投稿

4月, 2021の投稿を表示しています

レイキと私(9)「ヘンなもの」

 父の他界後、夫と私はようやく結婚し、私は晴れてベルギーの正式滞在許可を得ました。🎊   その後は、いきなりアップテンポのとんとん拍子!   不法滞在中すでに上級まで通っていたオランダ語学校を最上級まで受け、看護助手の職業訓練校に半年通い、家の近くの総合病院にすぐに就職することができました!👍 とはいえ私が興味を持っているのは西洋医学ではなく東洋医学や代替え医療のほうなので、病院での仕事の傍ら色々と調べてみましたが、ベルギーは周辺国と違い非常に閉鎖的、現代西洋医学以外はほとんど認められていないことがわかってきました。   初めてレイキと言う名前をこちらで耳にしたときも、 「知り合いがヘンなものに引っかかって信じ込んでしまって。レイキっていう」  そういう話だったんですよねー。💦   レイキ=気功だと思っていたので、夫には「SHIATSUの一種」と言って時々施術していましたが、 オランダ語クラスで一緒だったアフガニスタン出身の女性と親しくなり、彼女にそんな話をしたところ大変興味を示し、「是非自分にやってみてほしい!」と。   そこで家に招待して、施術させてもらったんです。   夫とまるで違い凄く感度が鋭い人で、施術中も「あ、暖かい! 何か感じる! あ、すごい!」などなど反応が素晴らしい!    彼女はかなり骨盤が歪んでいたようで左右の脚の長さが明らかに違い、仰向けに寝てもらったところ足の開き方も極端に違っていました。が、施術が終わるころには足の開きがしっかり左右対称になっていて、私自身がビックリ!   骨盤矯正らしきことをしたわけではなく、F先生に教えて頂いた通り頭と身体のいくつかのポイントをゆっくりじっくり触れていただけなのに。   ご本人も、「大変気持ちよかった、スッキリした、体内のエネルギーが入れ替わったみたい!」と驚きの大満足、 「これは、是非多くの方々にやってほしい!!! あなたの仕事にすべきよ、私、大宣伝するから!!!」  この時、考えすぎずためらわず、彼女の言う通りに行動起こしていたら、今頃はカリスマヒーラーだったかもっ?!   が、ベルギーでは全く認知されていない、自分の夫にも話せない「ヘンなもの」、 いつか、きっと、そのうちに、・・・と思っているうちに、   とんでもない年月が流れていましたーーー!😆  

レイキと私(8)「父の旅立ち」

 「レイキと私」シリーズ、 思ったよりも横道にそれまくり、なかなか本題に入らないまま8回目を迎えてしまいました。タイトルも長すぎるので、「アラフィフ起業大成功!」カテゴリーから外し単独カテゴリーに変更しました。ご了承の程。m(__)m   さて、不法滞在期間中、 一度具合が良くなった父は心筋梗塞を起こし、その後膵臓ガンが発見され肝臓と肺に転移しており既に手遅れ!!😧  再び私は日本とベルギーを行き来することになりました。 気功治療のF先生と、ヒーラーとして活動し始めていた障碍者自立支援で仲間だったYさん、 このお二人が「押し掛け治療」と称してお礼も受け取らず、入れ代わり立ち代わり父の元に来てくださいました。 (私自身も、F先生から教えて頂いた気功治療を父に施術したと思うのですが、何故か記憶にありません。💦)   そのお蔭も充分あってのことでしょう。父はガンによる痛みが何と!一度もないまま、あと3か月と主治医に言われたところ9か月生き、その大半を病院ではなく自宅で、やりたいことをやり会いたい人に会って、旅立って行きました。   病院で父を看取った母。叔父・叔母、そして「押し掛け治療」で私の両親とも大変親しくなっていたYさんが駆けつけてくれました。亡くなった直後の父は、目を見張るほど満面ニコニコ笑顔だったということを、後で彼らから聞きました。   私は死に目には会えず、知らせを受けて2日後に帰国・到着。父の満面ニコニコ笑顔は、穏やかな仏像スマイルになっていました。   父の希望通りの宗教無し・お花を飾るだけのお葬式。父が俳優養成所講師をしていた時の生徒さんたちが、素晴らしい段取りで司会・進行をしてくださるという願ってもない成り行きに!   めっぽう真面目で不器用、ダンディーで三枚目、頑として自分を貫く強さの内に秘めた痛々しいほどの繊細さと愛情深さ。多くの方がそんな父の逝去を惜しみ、お別れに来てくださいました。   死亡後の諸手続きを終え、 一人っ子の私は母を残してベルギーに戻ることに、大~~きなためらいが。💦その一方で、ストレスが増える一方だった夫(当時は結婚直前でしたが)も心配。 夫はこの際仕事を変えようか、思い切って日本でベルギー風フライドポテト屋をやる? と言うことも考え始めていたり。   親戚やご近所と親しく交流し友達も多かった母は、地域活動やアルバイト、

レイキと私(7)「セルフメイド・セルフヒーリング」

ベルギー⇔日本を行ったり来たりの一年が過ぎ、 幸いなことに父も私もベルギーの彼も健康状態が少し落ち着き、今後の展望が見え始めたので、私はベルギーに腰を据えることにしました。   それは良いのですが、・・・ 国の歴史から始まって何でもかんでも複雑怪奇なベルギーは、移民手続きや結婚制度等についても例外ではなく、ただこれを話し始めると新シリーズ作って延々と~、になるので止めておきますが、   長い話を短くすると、他の事情も絡んで私たちは結婚するまで随分と月日がかかり、行政から待たされた期間とはいえ私は滞在許可のない事実上「不法滞在者」になってしまい、慣れない異国暮らしのストレスに拍車がかかりました。 話がちょっと変わり、日本でキューバ音楽をやっていた時のことですが、   友人にYさん(日本人)とL君(キューバ人)という国際結婚カップルがいました。彼らは東京に住んでおり、L君の日本語上達、日本に馴染む努力、ミュージシャンとして仕事をゲットしていく行動力は素晴らしく、周囲を驚嘆させていました!   その一方で、それを常に陰で支えたYさんの功績は周りからは目立つものではなかったのですが、いかに大変ですごいものか、私は友達だったので本人からも話を聞いて良く知っていたんです。 これは、もちろん夫と私にも当てはまることでして、海外生活に慣れるのは容易なことではありませんが、受け入れてサポートするほうも負けず劣らず大変なんですね。   そんな中、夫は鬱になりかけていましたから、今思えば本当に良く支えてくれたと感謝しかありません。💕  が、当時はYさんとL君の事も忘れ、ストレスから自分の大変さしか見えなくなって夫に八つ当たり😠💢したことも、一度や二度ではありませんでした。💦   その頃、  こちらでキューバ音楽活動が出来るかどうか、アントワープで仲間を探しましたが何と1人も見つからず、自分1人で弾き語りをするにもキューバ音楽好きが集まるような場所もなく、ショボーンと休止状態になっていきました。    (残念なことにそれは今も同じ状態なのです。が、決して諦めたわけではなく、弾き語りを老後の楽しみに残しています! キューバ音楽の大御所はみな高齢者、歳を取らないと味が出ない音楽、と言われているのです!😉)   (「日本人がキューバ音楽?!」と言う、こちらに人たちにしてみたらあまりのチ