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ふしぎ体験(14)「最高の旅立ち」

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日本に住んでいた時に、4年間ルームメイトだったこともある ベストフレンドの一人Aちゃんが、 今日、静かに、旅立ってしまいました。   末期ガンでもうそろそろ、今日か明日かも、と予測していたことでした。分かっていたこととはいえ、 心にぽっかり穴が開いたような寂しさ・・・。 と同時に、深い喜びと誇らしい気持ちも! というのも彼女、「最高の旅立ち」をしてくれたからなんです。   桜は見られないだろう、と主治医は言っていたそうですが、4月1日に予定されていた姪御さんの晴れ姿を何とか見せることが出来たら!と願っていたご家族。 私たち友人も、共に祈りました。   一昨日の4月1日、願いが叶ったその日は、病院敷地内の桜がまさに満開!🌸 そして、なんとその夜に容体急変し、 4月3日未明、息を引き取りました。  そのお顔は穏やかで、まるで微笑んでいるようだった、と。   私初め友人たちには、心配かけないよう深刻にならないように配慮し続け、ご家族には感謝の言葉をかけ続けた、 愛情深く、知性とユーモアに溢れた、素敵女子!   みんなの期待に応え、みんなの心を一つにして、 ふしぎでも何でもない、心は繋がってる、祈りは通じる、すべてうまくいく、 という希望を与え、否、真実を見せて、   はい、じゃあね。って行っちゃった。   Aちゃん! カッコイイにもほどがある!!😭   拍手大喝さいで、見送るよ!!!   👏👏👏👏👏👏👏👏       

ふしぎ体験(13)「本当の原因」

先週、うちの職場はコロナ感染が急拡大。もう何度目ですか?のクラスターとなりました。   同僚たちも次々感染。オミクロンは言われているように重症化しない?のか、ブースターの影響もあるのかも?しれませんが、同僚たちやそのご家族は今のところ風邪かインフルエンザのような症状どまりです。 金曜日は仕事が休みでしたが、職員が足りないということで駆り出されました。 クラスターのため病棟に新たな入院患者さんを入れない、面会もストップということで、落ち着いて仕事がやりやすい面も。クラスター時の対応にも慣れてきており、押さえるところさえ押さえれば、そうストレスもありません。👍 そういう訳で「あまり気にしない」。😊 オンライン講座を作ると決めて張り切り準備中、余計なストレスで消耗しコロナ感染してる暇はありません!💪   で、動画を作るために先週購入しましたのは、 スマホを固定するスタンド、ワイヤレスマイク、そして動画編集ソフトの三つでした。明かりが足りないことが分かったので、リングライトというものも購入、明日月曜日に届きます。 機械やPCとの格闘は思うようにいかずガックリくることもありますが、「あまり気にせず」いそいそやってます。 ただ、 映像に映る自分を見る・声を聞くのが結構辛いんですね💦。 自意識過剰、というやつでしょうか。見た目、声、話し方、もうダメだしの嵐!!「あまり気にしない」が出来ない~。😅   はい。というわけで、 唐突ですが、ここで久々の「ふしぎ体験」談でございます。   副業であるレイキサロン&太極拳スタジオがコロナで進められない事態、実は私は心のどこかでホッとしてる?ようなところがあるんです。 やっぱりまだ怖がってる? 「批判」に対する恐れも、「変化」に対する恐れも、色々取り組んだおかげで自覚する限り激減したようなのですが、では何をまだ恐れているんでしょう?     折しも、「人生でどうも抜け出せないこと、繰り返してしまうパターンは、過去生から来ている可能性がある」という話をあらためて読みまして、 私の過去生体験を思い出しました。 「ふしぎ体験・スマトラ島にて①」 https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2021/01/blog-post_24.html その過去生での大失敗(自分の嘘がもとで一人の子供が死んでしまった)が

ふしぎ体験(12)「番外編」

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この度「人生二大ふしぎ体験」を改めて振り返り、敢えてブログに書いて見ましたのは、1月10日の記事、覚醒体験後(18)「在りたい自分??」、           ↓ https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2021/01/18_10.html   「在りたい自分」ですね。これをハッキリさせましょう!という目的がありました。   書いている最中、   ふしぎ体験→大きな気づきから、なに?!もう10年以上経ってるつーのに、全然進歩が、・・・おっとー!!、またしても自己ジャッジの悪癖が蘇ったり💦。   過去生については心の整理がとっくについていると思っていたら、書きながら震え出したり涙が出てきたり、感想を寄せてくれた読者の方(心の友人でもある)の愛情溢れる言葉にまた涙したり。心があらためて浄化し、やっと重荷を手放すことができなような。   まあこのように、🐢よりも遅い歩みで、高校時代の下校時よりフラフラ寄り道しつつも、確実に着実に前進中ではないか、と!👍👍👍     そして「在りたい自分」も、ここへ来て更に明確になってきました。✨ 3日ほど前に、わーっと浮かんできた言葉を、以下シェアさせて頂きたいと思います。m(__)m       在りたい自分は、既にそうである自分。宇宙の一部、であること。   それ以上でも以下でもない自分を、宇宙にただ明け渡せば、恐れ、不安、疑いは自ずと消えて行く。 すべてと一つであることをいつも思い出せば、本来の自分が蘇る。   その本質であるところの、愛で在りつづけ、愛を伝え、愛を広げるためだけに生きよう。 それがまったく出来ない自分にこそ、最上の愛を捧げよう。   軽やかな心で、上昇下降を繰り返す人生の波に乗り、気付き、出会い、思わぬ展開を楽しみ、 心配せずに信頼し、「今ここ」を味わい、日々の小さなことを慈しめば、   限りなく豊かな最高の人生を、私はもう送っている。         <a href="https://pixabay.com/photos/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=1023340"

ふしぎ体験(11)「スマトラ島にて③最終回」

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ふしぎ体験(10)「スマトラ島にて②」のつづきです。   そして、この「過去生体験」は、それ以上深追いすることもなく、そのままになっていました。   そして、2008年のこと。   ベルギーに移住してから8年が経ち生活には慣れたものの、40代半ばだった私は若いころのように無理が効かなくなってきており、身体中を連鎖反応のように壊した時期でもありました。 翌年の2009年にはノルマンディー・ふしぎ体験もあり、ちょうど人生の転機に来ていたようです。   さて、2008年。ふと、また過去生体験を思い出し、よく分からないままだった「自然を敬え」が、気になり始めました。   これは、「傲慢になるな」より、もっともっと深いメッセージなのではないか?   スマトラ島での私は、自然と共に生きていたはずだった。いったい、どんな自然を敬っていなかったというのだろう?   ・・・。   自分、だ。   最も身近な自然の一部、自分!   自分を、在るがままの自分を、ダメな自分を、過ちをおかす自分を、 最低の自分を、ゆるし、認め、更には敬いなさい、と言うことだったんだ! それがしっかり出来れば、自然の法則である「すべてとの調和」が、自ずと整いますよ、と!   人は脳が発達して自意識が芽生え、「私は何故生きているのか?」「私は存在に値するのか?」など考えるようになり、自分で自分を認めるのが難しく、他人に認めてもらおうとするようになった。   だからいつも自分をチェックし、完璧に近づこうとし、歳を取ることも、病気になることも、失敗することも、出来ていたことが出来なくなるのも許せない。   でもそれが他の人なら、例えば親友なら、歳を取っても何が出来なくなっても親友としての価値はまるで変わらないのに、 それが自分だと変わってしまう。   親友なら、例え彼(彼女)がスマトラ島の私のような過ちを犯したとしても、「自分を責めつくして自殺しなさい」なんて間違っても言わないはず!   自分を親友のように、ゆるし、認め、敬えばよかった。それこそが自然な在り方で、「自然を敬え」は、きっとそのことだったんだ!   自然に在れば、すべてとの調和は自ずと蘇り、超自意識過剰な私も固執から解き放たれ、真実が見え、正直になれ、深い感謝と共に揺るぎない調和の世界を築いていくことができたろう。   そしてそれこそが、真の「償い」な

ふしぎ体験(10)「スマトラ島にて②」

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 ふしぎ体験(9)「スマトラ島にて①」のつづきです。   ところが遂に大失敗! 私のいいかげんな「予言」がもとで、一人の子供が、なんと死に至ってしまう!   ・・・しかし、どういうわけだろう?! そんな事態にもかかわらず、人々は私にとってあまりにも都合のいい解釈をし、私を信頼し続けるのだ!!   どうしたらいい? 先に進めなくなってしまった。正直に話す? これまでついた嘘をすべて? 自分の罪は自分で被ろう、でも人々の怒りは、私の家族にまで及びはしないか? 食事も喉を通らず、誰にもこの葛藤を打ち明けられず、ますます痩せ細っていく。 「病気かい? 早く良くなっておくれ」「あの薬草が良いよ。私が取って来て上げる」みんなが心配し、励ましてくれる。つらい。非難され憎まれたほうがどんなに楽か。   恋人とはすでに別れている。こんな嘘と邪心にまみれた心の暗闇に、透明な光に満ちた彼を引きこみたくなかった。理由も分からず突き放された彼の悲しい顔が、いつまでも脳裏に焼き付いている。   そして私が選んだ道は、誰にも何も話さず、閉ざした心を罪悪感と自己非難で埋め尽くし、 身体は栄養失調と衰弱に任せて、じわじわと死んでいくことだった。 なかなか簡単に死に至るものではなく、沈痛な年月が流れる。 ある日、フラフラの身体を押して、吸い寄せられるように山に登る。 やっとの思いで頂上にたどり着き、向かいの山の見事な滝が見渡せる、大好きな風景をもう一度目の当たりにしたとき、   天から? 大地から? 心の奥底から? 大きな声が聞こえ、圧倒される。   その声が放った言葉は、「自然を敬え」。   そのまま二度と村に戻らず、山で孤独の死を迎える。 午後の太陽の黄色い光に、やっと吸い込んでもらえるような気がした。     以上が、 CDの誘導による私の過去生体験でした。   体験中、指や手足が勝手に、特に手の指が盛んに動きました。   「なんでこんなに指が動くんだ?」とか、「誰かがドアのブザーを鳴らすと困るな」とか、意識は現実の世界にもあり、眠りの状態ではありませんでした。   スマトラ島に関しては、今まで特に関心を持ったこともなかったので、驚きました。これは本当に過去生の記憶なのか、単なる空想の産物なのか?   自分としてはその問いはあまり重要ではなく、ただこの話が自分の深い内面の性質を怖いほど的確に言い

ふしぎ体験(9)「スマトラ島にて①」

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「ノルマンディーにて」シリーズが終了しましたところで、   私がこれまでに遭遇した、2大ふしぎ体験のもうひとつを、続けてお話しさせて頂こうと思います。m(__)m   それは、「スマトラ島にて」起こりました。 とはいえ、私はスマトラ島に行ったことはないのです。今生では。 はい。このシリーズは、私の過去世体験でございます。     1995年頃、まだ日本に住んでいた時のこと。 友人が、「過去世体験」というCDを貸してくれました。そのCDの誘導に従うと、催眠状態となり、前世ないし過去生が蘇る、というのです。   まったくの興味本位でやってみましたところ、以下のような、鮮烈なイメージと物語が浮かんできてしまいました!   子供時代。足元を見ると、はだし。   足の裏がとても硬くて頑丈なのが、自慢。 褐色の肌、引き締まった身体、漆黒の髪。小柄で痩せっぽちながら大変な働き者の少女、それが私。   大自然と人々と調和しながら、日々汗を流して働き、困っている人がいれば助け、みんなが幸せになるように知恵を出し行動するのが何よりの喜び。  愛情あふれる家庭。優しい村人たち。美しい自然に囲まれたのどかな村。 森に行くといつも出会う、派手な色の鳥が一番の友達。   一風変わった子供である私には、予知能力のようなものが備わっており、それで村人たちの問題を解決することが多く、みんなに慕われ大事にされている。 早く大人になって、もっともっと人々に、村に貢献したい。   私が住んでいるところは? スマトラ島。   17歳。恋人が出来る。瞳に深い優しさをたたえた青年。私の人生の中で最も輝いた年。 しかしその後、ようやく大人になろうとする私に、これまでの調和をくつがえす異変が起こる。 17歳をピークに、予知能力が衰えて行くのである。   そうとは知らず相談に来る村人たちに、正直なことを言えず当てずっぽうな予言・助言をしてしまう。 まぐれで当たったり、当たらずとも遠からずだったり。誰も自分を疑わない。   調子に乗ってそのまま「うそ」を通す。曖昧で意味深長なことを言えば、人々が後で辻褄が合うように解釈してくれることが分かり、その手を使い続ける。   ところが遂に大失敗! 私のいいかげんな「予言」がもとで、一人の子供が、なんと死に至ってしまう!     つづく    <a href="h

ふしぎ体験(8)「ノルマンディーにて⑧最終回」

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ふしぎ体験(7)「ノルマンディーにて⑦」のつづきです。   「どちらでもいいですよ! お好きなほうで、ね!」     ・・・その後も普段の生活では、彼の事を忘れていることがほとんどです。   ごくたまに思い出しても、・・・ええと、ジェームスさん? 健太郎?  「お好きなほうで」と言われても、ねえ。まどろこしいので、 ジェームスの愛称ジミーと健太郎をミックスして「ジミケン」と呼ぶことにしました!   呼称は決まったものの、ジミケンとの「交信」は、その後は全く!と言っていいほどありません。   実は私は昔から、弟の魂は自分に同化している? ような気がしていました。一つの身体に、二つの魂が入ることも良くあるのだとか。   皆さま私の文章を読んですでにお気づきかもしれませんが、私はどうも考え方・感じ方が女性より男性に近いところがあり、外側から見てもわかるらしく、少年っぽいだの中性的だの、よく言われます。  弟が同化しているのだとしたら、あの時あえて分離して登場したことになりますね。何のために?「己の深い魂の声」を聞くために? そして再び自分に同化しているのだとしたら、ほとんど思い出さないというのも理にかなっている?   まあ、ヘンな人のヘンな考え、と思って読み流してください。💦  あ?ここまで続けて読んでくださっているということは、あなたさまもちょっと変人?😄   ・・・さてここで、後日談です。   2015年9月、再びノルマンディーを訪れ、同じホテルに泊まりました。因みに私のではなく、夫のアイディアです。   また何か起こるかな??と思っていたら、20部屋ほどある中から、また前回と同じ部屋に通されました。  「6年前もこちらに来たのですが、その時も同じ部屋でしたよ」とホテルの人に言ったところ、「へえ、そうですか! ああ、あの部屋がある棟はね、来月から大改装することになっているんです。丁度その直前でしたね」   前回2009年の訪問時は曇りがちで肌寒く、アロマンシェ海岸「ゴールドビーチ」はD-DAYに思いを馳せるに相応しい、閑散とした雰囲気でした。 2015年の訪問時は素晴らしいお天気で🌞、ビーチは海水浴客で賑わい、同じ海岸とは思えないほど明るく楽しい雰囲気でした。   ノルマンディー滞在後、フランス・ベルギー国境付近の街に立ち寄り一泊。その時のホテルも20部屋ほどあ

ふしぎ体験(7)「ノルマンディーにて⑦」

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ふしぎ体験(6)「ノルマンディーにて⑥」のつづきです。   普段の生活では、ジェームスさんの事をすっかり忘れていることがほとんどでした。 そしてその2年後の、2011年10月9日。   父が亡くなって 丁度10年を迎えたこの日、私は日本一時帰国の途につきました。 フライトは、ブリティッシュ・エアウェイズのロンドン経由。イギリスと言うことでジェームスさんを思い出し、「お、まるで一緒に行くみたい! 楽しいー♪」。 実家に到着し、母の元気な笑顔に迎えられ、まずは父の遺影にご挨拶。すると、遺影の前に見覚えのある押し花が!    母はジェームスさんからのプレゼントを大切に、そして毎日、父と共に彼にもご挨拶したり話しかけている、と言うことだったのです!   家族に恵まれなかった、と言っていたジェームスさんは、母親の愛情に憧れているのだろう、と思っていました。 母が、直接会った私よりずっと、彼を大切な身近な存在として扱っていることを、きっとジェームスさんは喜んでくれているに違いない!と、私も胸が熱くなりました。     ・・・そして、その年(2011年)の暮れのこと。   腰痛防止体操をした後、そのままゴロンとしてボケーっとしていた私は、ふと!ジェームスさんの気配を感じました。   彼は、にこにこ😊しながら、こう言いました。   「どうして私が、あなたのお父さんと出会ったと思います?」  「ああ、そうでしたね、ジェームスさん! そのことを『いずれお話しします』とおっしゃっていましたね!」   父が親しくしていたあるご家族の、まだ小さいお嬢さんが霊視能力があるということで、父の他界後、彼女のバレエの発表会に父はロシア人など40人くらい連れてきた!という話を聞いたことがありました。 へえ!父は天国で国籍も超え色んな人と関わっているのか!と、その時とても愉快に思ったのですが、ではジェームスさんとはどういう経緯で知り合ったのか、大変興味をそそられるところでした!   「私はね、まっちーこさん。日本に生まれ変わろうと思ったことがあるんですよ」   ・・・息の根が止まるかと思うほど、驚きました。   「健太郎?!」   母は、私を産んだ2年後に男の子を出産しましたが、残念ながら死産でした。 「健太郎」という名前が、彼に用意されていました。   「・・・本当に?! ジェームスさん、 それ、本

ふしぎ体験(6)「ノルマンディーにて⑥」

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ふしぎ体験(5)「ノルマンディーにて⑤」のつづきです。   魂の存在そのものが、愛。 どんな存在も特別ではないのです。そして、だから美しいのです。 これらは、それまでの私には、全くなかった発想でした。   翌日。   ベルギーに戻る前に、海岸に沿って、同じく上陸作戦の舞台となったオマハビーチとユタビーチの間にある、オック岬に行きました。   そこにはドイツ軍の基地があったそうで、連合軍の爆撃に遭い巨大な穴が地面のあちこちに、今もそのまま残っています。穴の間を歩き、辺りにころがっている基地の残骸を見ながら、当時の様子を思い浮かべました。 「敵、って何なんでしょうね?」   昨夜会ったジェームスさんが、また話しかけてきたようでした。   殺風景としか言いようのない岬に、ふと薄紫色の一輪の花を見つけました。直径3センチほど、5つの花びらを思い切り広げている見たことのない花が、ひとつだけぽつんと咲いている。   「お母さんに、あげてください」   ジェームスさんがそう言ったような気がしたので、花を摘んで、押し花にして持ち帰りました。   母には電話やメールでジェームスさんの話をしました。母は大変興味を持って聞いてくれました。 母以外にも、機会があるごとに、多くの人にこの話をしました。   夫にはしていません。😅 ジェームスさんの言う通り、彼はこの手の話は信じないし受け付けないのです。が、本人に自覚はなくともジェームスさんの言うことを感じ取って行動した、ということですから、それで良いのだろうと思っています。   押し花は、数か月後にベルギーに遊びに来た母に、直接手渡しました。 「ジェームスさんから」と言って渡したとき、母がちょっと怪訝な顔をしたような気がしました。興味を持ってくれたとはいえ、霊からのプレゼントなんてやっぱり気持ち悪い、と思ったかな? ジェームスさん、がっかりしたかな?   「魂の存在そのものが、愛」 「どんな存在も特別ではない。そして、だから美しい」   彼から教わったこの二つの事は、その後もふと思い出しては、味わい咀嚼しました。   が、普段の生活では、ジェームスさんのことをすっかり忘れていることがほとんどでした。     つづく      オック岬        

ふしぎ体験(5)「ノルマンディーにて⑤」

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ふしぎ体験(4)「ノルマンディーにて④」のつづきです。   「私が今どんなに幸せか、あなたの想像が及ばないくらいですよ」   会話はさらに続きました。   「まっちーこさんは、アロマンシェ海岸で、お母さんに上げようと貝殻を拾いましたね。どこにでもある貝殻だったでしょう? たまたまこの砂浜に上がっただけ。  私たち兵士も同じです。 まっちーこさんは昨日、去年この地を再訪して大歓迎を受けた、生き残り元兵士たちの写真や壁画を見ましたね。あなたが勤める老人科の患者さん達と同じ年頃だ、と感慨にふけられましたね。 それは結構なのですが、私は、彼らや死んだ我々も含め、英雄視されることを全く嬉しく思いません。私たちはどこにでもいる人間。この出来事に関わる運命にあっただけです。   特別な人間など、どこにもいないのですよ。歴史上の英雄も聖人も、そういう役目を担っただけです。 立派な行いをする人も、堕落した人生を送る人も、それぞれに理由があります。 珍しい運命をたどる人がいても、それは「特別」ではない。あなたの貝殻と同じですよ。珍しい形の貝殻はあっても、やはり貝殻の一つに過ぎません。あなたと私は、今こうしてお話をすることでお互いに特別な意味を持っていますが、あなたも私も「特別」ではないんです。   人は皆、それぞれの課題を持って生きています。その課題は、すべての、大いなる宇宙の、調和のためのものなんです。 だから、 どんな存在も特別ではないのです。そして、だから美しいのです。 忘れないでくださいね」       ・・・ここで余談です。 (その1)   「どんな存在も特別ではない」は、逆に「すべての存在は特別」とも言えるかと思います。   が、私などは「すべての存在は特別」と言われると、「そうか!じゃ私は、その中でもっと特別を目指そうー」などと考えて「違うだろ」方向にスタコラ行ってしまうので、ジェームスさんもそれを見越して「どんな存在も特別ではない」という表現にしたのではないか、と思われます。(^_^;)ゞ   (その2)   これは単なる私の空想ではないか?? という疑いが時に脳裏をかすめながら、「会話」がなされていました。 が、あえて太字にしました二つの事、   魂の存在そのものが、愛。 どんな存在も特別ではないのです。そして、だから美しいのです。   これらは、それまでの私には、全

ふしぎ体験(4)「ノルマンディーにて④」

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ふしぎ体験(3)「ノルマンディーにて③」のつづきです。   ドアのところで振り返った彼は、パッとその存在を輝かせ、 「もちろんです!」 と言って去っていきました。   じわ、じわ、じわ、と身体に温かみが戻ってきました。   その後も、心の中でジェームスさんとの会話が続きました。ん?彼は去ったはずなのに、と思ったとたんに答えが。    「あなたと私はもう知り合えて、心の繋がりが出来たので、もう寒い思いなどさせることなくお話しができるのですよ」   以下は、その時の会話です。 お伝えしやすくするためにジェームスさんの1人語りのように書いていきますが、実際は、私が言っているのか彼が言っているのかわからないような会話でした。あまりにもハモリが見事で、自分がどのパートを歌っているのか分からなくなる感じと似ていました。   「他界されているあなたのお父さんですか? はい、良く存じ上げていますよ! あなたに会うためにも、多大なご協力を頂きました。どうやって知り合ったのか、って? そうですね、彼と私は、時代や民族を超えて互いに引き合うものがあったのです。 このことは、いずれもっとお話ししますね。   まっちーこさん、あなたのお母さんにも、私の事を話してくださいませんか? きっと私を、そのままの私を、受け入れてくださるでしょうね? そうしたら私は、あなた方ファミリーの輪に参加しているような気持ちになれるでしょう!   『まあ、じゃあ彼は65年もまっちーこが現れるのを待っていたの?』ってお母さんは思われるかな。でも私たちには、時間と言う感覚はないんですよ。あ、それから、”天国に行けずに彷徨う霊”、なんて暗いイメージは持たないでくださいね! 私はずっと幸せだったんです。   光りのメッセージを受け、全宇宙の祝福を受け、「そうか、自分はこれで良かったんだ。自分は、すべては、そのままそれで良いんだ!」とわかったと同時に、私は悟りました。   魂の存在そのものが、愛 である、と。   そのことを知らずに、 あまりにも多くの人が、 不幸を作ってしまう。   愛を求めなくていい。あなたが愛なんです。そこに、心底、気付いてほしい。  私は十分幸せですが、この思いをしっかり受け取めてくれる人がいたら、もっともっと幸せになれると思っただけなんです。   何故あなたか、って? Whay not?   私た

ふしぎ体験(3)「ノルマンディーにて③」

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ふしぎ体験(2)「ノルマンディーにて②」のつづきです。   霊は恐縮した様子で、ついに話を始めてくれました。   「私は、あなたが今日ご覧になり気に留めてくださったお墓の主、"A SOLDIER" です。   あなたが御想像なさった通り、家族の愛に恵まれず、恋愛にも失望。そんなときに、当時のヨーロッパの脅威だったドイツを抑え込むことに人生の目的を見い出しました。私は脇目も振らずに進み、上陸作戦に参加しました。   そして、遂にドイツの衰退が見え隠れし始めたころです。 何故か、私は困惑し始めました。私の「目的」が果たされたら、その後どう生きて行くのだろう?と。 そんな折、ドイツ軍がつまらないミスをおかしました。それは我々にとっては全く喜ばしいことだったのですが、私はと言えば、足元が救われたような衝撃を受けたのです。   そのミスとは、かつて私がおかした馬鹿げたミスとそっくりで、そのとき私は、相手が同じ人間であること、自分が自分と戦っている!という奇妙な感覚に襲われました。それまでは先頭を切るほどだった私が、その感覚から抜け出せず前に進めなくなってしまったのです。   そこで私の人生は終わりました。そして死の瞬間に、まるで予期していなかった、想像を絶する至福が訪れました!   「自分が自分と戦っている」それは錯覚ではなく、真実です。それを体感できたのは、全宇宙の祝福に値する素晴らしいことですよ。   という、光のメッセージを得たのです!   ・・・まっちーこさん、あなたは「私は目的に突っ走るタイプだったけど、それを見直し始めました。旅の目的は旅そのもの、人生の目的は人生そのもの。そういう気持ちで、今回の旅行に行ってきます」と、お友達に書かれていましたね。同感です。    私はずっとあなたを待っていました。Wさん(夫)も私の言うことを感じ取って、あなたをここまで連れてきてくださいました。残念ながら彼は私の存在を信じないので、あなたとだけお話しさせていただきます。彼をのけ者にしているようで、心苦しいのですが。   私はあなたの事も彼の事も、良く知っていますよ。 Wさんと仲良く、これからも楽しい人生を送ってくださいね。聞いてくださってありがとう!」   霊が立ち去ろうとしているのが分かりました。   「あ、待ってください、A SOLDIERさん! あなたの

ふしぎ体験(2)「ノルマンディーにて②」

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 ふしぎ体験(1)「ノルマンディーにて①」のつづきです。   霊がいる?! その日に見た夥しい白いお墓が目に浮かびました。 兵士たち?! みんなで来ちゃいました、とか? でも、なんで?!   その時、枕元の左側に気配が。「霊は一人だ」と直感。 「ごめんなさいね」と言っている感じ。・・・優しい感じ。   「霊は何かを伝えたくて現れるので、聞いてあげればいいんです」と、以前どこかで聞いたような。   とにかく怖い気持ちも全く起きないくらい、寒くて敵いませんので、何でも聞きますよー、早く言ってくださーい!   霊は困っている。   まっちーこ「どうしました?」  霊「はい、もうちょっと受け入れ体勢になって頂けると」 まっちーこ「受け入れ体勢?!」   寒さで胎児のごとく身を縮こまらせているから? 心を開くように仰向けになれ、と? いやはや、わかりました。やりますよ、やるしかないようだし。   仰向け~~、うわ~~、さむい~~、つらい~~~!!   霊は恐縮した様子で、ついに話を始めてくれました。   つづく        アロマンシェ海岸付近のイギリス軍兵士たちの墓地(極々一部)    

ふしぎ体験(1)「ノルマンディーにて①」

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またまた新カテゴリーの登場です。「ふしぎ体験」!   過去に私は2回ほど超不思議体験をしていまして、それらについてお話ししてみたいと思います。 そのうち一つは、2009年9月、夫と二人で行った旅行先のノルマンディーにて起こりました。   この旅行では、カレー海峡(イギリスで呼ばれるところのドーバー海峡)、有名なモンサンミシェル、そしてバイユーでこれも有名なタペストリー(歴史物語の刺繍絵巻)を見るのが主な目的でした。三つの目的を果たし堪能した後は、カーンという学生街に立ち寄ってベルギーに戻る予定でした。   ところがカーンで泊まったホテルのサービスが悪く、夫がホテルを変えようと言い出しネットで調べ、カーンから近いアロマンシェと言う海岸付近のホテルを見つけ、そこで最後の一泊をすることに。 朝早くカーンを出発しアロマンシェへ。ホテルは大きな古い家を改造した、どちらかと言うと民宿。庭にリンゴの木があり、風情があって良い感じでした。 アロマンシェ海岸がホテルの部屋から見え、海には黒いブロック状の防波堤が点々と。「・・・あっ、ここは上陸作戦の舞台の一つ、ゴールドビーチだよ!!」、と思わぬ展開に! 早速、そのゴールドビーチを訪れました。 イギリス軍がたったの12日間で作ったという即席港の残骸が残されたまま。忘れないためにあえて残してあるのだそうです。 すぐ近くのD-DAY博物館と、おびただしい数の兵士が葬られた墓地も訪れました。   このびっしりと佇む一つ一つのお墓の下には、音楽好きがいたり、笑わせ上手がいたり、プレイボーイがいたり、 ・・・と考えていたら気が遠くなり、 ふと「A SOLDIER」と刻まれたお墓が目に留まり、「ああ、身元が分からなかった兵士だな」。何とも痛ましく、感慨深く・・・。   そしてその夜は、旅行最後の夕食ということで、ノルマンディーの特産を味わいました。 リンゴのお酒シードル(この地方は葡萄が採れない)、カマンベール、そしてガレットという蕎麦粉のクレープ。ガレットは卵、チーズ、ハムなどをはさんで、野菜を付け合わせに食事として食べるものです。デザートはノルマンディー風アップルパイ。これまたこの地方の特産であるカラメルが入っていて濃厚な味でした。😋 満足してアロマンシェの宿に戻り、夜も更け、眠りにつきました。 深夜。   「ふう、暑いなあ」と目が覚