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ドタバタ遠距離介護(23)「私はだあれ?」

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来る3月10日は我が母のお誕生日、めでたく88歳、米寿を迎えます!🎊 忘れまくりもこのところ磨きがかかり✨レベルアップ⤴中! 最近は、母に電話をしますと、私が誰だか分かってないこと急増中! 以下、先日の会話です。   私 「もしもし、パラちゃんです(母は私を何故かそう呼ぶのです) 」 母 「パラちゃん? ってだれ?」 私 「😅まちこちゃんです」 母 「まちこちゃん、というと?」 私 「😅😅えっと、ちこちゃんです。(赤ちゃん~幼児の時の呼ばれ方)」 母 「ちこちゃんか! ちこちゃんって言わないとわからないよ~」 私 「😱ご、ごめんごめん💦」  そうなんでよすねー、勤め先の老人病棟でも「あるある」です。 古い記憶ほど残るんですよね。 ちょうど母にお誕生日カードを書こうとしていたので、 「88才おめでとうございます!!」 の後に、 「ちこちゃん&ウエンチ(母がつけた夫の愛称😆)より」 と書きました。👍 翌日また母に電話をしたところ、   私 「もしもし、ちこちゃんです」 母 「ちこちゃん? ってだれ?」 私 「😵?! パ、パラちゃんです」  母 「ああ、パラちゃんか!😊」   ・・・おいっ??!!😂😂😂       <a href="https://pixabay.com/ja/users/darkmoon_art-1664300/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=2435351">Dorothe</a>による<a href="https://pixabay.com/ja//?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=2435351">Pixabay</a>からの画像   果たして母は、お誕生日カードの送り主を判明できるのであろうかっ???💦

ドタバタ遠距離介護(22)「確固たる決意!」

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私はもともと非常に神経質で、団体になじめず引っ込み思案。そのくせ確固たる自分を持ち、何か主張があると突然前に出てくる!、という子供でした。 幼稚園にも行きたがらず、よく先生が迎えに来てくれたものです。先生は母に「難しいお子さんですね」とおっしゃっていたとか。   小学校もそんな調子で、3年生の時に登校拒否もやりました。 学校に行かなくていい犬や猫がうらやましかった。毎朝お腹が痛くなり、団地のベランダの手すりから飛び降りたら行かなくて済むかな、と、手すりに片足かけたりしていました。(2階だったので死にはしないだろう、怪我すればいいかな、くらいに考えていたように記憶しています)   が、転機が訪れました! その頃「長靴下のピッピ」という本を読んで、「世界一強い女の子 」に心を奪われたまっちーこ!  「私は、こういう子になる!」という、 確固たる 決意が!✨ 髪型をピッピみたいにして、思い切って立候補して学級委員になったり、クラス行事に寸劇を作って演じてみんなを笑わせたり、男の子ばかりの空手クラブに入り一番元気な声を出して指導者に褒められたり、みるみる活発な子供になっていったのです。   そんな大変身が出来たのも、両親が私をいつも尊重し信頼してくれたから。(感謝!) 確固たるものを持つ強さと、感受性が強すぎ自滅しそうになる弱さ、その両方が極端な形で備わっていた「難しいお子さん」の私を、甘やかすこともなく型にはめることなく、伸び伸び育ててくれたんですね。(大感謝!)   私の極端な強さと弱さが同居している性質は父譲りで、その父はインテリで探求心が強くユーモアがあり、私は主に父の影響を受けてきました。 母は、いてくれて当たり前、空気のような存在でした。 父と私は、虚弱体質、過敏アレルギー体質、風邪などもひきやすく、母は具合悪くなったことあったろうか?というほど元気! 鼻声だな、と思ったら翌日は治っている、落ち込んでる?と思ったらすぐケロッとしている。いつもそんな感じでした。 ただ生まれつき超健康な人なんだ、と、長いこと思っていたんですね。   10年ほど前でしょうか、アルボムッレ・スマナサーラというスリランカの偉いお坊さんが書いた 「まさか老病死に勝つ方法があったとは -ブッダが解く心と健康の因果法則ー」という本を読んだら、 ・・・確か、魂レベルの高い人、だったかな、の特徴を

ドタバタ遠距離介護(21)「カメでございます!」

セプテンバー9月、になりましたね!   9月と言えば思い出すのが、2020年の「ドタバタ遠距離介護フィナーレ」!  あれから2年かー。   うちの原始人母は、グループホームで相変わらず、忘れまくってノーテンキ。 電話をすると、最近は、 「もしもし、カメよ」 という受け答え!(笑) 「 あ!はいっ、カメでございます!」 「あははは」😄 「あははは」🐢   マジ雑草・ピーパパに負けず劣らず、87歳の今日に至るまで病気らしい病気をしたことがない、このお方。軽い風邪すら滅多にひきません! 先日「コロナ感染した」という知らせをグループホームから受けましたが、数日間鼻声だっただけ。💪 入院を段取り中ということだったので、入院して隔離されたら「何故なのか」を本人すぐに忘れるからそれが少し心配でしたが、結局病院に空きがなく入院せずに済みました。 コロナに関しては過去の信頼と実績?から、「どうせ大丈夫」という、微動だにしない確信がありました。   母の「やったら元気」の秘密は、やはりその原始人気質から来ているようです。 野生動物にも近いような。 でも人間ですから、怒ったり喜んだり悲しんだり落ち込んだり、もちろんするんですが、 考えない、気にしない、ひきずらない。 心身の健康には、最適な心の持ち方、ですよね?  そこへアルツハイマーですから。片っ端から忘れる。鬼に金棒! 意識は常に「今ここ」にある!✨   「認知症が進行し、衰えが進んでいる」 ということなんですが、 「余計なものが削ぎ落ち、どんどん良くなっている」 というふうに、 わたくし、カメの目からは、見えるんですよね。😊        

ドタバタ遠距離介護(20)「あんた、あたしの何なのさ?」

東京にいる認知症の母、グループホーム入居に際した「ドタバタ遠距離介護フィナーレ」は、2020年9月。あの汗💦と涙😢と大爆笑の😂サスペンス劇場から一年半がたちました。   ~ドタバタ遠距離介護シリーズ ~ https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/search/label/%E3%83%89%E3%82%BF%E3%83%90%E3%82%BF%E9%81%A0%E8%B7%9D%E9%9B%A2%E4%BB%8B%E8%AD%B7     あれからノーテンキ健康優良婆の母には、ずっと会っていませんが、 ほぼ毎日、電話で話しています。 母はほとんどいつも上機嫌!😄 ですが、私が誰だかわからなくなって来つつあります。   「まっちーこ、って、ムスメだよね?😄」 「さようでございます!😀」   という期間を過ぎ、最近の会話は、毎回こんな感じ。⤵   「もう私、訳わかんないんだけど~。 😄 ・・・あんたって、あたしの何なのさ??😅」  「今生では根性のないムスメをやらして頂いております😀」(ウケたりウケなかったり) 「そうだよね! 隣のおばさんじゃないよね。(マジで言ってるのか?ジョーク入ってるのか?)会わないでいるから、忘れちゃうよ」  「会いに行くの難しいんですよ」 「なんで」 「コロナがまだハビコってて」 「ああコロナか~」 「今は規制(水際対策)がちょっと緩んでるんだけど、休暇取れてないし。分かってたら前もって休暇取ってたんだけどね」 「私が生きてるうちに来ないとだよ」 「ははは! それは心配しようとしても笑いしか込み上げてこないので、大丈夫でしょう!😆」 「分かんないよ~」 「あと40回くらいは会えるはずです」 「40回?! とにかく完全に忘れる前に来ないと」 「完全に忘れたら、また自己紹介して仲良くなれば良いじゃないですか!」 「あはは!! そだね~!!🎵」    今はグループホームという安全なところにいてくれるお陰でこんな風に笑い話が出来ますが、母がまだ一人暮らししてた時だったら・・・。💦 認知症が始まってからは年に2回帰国していました。その頃にコロナだったら、と思うとゾッとします。😨   遠く離れている親御さんや家族の元へ、簡単に行き来できずヤキモキされている方が、きっとたくさんいらっしゃるだろうな

ドタバタ遠距離介護(19)「受け入れているか、いないか?」

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ドタ遠(18)「名脇役になろう!」のつづきです。   母の遠距離介護にあたって、「老人科で仕事していてラッキーだった!」 と思うことがもう一つあります。   毎日のように新しい患者さん来られ、ご家族も見え、まあとにかく色んな人がいるんですよ、当たり前ですが。「認知症」ひとつとっても、千差万別。それこそ「極楽」から「地獄」まで。   そして、いつもお見舞い客に囲まれている人もいれば、1人も身寄りのない人も。では前者が幸せで後者が不幸かと言うと、実際ご本人とお話してみると全くそうとは限らないんですね。   何が違うのか。「状況」ではない何か、ですよね。「心の在り方」でしょうか。 ・・・受け入れているか、いないか? まあ、そんなことも仕事から学んだというか、感じたというか。   お蔭で遠距離介護・初期の頃、恐れたり不安になるより母と自分の「状況」をまず受け入れよう、という気持ちになり、そしてそれは、後々私にとって大きな心の礎となりました。 もう一つ心の指針となったのが、かつて読んだことがあり記憶に残っていた、これ。↓   昔アイヌの人々は、高齢者が所謂「ボケ症状」を起こすと、「爺様は神様の国に近づいておられる。だから我々とは違うんだ」と考えたそうです。   素晴らしいですね。ある意味、本当ですよね。   母を見ていても、忘れるって良いことだ、認知症って楽しい! と思うようになったり。だって気持ちがいつも「今ここ」じゃないですか!    最近は「まっちーこって、私のムスメだっけ?」と言うことも出てきましたが、全然ショックじゃないんです、これが。「はい、今生ではムスメやらしてもらってます、まっちーこです。よろしくね💕」なんて言って一緒に「あははー」と笑ってます。😃😄   母もこのままどんどん忘れて行って、軽やかに穏やかに「愛」だけになって、神様の国に近づいて行ってくれれば最高です。そりゃ寂しさたっぷり入り混じりますけど、ね。それも人生の味わい。   受け入れれば心はそのまま「極楽」に、恐れて抵抗すれば「地獄」に近づく。超シンプルなんですね、きっと。   「不幸は全部自分が作っている」と言われる所以でしょうか。   皆さまはどう思われます?     つづく     <a href="https://pixabay.com/ja/users/geralt-9

ドタバタ遠距離介護(18)「名脇役になろう!」

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以前、ドタ遠(6)「社長秘書」でご紹介しました、 KDDI電話移転のサスペンスは今思い出しても冷や汗が出ますが、           ↓  💦💦 https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2020/11/blog-post_29.html 終わり良ければ総て良し、グループホームの母の部屋に電話移転できたお蔭で、毎日直通でTEL📞しています。    入居して4か月近くが経ち、母は一度だけ不機嫌なことがありましたが(何故かは本人覚えてない)、それ以外はいつも明るく溌剌とした声で、こちらが元気を頂くくらい! のほほん施設暮らしに大満足している様子です。ま、一人暮らしも満喫しきった、というのもあるのでしょう。   いやー本当に良かったなあー😂、と感謝の毎日。💖   7年に及んだ「ドタ遠」も、今思い返すと楽しいことばかり。いや、大変だったことも楽しく思い返せる、ということでしょうか。本当にありがたいことです。(涙)   とはいえ初めの頃は、どう対処したらいいのか全く分からなかった頃は、かなりキツかったですよ、正直!   ただ自分にとってラッキーだった事の一つは、私が病院の老人科で、他ならぬ「看護助手」として働いていたということでして。    と言うのも、患者さんは勿論ドクター・看護師など同僚をいかにうまくサポートするか、という仕事ですから、そういう職業的感覚がプライベートでも多少沁みついていたのか、   ドタ遠でも、自分の立場・気持ち・考えよりも、 母ご本人様をいかに尊重しながらサポートするか、という方向に早く切り替えられたような気がするのです。   心配心から「こうしたら? ああしたら?」と持ち掛ければ、母は「そんなの必要なーい!」とにべもなく、口論になったときも一度や二度ではなかったのですが、   ちょっと待てよ、と視点がサポート業に切り替わり、これを私はホントに御本人のために言ってる? 「私」 が安心したいからでは? 「私」 が気にする世間体のためかも?! と、考え直すことが出来ました。尊重されていると感じれば母も素直に協力的になってくれ、スムーズにいくことも色々と出てきたり。 もともと私自身はと言えば、お呼びでなくても舞台中央に踊り出てくるタイプ。自己主張の強さたるや「ウザい、こいつ!」と自分でも思うほど。😝   海

ドタバタ遠距離介護(16)「滞在をお楽しみください」

ドタ遠(15)「ベルギーへ」のつづきです。   ベルギーのコロナ第一波は、2020年2月末のスキーバケーション・シーズン後に起こりました。  イタリアなどで感染爆発が既に騒がれていましたので、ベルギーでも空港など国境でチェックが行われるだろうと思ったら、何と、ただの「野放し状態」でした。フランスなど周辺国も同様だったようです。   人々は何のチェックも受けず、通常通り帰って来て、 家族に会い、友達に会い、おじいちゃんおばあちゃんにも会い、こちら式挨拶の頬にキス三回をやり、握手して、ハグをして、仕事や学校に戻り、   コロナ第一波の、大爆発が起こったのでした。結果、ヨーロッパ中が相次いでロックダウンへ。   規制の甲斐あってベルギーでは6月ごろ状況改善が見られ、生活が少し通常に戻りました。が、ホッとしたのも束の間、8月初めには我が街アントワープで再び感染拡大が始まり、その後あちこちで増え始め、夏休み後の大爆発を懸念して、ベルギーでは空港や国境で「旅行者質問書」記入が義務化されました。   私も、そういう訳で、日本を発つときにオンラインで質問書に記入しました。機内でも、 オンライン記入が間に合わなかった人のために、書類を配っていました。羽田でも、乗り継ぎをしたフランクフルトでも、「ベルギーに行く人は質問書記入を忘れないよう」再三注意を受けました。   ところが、    到着したベルギーの空港内では、その書類を提出する場所もなく、オンライン記入したのか聞かれることもなく、更に、質問書記入後は、PCR検査を受けるべきかどうかの指示があるはずなのに、それもない!、まま!、だったのです!!!   唯一私が受け取ったのは、「ご記入ありがとうございました。ベルギーでの滞在をお楽しみください」というメール回答のみ。「もしや、どこかに仕掛けが?」と、穴が開くほど読み返しましたが、やはりそれだけ。 幸い、ベルギーの日本大使館から「日本人は入国制限なし、検査の必要も無し」という情報を得ていたので、それで良しとしましたが、   なんという、ことだ、ベルギー??!!   「旅行者質問書」がちゃんと機能していないらしい、ということは小耳にはさんではいましたが、これでは「野放し状態」だった第一波直前と、ほとんど変わりないじゃありませんか! すでに到来していた第二派は、その後当然のごとく勢いを増し、

ドタバタ遠距離介護(15)「ベルギーへ」

ドタ遠(14)「決めて信じる、味わい楽しむ」のつづきです。   2020年10月5日。いよいよベルギーに戻る日がやってきました。   夕方の便だったため、午前中は時間がありました。高齢者移転事務所で使った、母の通帳、印鑑、その他をご本人に返すためグループホームに行き、最後と言うことでほんの短時間、中に入ることが出来、母に会わせていただきました。 母は、・・・いたいた! 静かで、穏やかで、明るく和んだ雰囲気の中、他のお仲間と、お椀などの洗い物を布巾で拭いていました。このグループホームに入れていただき本当に良かった、と、目頭が熱くなりました。   所長さんに残りの手続き関係など逐一お伝えし、母とはハグもできませんから、遠くから「はい、またねー!!」と手を振り、職員の方々に「今後ともよろしくお願いいたします!」と頭を下げて回り、最後までドタバタしながら建物を出ましたら、 うっかりバスの時間を気にしていなかったことに気付き、「しまった💦」と青ざめた瞬間に、何とちょうどバスがやってきたではありませんか!🚌   おお、最後まで、「何故かうまく行った」!!🎊   羽田空港国際線ターミナルに到着すると、不気味なほど「しーん」と静まり返り、人は超まばら。夫にバームクーヘンを買っていくつもりでしたが空港のお店はすべて(国際線だけでしょうが)閉まっていまして、断念。   飛行機を待つ間、そしてガラガラの機内で、 この度のドタ遠をしみじみ振り返り、「やるだけやった」と満足していました。完璧ではなくても、すべてうまく行ったことにひたすら感謝し、嬉しい充実感を味わっていました。 ただその時はまだ、前回書きました自分の心の状態についての「気付き」には、至っていませんでした。   さて、ブリュッセル国際空港に到着したとたん、せっかくの満足・充実感に冷水💦💦を浴びせるような、「ベルギーの呆れる現状」が、私を待ち受けていました!😱 つづく    

ドタバタ遠距離介護(14)「決めて信じる、味わい楽しむ」

ドタ遠(13)「 何故かうまく行く!②」のつづきです。 ドタ遠のときの私の心境には、「決めて、信じる」以外に、「味わい、楽しむ」というものがありました。   ここ数年の帰国は、いつも初夏と晩秋でした。今回2020年は、9月中旬から10月初め。晩夏から初秋の日本を訪れたのは、20年ぶりくらいでしょうか。 初日の夕方、力強い蝉の大合唱が聞こえてきました! わー、蝉なんて、20年ぶりだ! ミーンミーンミーン、ツクツクボーシツクツクボーシ🎶!    その数日後、合唱団は蝉たちから秋の虫たちへと入れ替わり。松虫、鈴虫、チンチロリンチンチロリン、リンリンリン、なんと清らかで美しい! うっとりと聞き惚れながら、眠りにつくその心地よさたるや、ムニャムニャムニャ・・💤。   蝉も、秋の虫も、ベルギーにはいないのかしら。鳴き声を聞いたことがありません。   更に数日後は、「しん」とした静けさにすっぽりと覆われた、秋の夜。 季節の移り変わりを、こんなふうにしみじみと味わえる、これぞ、人生の彩り。   ドタ遠帰国とはいえ、こんなふうに「日本にいる」というだけで、心は浮きたち、研ぎ澄まされるのです。海外に住んでいらっしゃる方なら、きっとこの気持ちはおわかり頂けるでしょう。   独特の季節感、人々の礼儀正しさ、お店やスーパーで売ってる品物なんか、見るだけで至福!! わー、よもぎ餅! わー、メロンパン! お総菜コーナーも天国の如し! コロッケだ! 揚げ出し豆腐だ! もう、嬉しいの楽しいのなんのって、ぜんぶ買っちゃいたい!!   カフェに入ればお水が出てくる、レストランに入ればおしぼりも出てくる! トイレはピカピカウォシュレット! ああ、素晴らしい、ああ、至れり尽くせり! 街を歩いていても、どこにいても、ああ日本だ🗾、満喫しよう💕! となるんです。   まさしく、「今ここ」をひたすら「味わい、楽しむ」マインドフルネスが、努力なしで自動的にできてしまう状態、なわけです。   もちろん、滞在主目的はあくまでも「ドタ遠」。 意外な事態に遭遇!、まるで思った通りいかない!、超青ざめるしかない!!、・・・連日起こります。 ただ、通常と違うのは、そこで「落ち込んだり」「くよくよしたり」「自分を責めたり」「他人や社会を責めたり」「いつまでもブータレたり」   そんなことに割いている時間はない!!!  と

ドタバタ遠距離介護(13)「何故かうまく行く!②」

ドタ遠 (12)「何故かうまく行く!①」のつづきです。 「それだけではなかった」   他に、では何があったのでしょう? それは、「ドタ遠」時の 私自身の意識 、 心の在り方 、が、通常とは違っていた、ということでした。 まず、通常に、フツーに、考えてみましょう。 高齢の母は認知症で一人暮らし。一人娘の私は海外在住。 どんなことが起こるでしょう。良い想像は難しい反面、悪い想像は、いくらでも思いつきます。想像は妄想となり膨張し暴走し、たちまち自分自身がそこに巻き込まれ、嵐にもまれる小舟のごとし、となります。   5,6年前のことでした。 日本で母とテレビを見ていた時に、「家族5人と住んでいた認知症の男性が、 夜こっそり外に出てしまい(家族は誰も気が付かなかった)そのまま行方不明」といった実話が紹介されていました。 母は他人事のように、「認知症、コワイねー」 私はと言えば、「うわー💦 そうか、一緒に住んでたって、こういうことはあるんだ!」 勤め先の老人科でも、患者さんが病院を抜け出してしまうことが、稀にあります。そのまま見つからなかったことは幸いありませんが、「一体どうやって!!??」ということが起こったりするんです。絶対に安全な場所は、どこにもありません、ということです。 とにかく私としては、母の事は、   「 必ずうまく行く!! 」   と 決めて 、 信じる 、しかありませんでした。   「お母さんをベルギーに呼びよせればいいのに」、という人も結構いらしたので、ここでちょっと付け加えておきますと、まず本人が、「旅行で行くのは良いけど、住みたかないね」。 日本語で話せるのも私だけ、私と一緒でなければ本人どこにも行けず何もできず、一気に衰える可能性大。「老木は植え替えるな」と言うコトワザも、こちらにはありまして。   いずれにせよ、ゴチャゴチャ考えるのはストレスになるだけ。こうすればOK!という、確実な有効策も安全策もないし、あとは、何しろ母の人生ですから「本人の意向」を第一に、その時その時に対処するのみ、でした。    「必ずうまく行く!!」と決めて、信じる。 その根拠の皆無さにもかかわらず、 これはしかし、凄い力を発揮しましたよ! 母宅の電話機を皮切りに家電が次々に壊れたり、母の親しかったご近所お二方が相次いで引っ越すことになったり(能天気な母もこれには大ショック

ドタバタ遠距離介護(12)「何故かうまく行く!①」

ドタ遠(11)「さようなら実家」のつづきです。   さて、10月を迎え、日本滞在も残すところあとわずかとなりました。   実家とお別れした翌日10月2日は、生保申請結果が出る日でした。例の根拠のない確信どおり、OK!を頂きました!👌🙆    市役所で手続き各種を終えた後、幼馴染と待ち合わせてランチ。 「何食べたい?どこに行く?」と聞かれ、「お蕎麦!天ぷら蕎麦!!😆」 私が呼び出したのに、ここでもまたご馳走して頂いちゃいました!m(__)m💦   当初は10月4日にベルギーに戻る予定でしたが、コロナで便が欠航、5日に延期となりました。職場に伝えたところ、「あと1日休暇?!オッケー、何とかしましょう」。こちらも何故かすんなりと。 ホテルの部屋を簡易事務所にして手続き関係の残りと、あとは友人に会ったり100均など買い物三昧するつもりでした。コロナで今度いつ日本に来られるかわかりませんからね、あれもこれも買っとかないと。   が、いや待てよ、滞在が1日伸びたのなら、前々から是非!!受けたいと思っていた、「研勢塾」の初級講座を受けよう! と思いつきました。   「研勢塾」は、「すべての武道・武術に通じる極意」を個人指導しているところで、太極拳の姿勢と動きを日常生活に活かす取り組みを続けている私は、2年前にその先生のブログに出会い、 「こ、これだっ!!!!!!!!」 と、完全にハマってしまいました。 が、海外在住ですし、帰国と言えば「ドタ遠」、受講する機会はそれまで全くなかったのです。   「初級講座・全6回を3~4日間でやる、というのは無謀かな。いや、そもそも今から予約ってのが、無理でしょう、ふつう💦」と、まあダメもとで問い合わせてみたところ、 「その日程とその時間帯なら、それぞれうまい具合に、全部空いてます!」と、先方もビックリ!! 他の生徒さんの病気ドタキャンが重なって、のことでした。   いやー、今回受講出来て、本当に良かったです!! 折良く先月から、研勢塾のオンラインサロンが出来たので、そちらで受講を続けています。   研勢塾については、取りあえず、ここまでにしますね。ご興味が湧いた方は下記へどうぞ。 https://ameblo.jp/yspo/     と言う訳で、この度のドタ遠。最後の最後まで 、「何故かうまく行く!」のオンパレードでした。🎊   こ

ドタバタ遠距離介護(11)「さようなら実家」

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ドタ遠(10)「海外送金」のつづきです。   2020年9月30日。実家をカラにする日がやってきました。🌞   アシストのKさん+相棒Sさん+2人の作業員の方、計4名様が、朝のお約束時間ピッタリにいらっしゃり、さすがプロだ、と思わせる手際の良さで、仕事を始めてくださいました。 その傍らで、私はまず、今まで「高齢者移転事務所」用に使っていた電話機を母に返す準備と、専用アダプターをKDDIに返却する準備。そしてその晩からホテルに移動するので荷造りしてあったスーツケースと、掃除道具を部屋の隅に移動し、アシストの皆さんに「これは持って行かないでくださいね💦m(__)m」と念を押しました。   午後3時頃作業終了、とのことだったので、私はその間、郵便局(アダプター返却)、グループホーム(電話機を母に)、その後友人2人と遅めのランチとお茶(2週間の自宅待機期間もちょうど終わっていたので)、会話に花を咲かせながら、そこで作業終了の知らせを待つ、という段取りでした。   終了の知らせを受け帰ってみると、見事にカラ。お掃除もザッとしてくださってありました。 アシストの皆さんがお帰りになった後、私は翌日の査定に備えてお掃除。立つ鳥跡を濁さず。54年もお世話になった、感謝の気持ちを込めて。   夕方ホテルに移動し、その後は「実家引き上げ打ち上げ」と称して、ランチとは別の友人5人と行きつけの洒落た居酒屋へ。美味しい料理とお酒と会話を、心底味わい楽しみました。私が企画したというのに、呼び出した5人におごってもらってしまう、という感動結末まで。😂   そして翌日。査定の日です!💓 まずは、前日に引き続き、お掃除。その後、母が散々お世話になった下の階のMさんのお宅で、心のこもった美味しいお昼を御馳走になり、午後1時、いよいよ査定!   何となく怖そうな人を想像していましたが、大変腰の低い、感じの良い男性がいらっしゃり、 あちこち隅々までチェック、逐一記入して、計算され、   査定の人:「そうですねー」 まっちーこ:(どきどきどき) 査定の人:「追加費用として、こういう金額になりますが、よろしいでしょうか」 まっちーこ: (どきどきどきどき) ・・・あら、覚悟していた5万円の、約半分!!😮 理由は、畳と奥の部屋のフローリングがきれいだったこと、でした。うちはすぐに絨毯敷いてしまったので、

ドタバタ遠距離介護(10)「海外送金」

ドタ遠(9)「管理事務所にて」のつづきです。   多額の現金を持ち歩いてもまず問題ない、安全大国・日本。🗾 だからでしょう、今も現金で支払うことが非常に多いですね。実家を空にしていただく業者さんに22万円ほどお支払いすることになりましたが、当日現金で、が普通らしいのです。   が、これは海外在住者には難題なのです。😕  最近は、海外のクレジットカードでも日本でキャッシングができて便利ですが、 キャッシングはショッピングと違い限度額がヒジョーに低く、大金は引き出せないのです。   そこで、「銀行振り込みでも良いですか?」と聞き、「勿論です」と快諾していただいたのですが、私は日本には口座がないので、日本に居ながらにしてベルギーの自分の口座から海外送金をすることになる旨を業者さんに伝えたところ、   「あ、ちょっと待ってください、うちの社の銀行 、海外送金を受けられないようです💦」 私も海外送金は、今年始めたばかりの初心者🔰なので知らなかったのですが、口座が海外送金を受けられない、ということは結構あるようなのですね。個人の口座なら問題ないようですが、ビジネスの口座だと色々あるらしいのです。   で、経理の方、社長さんも巻き込んで、すったもんだをさせてしまいました。が、業者「アシスト」のKさんはいつも明るく気持ちよく対応してくださり、「今後お客様で、まっちーこさんのような方もいらっしゃるでしょうから、対応を整える良い機会です」と言ってくださいました。👍   散々御面倒をかけ、海外送金が受けられる口座を用意していただき、 やっと送金ができた、その後でフト気付いたのですが、「あれ、このすったもんだは必要なかったぞ!?」。   というのも、私が使っている送金会社のシステムは、こういうステップを踏むのです。   自分のベルギーの口座 → 送金会社のベルギーの口座  その後、 送金会社の日本の口座 → 日本の振込先   ですから、日本の振込先には、最終的にベルギーからではなく、日本からお金が送られることになるわけです。 私がウカツでしたー!😌 アシストのKさんにもその事をお伝えし、お詫びしましたが、最後まで明るく気持ちの良い対応でした。👍👍👍 これで私も学びましたし、アシストさんには、ビジネスをインターナショナルに広げる、絶好のチャンスをつかんで頂けたわけですね!

ドタバタ遠距離介護(9)「管理事務所にて」

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ドタ遠(8)「お別れ会」のつづきです。   団地には分譲もありますが、うちは賃貸でした。なので、元通りにしてお返ししなければなりません。でも54年も住んで、すっかり元通りは無理ですよね~。(^_^;)   片付け業者が実家を空にする9月末日、その翌日の10月1日に、公団の査定が入ることになりました。敷金がどれだけ引かれるか、追加費用がどれだけ生じるか、を見るための調査です。 うちと同様50年以上住んで、最近引っ越された元ご近所の方から、「敷金は戻らず追加費用が5万円くらい」と言う情報がすでに入っていたので、うちもそれくらいか、と覚悟していました。   とはいえ、費用を出来るだけ押さえたいのはヤマヤマ。そもそも何が元々あったもので、何がうちで後から取りつけたものなのか、 管理事務所に確認に行きました。   思い起こせば初めの頃、お風呂は木製だったのですよ!  浴槽の左側は下が釜、上部が「上がり湯」を入れる槽になっていて、その上に小さい木の蓋がついていました。その後ポリ浴槽になり、シャワーも付き、洗面台も新しくなりました。これらは、公団が後から全戸に取り付けたものなので、そのままで良し、と。   窓枠は、初めは鉄製でしたが、その後公団が全戸アルミサッシに交換。「網戸はそれぞれのご家庭で付けたものですが、よろしければそのまま置いて行ってくださって結構です」、と。   「トイレはウォシュレットですか?」と聞かれ、「はい、そうです」。これも公団が後から全戸に付けてくれたのだと思っていましたが、そうではなく希望する家庭だけだったそうで、 「元の便座は、まだとってありますか?」 「は?! べ、便座?! ですかっ?!」 「はい」 「・・・いやあー、ない、と思いますね~~」(結局ありませんでした)   半世紀前の元々の便座が、査定に影響する?! これにはビックリ💦!! ・・・ま、それはそうと、本当に住みやすかったです、団地は。   建物はしっかりして、築50年以上とはとても思えません。上下の音はたまに響きましたが、お隣の音は全く聞こえたことがないですし。22歳から一人暮らしを始めて3回アパートを引っ越し、ベルギーに来てからも3回住まいを変えましたが、建物に関しての問題は、この団地が最も少なかったですね。   号棟間の空間もたっぷりで、芝生や緑が多く、小学校、幼稚園、商店街、銀行、郵

ドタバタ遠距離介護(8)「お別れ会」

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ドタ遠(7)「片付け業者」のつづきです。   これまた帰国滞在中にメドを付けなければならなかった、母の「成年後見人申し立て」。   ネットで調べても、まあ複雑で、どーしたらいーんでしょー?? と言う感じでしたが、敏腕ケアマネの妹・Yさんが司法書士、と言う願ってもない偶然で、この信頼できるお方に申し立て準備をお願いする運びとなりました。私のほうは、Yさんの指図で必要書類などを用意するだけで済みました! ああ、なんと有難い!👍👍👍   しかし、書類! 書類です、皆さん! 片付けで最も大変だったのは、 書類の処分、でした!!   特に、個人情報が記載されているものですが、その種類と量たるや、今思い出しても目眩がします・・・。💫 実家には、手動シュレッダーがありましたが、これは大量の書類を一気に処分するには全く適しません。そこで「名前切り取り作戦」を取りまして、まあ、夜な夜な夜なべしてやりました! 友人も二人手伝いに来てくれまして、お蔭で手にハサミダコ🐙が出来るには至りませんでしたが。   そして手紙類。父の日記。母の日記。読んで、心に焼き写し、処分しました。 写真。これは、と思うものだけ厳選し、あとはすべて処分しました。   片付けで一番気になっていたのは、祖父母のお位牌。結局アシストさんのツテで共同供養していただくことにし、丁重に箱詰めして、白と金の綺麗な布で包みました。父は自然葬だったので、供養はいつも心の中で。   愛着はあるけれど、手放すしかない物たちと、ある夜お別れ会をしました。 「お別れをすることで、実は初めてひとつになれるんだよ」 ふと、そんな言葉が聞こえたような。 は? だれ? 父? 実家をすべて空にする9月30日が、刻々と近づいていました。 つづく    お別れ会            

ドタバタ遠距離介護(7)「片付け業者」

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ドタ遠(6)「社長秘書」のつづきです。   実家の団地。 その敷地は以前は泥沼田んぼで、中央を流れる暴れ川が水害を繰り返し、稲作に大変な苦労があったと聞いています。 昭和40年、その土地に、当時の「新時代の象徴」でもあった「団地」が 建てられ、多くの人々、特に子育て世代が移り住んできて、まっちーこ&父母もそのうちの一家族でした。 それから半世紀以上が経ち、住民の高齢化が進み、空き家も目立つようになりました。一方で、団地の良さを見直して、引っ越してくる若い世代も増えてきています。 団地の商店街はかつての賑わいを失っているものの、代わりに昭和ノスタルジーをコンセプトにしたカフェ、こだわり牛乳屋さん、個性派グッズのお店などが登場し、週末は遠方からも、若い人中心に客足が絶えません。団地は今、新旧が入り混じった、何とも面白い雰囲気を醸し出しています。   さて。50年以上実家であったところを引き払う、というのは、いやはや💦決して簡単なものではありませんでした。物理的に、そして感情的に。この期間内にやるしかない! という追い詰められた状況は、かえってありがたいことでした。 「自分がベルギーに持って帰るもの」「自分は要らないが、まだ十分使えるもの」「捨てるもの」に選別し、連日夥しいゴミ出し!   有効利用したいものは、まず買い取り業者に買い取ってもらい、ご近所に使えそうなものを引き取っていただき、友達にも何かあれば持って行ってもらい、あとはNPO法人「セカンドライフ」というところを通じて寄付しました。 https://www.ehaiki.jp/second/ (ご参考までに)   そこまでやったら、後は片付け業者さんにお任せしようと、業者をサイト比較、そして見積もり比較。 二つの業者に絞ってから、最終的に一つに決めました。その決め手は?「金庫」、でした!   見積もり料金は両社ともほぼ同じで、金庫に関してはどちらも別料金でした。が、A社は金庫の料金がすでに決まっており、B社は、「金庫がまだ使える状態かどうか」を見てから値段を決めていました。 また、B社は国内では需要がない中古食器類も海外に持って行くとのことで、つまりコストを除けばほとんど利益にはならなくとも、有効利用に力を入れている、ということが伺えたから、です。 B社の実名は、買い取り専門店「 アシスト 」。買取だけでな

ドタバタ遠距離介護(6)「社長秘書」

ドタ遠(5)「引っ越し終了」のつづきです。   一番サッサと済ませられるのは、引っ越し関係の手続きだろう。と思っていましたが、「とーんでーもなーい」ものもありました。その一つは、「転居届」です。 「ご本人の委任状が必要です」「委任状書式をダウンロードしてください」 ・・・実家にはパソコンもプリンターもなく、私のミニノートPCでダウンロードは出来てもプリントアウトが出来ません。電話で問い合わせたところ、 書式 も全部手書き 、が解決策! ひえ~! じゃやるしかない。やりました💦。 お次は、ご本人の署名・押印。 グループホームは団地から近いと言っても徒歩・バス・徒歩で30分、書類抱えて社長の元へサインもらいに行く秘書さながら。 しかもコロナです。グループホームに行く前に事情説明して許可をもらい、ホーム到着後は入口で手の消毒と検温、名前と時間と要件を記入。フェースシールドをしてやっと中に入り、2階に上がって社長室をノック。「あら~~!💕」とノーテンキな歓迎を受け、 「早速ですが社長、ここに署名してください」 「何この紙?」 「転居届のための、委任状 です」 「ああ、そう。どこに署名するの?」 「ここですよ」 「はいはい。署名ね。ボールペン、ボールペンっと。で? 何なのこの紙?」 「転居届の委任状ですよ、ここに署名してね」 「ここね。わー、字が曲がっちゃう~! わー、変な字~!(笑)」 「読めるから大丈夫でしょう」 「大丈夫かな。オッケー! で? この紙何だって?」 「・・・(^_^;)」 さらに大変だったのが、KDDIの電話移転。 「転居先がグループホームの場合は、契約内容が変更になります。変更は電話で出来ますが、ご本人が電話口に出る必要がございます」 ・・・「社長ご訪問」のドタバタをまた繰り返し、KDDIに電話しご本人を電話口に、その後は代理人(私)が契約変更の説明を延~々~と受け、「では新しいアダプターを転居先のご住所にお送りします」。 ホッ。としたのも束の間、「アダプターお受け取りの際は、運転免許証か、顔写真付きマイナンバーカードが必要です」「そこにお客様の新住所が記載されていないと、受け取りが不可能となります」   な・ん・で・す・とっ?!😵 どっちも持ってないんですが、うちの社長。「作

ドタバタ遠距離介護(5)「引っ越し終了」

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ドタ遠 (4)「生保申請」の続きです。   怒涛の引っ越しも、無事終了。新しいお部屋に、天然母も大満足のご様子。😃   ああ、よかったよかった。ちょっと一息いれました。🍵🍡   でもやることは、まだまだまだまだの、テンコ盛り! 特に手続き関係ですが、事務仕事が苦手な私にとっては、人生の一大チャレンジ!(ちょっと大げさ) 生保の手続きは一段落しましたが、母は成年後見人も必要で、これまた申し立て準備の山!なのです。  そして、引っ越し関係あれこれ。転居届、公共料金、電話の移転、諸々の住所変更。 実家の片付けも、出来るだけ自分でやって、最終的には片付け業者さんにお願いするつもりでしたが、その業者さんも2~30万円かかるという話💦、良さそうなところをいくつか厳選して、更に見積もり比較しないと、ね。   滞在は、すでに残り2週間半。すべてやり終えるには、優先順位を間違えてはいけません。   「えーと、まず団地の引き払いを9月末日にするには、解約手続きは2週間前までに、か。今日は?9月17日。 ・・・!! 今日しなきゃ、でしょ~~~~っ!!!」  💨💨💨 そんな調子で、手に汗握る日々が続きました。(^_^;)   団地の実家は、このように、しばらくのあいだ「高齢者移転事務所」兼「がらくた市」の様相を呈しておりました。   つづく

ドタバタ遠距離介護(4)「生保申請」

ドタ遠(3)「グループホーム」のつづきです。   のっけからドタバタ最高潮でした、帰国初日、の翌日。   朝食後、すぐに生保申請書記入にとりかかりました。   ゴチャゴチャのテーブルの上を片付け、きれいに拭いて、用紙を広げ、 青い ボールペンを手に取り、・・・おいおいおいちょっと待て、日本は 黒 だよーっ!!💦 ほっほっほっ、何かとスリリング!💦 そうです、ベルギーでは、正式な書類は 青ボールペン で書くのです。   母の略歴、家系図、申請の理由、などなど、すでに下書きしてあったものを何度もチェック。西暦→日本の年号も間違いないかチェック。💢あーーーっ、しまった間違えた! 修正液? 線で消してハンコ? どっちっ?!💦💦 いいや、後で聞こ。   約束の時間午前10時に間に合うよう何とか記入を終え、いざ市役所へ。帰国後2週間の自宅待機期間は市役所に来ないよう初めは言われましたが、結局短時間ならOK、と言うことになりました。   役所といえば決して忘れてはいけないのが、 印鑑 !!!です。これまで何度忘れては青ざめたことでしょう。やっと学んだまっちーこ、ここ数年は帰国の度に印鑑2~3本、どこに行くにも飲み会に行くにも持ち歩いています。ま、その印鑑も、廃止方向なのだそうですね。   さて、生保申請に話を戻しますと、去年(2019年)の帰国時に、生保について初めて相談した女性職員Sさんがその後もずっと担当、初めは柔らかい口調の中にも申請のキビシ~イ道のりを感じさせるお話しがありましたが、ケアマネが間に入り話が具体的になってからは、常に親身で協力的な対応を頂きました。申請が通ったあとはケースワーカーが担当となり、Sさんとはこの日までということで、お互いに別れを惜しむような感じさえありました。💓   「審議の結果は2週間後」と言うことでしたが、大丈夫!と、根拠のない確信に満ちて、市役所を後にしました。     団地に戻り、昼食後は、その翌朝に控えた母の家具類引っ越し準備へ。💪   グループホームのお部屋は6畳ほど、ベッドは備え付けなので、持って行くものはそう多くなく、テレビ、小タンス、洋服ハンガーラック、衣装ケース、小テーブル×2、クッション、寝具、その他、といったところ。それでも半日もない時間での準備となると、ヘヴィ

ドタバタ遠距離介護(3)「グループホーム」

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ドタ遠(2)「いざ母の元へ」のつづきです。     さて、黒塗りハイヤーで実家の団地に到着した、VIPまっちーこは、・・・   「あらー、いらっしゃーい💕」   と、相変わらずノーテンキな天然母のお出迎えを受け、スーツケースを家の中に引きずりこむと、一息つく暇もなく銀行へ!💨 翌日の生保申請時に母の所持金が6万円以下である必要があり、グループホームへの初期費用を引けば、ちょうどそういう金額になる、これも、全くの偶然ラッキー✨でした!   団地敷地内の銀行で初期費用を振り込み、スーパーでお昼のおにぎり🍙を買って戻り、母にとっては団地での最後の食事、でしたが、感慨にふけってるヒマもなく、昼食後すぐにタクシーを呼び(母腰痛で歩行困難だったため)二人でグループホームへ!   コロナで入居者の家族も面会不可となっていましたが、私は入居契約と引っ越しに際してなので特別に、マスクとフェイスシールドをして建物内へ。グループホームは2階で、母の部屋は、何と角部屋で窓が二つ! おお、またしてもラッキー✨! ベッドは備えつきなので、母の身柄(!)はその日からそこで、家具の引っ越しは翌々日に予定し、業者は既に帰国前に頼んでありました。   延々と続くグループホーム契約事項の説明を受け、署名とハンコをこれでもか!と押しまくり、ようやく晴れて契約完了! 母を残して私はバスで団地へ。 「慣れるまではちょっとかかるでしょう」 「でしょうね、団地には54年住んでましたから」     と所長さんとも話しましたが、数日後に聞いた話では、 「初めだけちょっと戸惑っておられましたが、2分後にはすっかり慣れ、もう長く住んでいる人みたいですよ!」と所長さん!      何と、あっ晴れ!な、切り替えの早さ!      「健康と幸せの天才」我が天然母の辞書に、「執着」と言う文字はない。😄👏        滞在初日、うちの中はこんな感じで、ごちゃごちゃ。😨    引越し、家の引き払い、手続きすべて、果たして3週間弱の滞在で出来るのかー?!        つづく😰