ふしぎ体験(11)「スマトラ島にて③最終回」

ふしぎ体験(10)「スマトラ島にて②」のつづきです。

 

そして、この「過去生体験」は、それ以上深追いすることもなく、そのままになっていました。

 

そして、2008年のこと。

 

ベルギーに移住してから8年が経ち生活には慣れたものの、40代半ばだった私は若いころのように無理が効かなくなってきており、身体中を連鎖反応のように壊した時期でもありました。

翌年の2009年にはノルマンディー・ふしぎ体験もあり、ちょうど人生の転機に来ていたようです。

 

さて、2008年。ふと、また過去生体験を思い出し、よく分からないままだった「自然を敬え」が、気になり始めました。

 

これは、「傲慢になるな」より、もっともっと深いメッセージなのではないか?

 

スマトラ島での私は、自然と共に生きていたはずだった。いったい、どんな自然を敬っていなかったというのだろう?

 

・・・。

 

自分、だ。

 

最も身近な自然の一部、自分!

 

自分を、在るがままの自分を、ダメな自分を、過ちをおかす自分を、 最低の自分を、ゆるし、認め、更には敬いなさい、と言うことだったんだ!


それがしっかり出来れば、自然の法則である「すべてとの調和」が、自ずと整いますよ、と!

 

人は脳が発達して自意識が芽生え、「私は何故生きているのか?」「私は存在に値するのか?」など考えるようになり、自分で自分を認めるのが難しく、他人に認めてもらおうとするようになった。

 

だからいつも自分をチェックし、完璧に近づこうとし、歳を取ることも、病気になることも、失敗することも、出来ていたことが出来なくなるのも許せない。

 

でもそれが他の人なら、例えば親友なら、歳を取っても何が出来なくなっても親友としての価値はまるで変わらないのに、 それが自分だと変わってしまう。

 

親友なら、例え彼(彼女)がスマトラ島の私のような過ちを犯したとしても、「自分を責めつくして自殺しなさい」なんて間違っても言わないはず!

 

自分を親友のように、ゆるし、認め、敬えばよかった。それこそが自然な在り方で、「自然を敬え」は、きっとそのことだったんだ!

 

自然に在れば、すべてとの調和は自ずと蘇り、超自意識過剰な私も固執から解き放たれ、真実が見え、正直になれ、深い感謝と共に揺るぎない調和の世界を築いていくことができたろう。

 

そしてそれこそが、真の「償い」なのかもしれない! 今生でそれをやろうよ、と言うことなんだ!

 

 

・・・そんな「気づき」を得た、2008年。 


その時初めてスマトラ島について検索し、写真画像を見てみました。


「シピソピソの滝」という名所があり、その写真を見ました。


過去生体験のクライマックスで見た、反対側の山からみた滝の映像と、全く、と言っていいほど、同じでした。

 

 

 完🌈

 

 

 


<a href="https://pixabay.com/photos/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=1082107">Free-Photos</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=1082107">Pixabay</a>からの画像

 

 

 

 

コメント

mayulele5285 さんのコメント…
自分を赦し 認め 敬う
凄いしかありません
まっちーこは宇宙そのもの
そして 私もまた同じ
ありがとうございます
少し 吹っ切れました
まっちーこ さんの投稿…
mayuleleさん、コメントありがとうございます!
「我即宇宙」「宇宙即我」
自分を敬わずして宇宙を敬うことは出来ない、ということですかね。
お互い今夜は、自分様に乾杯!と行きますか!

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