レイキと私(5)「障碍者自立支援」

ベルギーに引っ越す前、日本で暮らしていた最後の5年くらいは、そういう訳でキューバ音楽と障碍者自立支援にどっぷり関わり、その二つで生計を立てていました。

 

この障碍者自立支援はどういうものだったか、と言いますと、

 

障碍者、特に重度の方々は、親が介護できなくなってからは施設に行くという選択肢しかない、これを変えよう! というものでした。住み慣れた地域で自立生活をしたり、仕事したり結婚して家庭を持ったり、在宅介助の制度さえ整えば、それが可能になるわけです。

 

この自立支援運動の先駆者たちであるツワモノ重度障碍者の方々は、自ら外に出てビラを配り、自力でボランティアを探して自立生活を試みてきました。

が、それは相当なパワーと他人を惹きつける力を持った一握りの人にしかできないことです。また、ボランティアでとなると介助者も長時間・長期間は難しい。怪我をしても何の保証もないとあっては、続けられず去っていく人も後を絶たず。


そこで彼らは自治体に対して運動を起こし、少しずつ成果を出していきました。

自立障碍者はもちろん、重度障碍児の親御さんの負担を軽くするためにも、在宅介助が仕事として認められるようになっていったのです。

 

そのような訳で初めの数年はボランティアで関わっていた私も、資格はなくとも経験が物を言い、自治体の「推薦登録ヘルパー」として有償で介助ができるようになったのでした。

 

が、1998~9年頃のこと。

当時、介護保険導入に伴い「推薦登録ヘルパー制度」は廃止されることになり、介助を続けたいならヘルパー2級資格を取る必要が出てきました。

また、折しもバブル崩壊で、キューバ音楽バンドの仕事も減っていきました。


日本にいても、仕事の事を考え直さないといけない。

両親も当時はまだ元気でした。

ベルギーに行ってやり直しても良いかもしれない!と思ったわけです。

 

介護系の仕事はベルギーでもできるだろう。キューバ音楽をやる仲間も見つかるだろう。

指導員資格があるから太極拳を教えられるかも。お餞別に先生から教えて頂いた気功治療もやれるかも。

 

と楽天的にベルギーに行っちゃったんですが、

キビシ~イ現実が待っていました!!!

 

いやはや、なかなかレイキの話に繋がりませんが、💦

 

 

つづく~~ 

 

 



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