音楽と私(2)「再開」
「私の歌はダメだ!」 と打ちのめされたことが過去2回あります。 一回目は、日本で障碍者自立支援に関わっていた時に、重度の身体障碍者の人たちとカラオケに行ったときです。彼らの歌に打ちのめされました。 脳性麻痺の人たちでしたが、彼ら、障害から来る緊張で、それこそ身体を振り絞って歌うんです。彼らにしてみたら、ものすごくハードで疲れることだと思う。それでも歌うんです。 歌うって、うったう(訴う)から来ているらしいんですね。天に訴う、人に訴う。 彼らの「訴え」は、かっこよく見せようとか、うまく聞かせようとか、そんな余計なものが微塵もなく、生きている喜びというのでしょうか、ストレートにハートに来ました。💘 私はもともと器用にあれもこれも出来てしまうタイプで、で、何一つモノにならないという。💦 歌もそうです。 器用に歌うから、みんな「うまいねー!」って喜んでくれるから、ちやほやされれば嬉しいから、小手先テクニックを駆使して歌ってきました。 惚れこんだキューバ音楽では、器用だけじゃなくてハートも込めて歌っていましたが、うまく聞かせよう、かっこよく見せよう、私を認めて、っていうエゴ含有率は高かったですね。 打ちのめされた経験二回目はキューバでした。 キューバで当時90歳(!)の男性スターがステージで軽く踊りながら軽く歌うのを見たとき、そのあまりのカッコよさ!に腰が抜けました! 余計な力、余計なものが抜けきっていて、枯淡の境地とはこのことでしょうか、これほど魅了されたのは初めてでした。 当時まだ30代前半だった私は、エゴと余計な力のカタマリ。こりゃ遠すぎる・・・ ガックリ来ました。😔 ベルギーに来てから、音楽続けるにしてもこれではだめだと思い、まずそれまで歌うときに駆使していた「小手先のテクニック」を全部やめてみました。 ・・・あまりの下手さ、スカスカの中身のなさに、愕然として、大泣きしました。 それからまた気を取り直して、何度もやり直して、 少しずつ「普通に歌える」「余計な力を抜いて気持ちよく歌える」ようになったんですが、周りにはキューバ音楽愛好者が集まって演奏できる場所もなく、キューバ音楽仲間も見つからず。 他の色んな場でも試しましたが、ベルギー人たちから見たら「日本人がキューバ音楽?!」というのはただ単に超~チグハグ。「素敵だ」と言って