にどっぷり関わり、その二つで生計を立てていました。   この障碍者自立支援はどういうものだったか、と言いますと、   障碍者、特に重度の方々は、親が介護できなくなってからは施設に行くという選択肢しかない、これを変えよう! というものでした。住み慣れた地域で自立生活をしたり、仕事したり結婚して家庭を持ったり、在宅介助の制度さえ整えば、それが可能になるわけです。   この自立支援運動の先駆者たちであるツワモノ重度障碍者の方々は、自ら外に出てビラを配り、自力でボランティアを探して自立生活を試みてきました。 が、それは相当なパワーと他人を惹きつける力を持った一握りの人にしかできないことです。また、ボランティアでとなると介助者も長時間・長期間は難しい。怪我をしても何の保証もないとあっては、続けられず去っていく人も後を絶たず。 そこで彼らは自治体に対して運動を起こし、少しずつ成果を出していきました。 自立障碍者はもちろん、重度障碍児の親御さんの負担を軽くするためにも、在宅介助が仕事として認められるようになっていったのです。   そのような訳で初めの数年はボランティアで関わっていた私も、資格はなくとも経験が物を言い、自治体の「推薦登録ヘルパー」として有償で介助ができるようになったのでした。   が、1998~9年頃のこと。 当時、介護保険導入に伴い「推薦登録ヘルパー制度」は廃止されることになり、介助を続けたいならヘルパー2級資格を取る必要が出てきました。 また、折しもバブル崩壊で、キューバ音楽バンドの仕事も減っていきました。 日本にいても、仕事の事を考え直さないといけない。 両親も当時はまだ元気でした。 ベルギーに行ってやり直しても良いかもしれない!と思ったわけです。   介護系の仕事はベルギーでもできるだろう。キューバ音楽をやる仲間も見つかるだろう。 指導員資格があるから太極拳を教えられるかも。お餞別に先生から教えて頂いた気功治療もやれるかも。   と楽天的にベルギーに行っちゃったんですが、 キビシ~イ現実が待っていました!!!   いやはや、なかなかレイキの話に繋がりませんが、💦     つづく~~      <a href="https://pixabay.

レイキと私(4)「キューバ音楽と気功治療」

イメージ
ハート泥棒💕達と関わるようになった時期は、後から振り返ると私の人生・大変化のときでした。   ちょうどその頃、太極拳☯も始めました。(これについては追って「太極拳と私」シリーズで!)   そして、何をやってもモノにならなかった表現の世界で、とうとう「これだ!」に出会いました!   それは、キューバ音楽!!💃🎶🌴   キューバ音楽は、大ざっぱに言いますと、スペインの旋律とアフリカのリズムの混合です。  スペインの旋律は、西洋音楽に、インドから来たジプシーがもたらした東洋色、アラブ支配を受けたときの影響によるアラブ色、が加わっているようで、 つまり、広範囲に及ぶ世界の要素が凝縮されていて、そのべースとなるリズムは、我らが故郷アフリカ! 人類はアフリカ発祥ですものね!   スペイン統治、原住民絶滅、アフリカ奴隷、といった暗く辛い歴史を背景に、どうやってこれほど明るく楽しい音楽が誕生できたのか!  軽やかでオープンで、同時に深い味わい、私はすっかり魅了されました!😍 それまで東洋西洋まぜこぜに色々試みてきた歌唱法や踊り、それもキューバ音楽にすべて活かすことが出来そう!!   当時(今も?)日本でキューバ音楽を演奏するミュージシャンは決して多くはなく、プロとアマチュアが一緒にやっているバンドが多かったようです。 東京ではライブハウスやイベント会場などに愛好者が集まり、その世界ではかなり盛り上がっていました。   そこへ私も参入することが出来、日本初のチャランゴン(バイオリン、フルート、トロンボーンが加わったキューバ風大編成バンド)のリードボーカルに抜擢されるという大幸運を得ました! これは本当に楽しいバンドで、当時の私は水を得た魚のようでした。🐟💦   その後私は、もっと動きの取りやすい少人数のバンドを作り、 ライブハウスは勿論、企業のイベント、学校・幼稚園の音楽鑑賞会、などなど活動の場を広げ、趣味よりも仕事になっていきました。 その間、二度キューバに行きまして、一度目は1993年で、踊りと歌を習いに。二度目は1997年で、自分のバンドがキューバの音楽祭にご招待を受けたので。   キューバは「音楽大国」と言われていますが、その世界は180度、否、360度オープンで、プロ、アマ、有名、無名、全く関係ないんですね! 面白いと思えば舞台にあげちゃう、一緒にやっちゃう、

レイキと私(3)「ハート泥棒達と気功との出会い」

イメージ
アラフィフ起業大成功!(4)「レイキと私②」のつづきです。   若いころの私は、人を癒すよりも楽しませる方に興味があり、 東洋医学の道には進まず、バイトしながら演劇やったりバンドやったり。   劇団、ロックバンド、声楽、民謡、ジャズダンス、日舞、興味の向くまま色々試しました。が、どれも器用貧乏で終わってしまい「これだ!」というものに出会えず、20代後半は焦燥感と自己喪失感に囚われ初めていました。😓   「ああ、私は何をやってもモノにならない。そもそも私は、何を求めているんだろう??」。   その頃のことです。 街中でフト、車いすを自力で漕ぎながら坂道を登っていく青年の後ろ姿を見かけ、あまりのカッコよさに目を奪われました。 続いて、図書館で見かけた脳性麻痺と思われる女性が、絞り出す小声と震える指で付き添いの人に指示を出しながら本を選んでおり、何故かその光景にもスッカリ心を奪われました。   出会うべくして出会った、ハート泥棒たち💕!!  是非彼らのような方々とお近づきになりたい! と、近くにあったボランティアセンターに行ってみたのが、その後、障碍者自らが主宰する自立支援運動に、介助者として長くかかわることになったきっかけでした。   そこで学んだことは計り知れませんが、これについてはまたいずれ別の機会にお話ししますね。   で、障碍を持つ方々の自立生活を支える在宅介助を8年ほどやりまして   その間介助者として最も長く深くかかわらせて頂いたのは、施設を飛び出し長年一人暮らしを続けておられた、重度身体障碍をお持ちのツワモノ女性、Mさん。   その方のところに、定期的に治療にいらっしゃる気功の先生がおられまして、 その方、F先生は東京に治療院をお持ちで、障碍者自立支援にも関わっておられ、出張治療もなさっていました。   大変ざっくばらんでエネルギッシュなF先生は、「介助者はみんな腰わるいからねー。はい、治療するからそこに寝てー!」と、Mさんだけでなく我々介助者も、フツーに当然のように無料で治療してくださいました! F先生の治療は、基本的に患者である我々の頭、首、足など数か所を、手や指で軽く触れているだけでした。そして治療後は、ガチガチだった肩、背中、腰がすっかりほぐれている! 「うーむ、これが気功治療と言うものかー」と、また東洋医学への興味が、ムクムクと頭をもたげてき

レイキと私(2)「父は俳優&鍼灸師」

イメージ
アラフィフ起業大成功!(3)「レイキと私①」のつづきです。   私の父は、天然原始人母とは対照的にデリケート、病弱ではないが虚弱・アレルギー・ストレス体質でした。共通点は二人とも演劇が好きで、父は福島から、母は北海道から上京して劇団で知り合ったんです。💕   結婚後、父は俳優として一時期ちょっと売れたことがありました。 が、絶対に!!自分の主張を曲げない性格が災いし、演出家や監督からすれば「ちょー使いにくい役者」→結果、仕事が減り、代わりに増えたのはストレスと酒量。そして40歳で糖尿病を患うことに。 😧 大病院で治療を受ける中、父は西洋医学一辺倒の日本の医療に疑問を持ち始め、その頃興味を抱いた鍼灸の道へいきなり方向転換! 資格を取り、俳優と鍼灸師の二足草鞋となりました。   そんな父から東洋医学の面白さをたっぷり聞かされ、父が鍼灸学校に行っていた時は喜んで実験台を買って出たのか、まっちーこでした。   「身体の悪いところを見て、そこを治そうとするのが西洋医学。 身体全体を見て、患者さんを臓器や部分ではなく心も含め人間として見て、全体のバランスがどう崩れているのか、なぜそこが悪くなるのかを探りながらバランスを整えて行く(結果的に悪いところが良くなる)のが東洋医学。  西洋医学のほうが即効性があって良い場合も沢山あるんだよ。 そして、大元から改善していくのが東洋医学だから、両方兼ね合わせると最高なんだね!」 と、熱く語っていた父。   更に、医食同源、陰陽五行説、体質における虚実、などなど、色んなことを教えてもらい、それらは、私の健康概念の礎となっていきました。   父と母は、その後一緒に気功教室に通っていたこともありました。父から気功の話も沢山聞かされ、「不思議な世界だねー」と私も魅了されていきました。   まっちーこ「私も習おう!」 父「いや、まっちーこは太極拳やったら?」   その時なぜ父はそう言ったのか、今となっては分かりませんが、結局私は太極拳を始めることになり、結果的には色々な意味で大正解だったと思っています! その辺りの話は、ちょっと横に置いて、またいずれ詳しくさせて頂きますね。   次回からまた気功の話に戻り、そこからゆるやかに、レイキへと繋げていきますよ~✨。  つづく   <a href="https://pixabay.com

レイキと私(1)「私の母は原始人?!」

イメージ
一週間ぶりのご無沙汰です。こんなに間が空いたことなかったですね。💦   本日から、新カテゴリー「レイキと私」を始めさせていただきます。 m(__)m   あらためまして、こんにちは! あっという間に3月も半ばです! この一週間、こちらは連日どんよりとして強風が吹き荒れ、時に雨あられも伴う超悪天候でした! 職場は同僚にまた感染者が続出、周辺病棟のクラスター相次ぎ、看護職員二度目のファイザー・ワクチン投与で重い副作用が出る同僚も続出、などなど、 実際のお天気に負けない、嵐のような一週間でした。💦 そして私は、2度の摂取とも💉💉、何の副作用も出ませんでしたよ! 日本人つよい!? 以前は薬などでも色々アレルギー出たり、超敏感なほうだったんです、私は。父がこのタイプ。 母は「何でも来い」で、病気も寄って来たそばからスルーして行くような人。具合悪くて寝込んだなんて試しがなく、風邪すらひかず、「これやばいよっ💦?!」みたいなもの食べても何ともない!!😮 天然系超健康優良婆、の異名を取る所以です。  ありがたいことに、歳とともに母化現象(?)が私に起きており、母の遺伝子が今頃目覚めて活躍し始めてるようです。ハッハッハ😄「何でも来い!!💪」   さて、去る3月10日は、その超健康優良婆のお誕生日、86歳になりました!🎂🎉 母によると、グループホームからお祝いの特大色紙を頂いたそうで、真ん中にご本人の写真、その周りに「皆のアイドルNさん!」「その笑顔に癒されます」などなど嬉し~い💕言葉がたっくさん書かれていたとのこと! 😂   「ママはアイドル!」なんてドラマがありましたね、昔。見てなかったけど。 「ああ、母化してる私にも、バラ色🌹の老後が待っている!!」と、嵐の一週間もなんのその、幸せ一杯2~30年後のアイドル妄想✨にふけりました。   とにかく「自然体」でして、うちの母は。ご本人曰く「原始人」。 いつもフツーに意味なく幸せ🍀。もちろん怒ったり落ち込んだりもありますよ、人間ですから。でも決して引きずらないんです! 動物が例えば縄張り巡って「ギャー」とかやるでしょ、でもそれ済んだらケロッとして、恨みつらみネチネチクヨクヨしないじゃないですか。そんな感じ。   そして、私が子供の頃お腹痛かったりすると、原始人母は手を当ててくれたものです。あ~、あったか~い!