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4月, 2022の投稿を表示しています

音楽と私(2)「再開」

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「私の歌はダメだ!」 と打ちのめされたことが過去2回あります。 一回目は、日本で障碍者自立支援に関わっていた時に、重度の身体障碍者の人たちとカラオケに行ったときです。彼らの歌に打ちのめされました。   脳性麻痺の人たちでしたが、彼ら、障害から来る緊張で、それこそ身体を振り絞って歌うんです。彼らにしてみたら、ものすごくハードで疲れることだと思う。それでも歌うんです。   歌うって、うったう(訴う)から来ているらしいんですね。天に訴う、人に訴う。 彼らの「訴え」は、かっこよく見せようとか、うまく聞かせようとか、そんな余計なものが微塵もなく、生きている喜びというのでしょうか、ストレートにハートに来ました。💘 私はもともと器用にあれもこれも出来てしまうタイプで、で、何一つモノにならないという。💦   歌もそうです。   器用に歌うから、みんな「うまいねー!」って喜んでくれるから、ちやほやされれば嬉しいから、小手先テクニックを駆使して歌ってきました。 惚れこんだキューバ音楽では、器用だけじゃなくてハートも込めて歌っていましたが、うまく聞かせよう、かっこよく見せよう、私を認めて、っていうエゴ含有率は高かったですね。 打ちのめされた経験二回目はキューバでした。     キューバで当時90歳(!)の男性スターがステージで軽く踊りながら軽く歌うのを見たとき、そのあまりのカッコよさ!に腰が抜けました!  余計な力、余計なものが抜けきっていて、枯淡の境地とはこのことでしょうか、これほど魅了されたのは初めてでした。 当時まだ30代前半だった私は、エゴと余計な力のカタマリ。こりゃ遠すぎる・・・ ガックリ来ました。😔     ベルギーに来てから、音楽続けるにしてもこれではだめだと思い、まずそれまで歌うときに駆使していた「小手先のテクニック」を全部やめてみました。 ・・・あまりの下手さ、スカスカの中身のなさに、愕然として、大泣きしました。 それからまた気を取り直して、何度もやり直して、 少しずつ「普通に歌える」「余計な力を抜いて気持ちよく歌える」ようになったんですが、周りにはキューバ音楽愛好者が集まって演奏できる場所もなく、キューバ音楽仲間も見つからず。   他の色んな場でも試しましたが、ベルギー人たちから見たら「日本人がキューバ音楽?!」というのはただ単に超~チグハグ。「素敵だ」と言って

音楽と私(1)「たどり着いた『今』を」

新カテゴリー、「音楽と私」です。🎵   前々回の記事でお話しした、 https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2022/04/14.html 2週間前に天国に旅立った親しい友人は、キューバ音楽を通じて知り合った人でした。    「昔、キューバ音楽をやっていました」という話を、以前いたしましたが、 https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2021/03/blog-post_22.html  レイキと私(4)「キューバ音楽と気功治療」   その後、 こちらでキューバ音楽活動が出来るかどうか、アントワープで仲間を探しましたが何と1人も見つからず、自分1人で弾き語りをするにもキューバ音楽好きが集まるような場所もなく、ショボーンと休止状態になっていきました。 残念なことにそれは今も同じ状態なのです。が、決して諦めたわけではなく、弾き語りを老後の楽しみに残しています! キューバ音楽の大御所はみな高齢者、歳を取らないと味が出ない音楽、と言われているのです!😉)  「日本人がキューバ音楽?!」と言う、こちらに人たちにしてみたらあまりのチグハグさもブッ💨飛ばすほどの、キューバ音楽好きでなくともイチコロ魅了💓するほどの、いぶし銀の深~い味わいを、スルメのようなイカスまっちーこ婆が歌い奏でるのであります!😍🎸🎶 (青字は、レイキと私(7)「セルフメード・セルフヒーリング」より抜粋)   というわけで、 ここ数年はギターも弾かず歌うこともなかったのですが、友人の死をきっかけに当時のキューバ音楽仲間との交流が復活したことから、ふとまたギターを手に取ったりしていました。   この仲間たち、レイキ仲間たち、他の友人たち。私の自慢、私の宝です。 このブログにわざわざ来てくださる方々も。💕 みんな、この先行き不透明な時代を、色んな事を抱えながら真摯に生きている。   友人たちと最近また深い心のやり取りがあり、それが根底にあったのか、昨日イースター復活祭の日、突然歌詞が付いた曲が浮かんできました。 今朝その歌が完成、ギター伴奏を付けて、早速スマホで録画→YouTubeアップしてしまいました! ~たどり着いた「今」を~ というタイトルです。 出来立てで粗削りですが、よろしければ聴いてみて下さいね。   https:/

ドタバタ遠距離介護(20)「あんた、あたしの何なのさ?」

東京にいる認知症の母、グループホーム入居に際した「ドタバタ遠距離介護フィナーレ」は、2020年9月。あの汗💦と涙😢と大爆笑の😂サスペンス劇場から一年半がたちました。   ~ドタバタ遠距離介護シリーズ ~ https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/search/label/%E3%83%89%E3%82%BF%E3%83%90%E3%82%BF%E9%81%A0%E8%B7%9D%E9%9B%A2%E4%BB%8B%E8%AD%B7     あれからノーテンキ健康優良婆の母には、ずっと会っていませんが、 ほぼ毎日、電話で話しています。 母はほとんどいつも上機嫌!😄 ですが、私が誰だかわからなくなって来つつあります。   「まっちーこ、って、ムスメだよね?😄」 「さようでございます!😀」   という期間を過ぎ、最近の会話は、毎回こんな感じ。⤵   「もう私、訳わかんないんだけど~。 😄 ・・・あんたって、あたしの何なのさ??😅」  「今生では根性のないムスメをやらして頂いております😀」(ウケたりウケなかったり) 「そうだよね! 隣のおばさんじゃないよね。(マジで言ってるのか?ジョーク入ってるのか?)会わないでいるから、忘れちゃうよ」  「会いに行くの難しいんですよ」 「なんで」 「コロナがまだハビコってて」 「ああコロナか~」 「今は規制(水際対策)がちょっと緩んでるんだけど、休暇取れてないし。分かってたら前もって休暇取ってたんだけどね」 「私が生きてるうちに来ないとだよ」 「ははは! それは心配しようとしても笑いしか込み上げてこないので、大丈夫でしょう!😆」 「分かんないよ~」 「あと40回くらいは会えるはずです」 「40回?! とにかく完全に忘れる前に来ないと」 「完全に忘れたら、また自己紹介して仲良くなれば良いじゃないですか!」 「あはは!! そだね~!!🎵」    今はグループホームという安全なところにいてくれるお陰でこんな風に笑い話が出来ますが、母がまだ一人暮らししてた時だったら・・・。💦 認知症が始まってからは年に2回帰国していました。その頃にコロナだったら、と思うとゾッとします。😨   遠く離れている親御さんや家族の元へ、簡単に行き来できずヤキモキされている方が、きっとたくさんいらっしゃるだろうな

ふしぎ体験(14)「最高の旅立ち」

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日本に住んでいた時に、4年間ルームメイトだったこともある ベストフレンドの一人Aちゃんが、 今日、静かに、旅立ってしまいました。   末期ガンでもうそろそろ、今日か明日かも、と予測していたことでした。分かっていたこととはいえ、 心にぽっかり穴が開いたような寂しさ・・・。 と同時に、深い喜びと誇らしい気持ちも! というのも彼女、「最高の旅立ち」をしてくれたからなんです。   桜は見られないだろう、と主治医は言っていたそうですが、4月1日に予定されていた姪御さんの晴れ姿を何とか見せることが出来たら!と願っていたご家族。 私たち友人も、共に祈りました。   一昨日の4月1日、願いが叶ったその日は、病院敷地内の桜がまさに満開!🌸 そして、なんとその夜に容体急変し、 4月3日未明、息を引き取りました。  そのお顔は穏やかで、まるで微笑んでいるようだった、と。   私初め友人たちには、心配かけないよう深刻にならないように配慮し続け、ご家族には感謝の言葉をかけ続けた、 愛情深く、知性とユーモアに溢れた、素敵女子!   みんなの期待に応え、みんなの心を一つにして、 ふしぎでも何でもない、心は繋がってる、祈りは通じる、すべてうまくいく、 という希望を与え、否、真実を見せて、   はい、じゃあね。って行っちゃった。   Aちゃん! カッコイイにもほどがある!!😭   拍手大喝さいで、見送るよ!!!   👏👏👏👏👏👏👏👏