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ふしぎ体験(12)「番外編」

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この度「人生二大ふしぎ体験」を改めて振り返り、敢えてブログに書いて見ましたのは、1月10日の記事、覚醒体験後(18)「在りたい自分??」、           ↓ https://yorochumacchi-ko.blogspot.com/2021/01/18_10.html   「在りたい自分」ですね。これをハッキリさせましょう!という目的がありました。   書いている最中、   ふしぎ体験→大きな気づきから、なに?!もう10年以上経ってるつーのに、全然進歩が、・・・おっとー!!、またしても自己ジャッジの悪癖が蘇ったり💦。   過去生については心の整理がとっくについていると思っていたら、書きながら震え出したり涙が出てきたり、感想を寄せてくれた読者の方(心の友人でもある)の愛情溢れる言葉にまた涙したり。心があらためて浄化し、やっと重荷を手放すことができなような。   まあこのように、🐢よりも遅い歩みで、高校時代の下校時よりフラフラ寄り道しつつも、確実に着実に前進中ではないか、と!👍👍👍     そして「在りたい自分」も、ここへ来て更に明確になってきました。✨ 3日ほど前に、わーっと浮かんできた言葉を、以下シェアさせて頂きたいと思います。m(__)m       在りたい自分は、既にそうである自分。宇宙の一部、であること。   それ以上でも以下でもない自分を、宇宙にただ明け渡せば、恐れ、不安、疑いは自ずと消えて行く。 すべてと一つであることをいつも思い出せば、本来の自分が蘇る。   その本質であるところの、愛で在りつづけ、愛を伝え、愛を広げるためだけに生きよう。 それがまったく出来ない自分にこそ、最上の愛を捧げよう。   軽やかな心で、上昇下降を繰り返す人生の波に乗り、気付き、出会い、思わぬ展開を楽しみ、 心配せずに信頼し、「今ここ」を味わい、日々の小さなことを慈しめば、   限りなく豊かな最高の人生を、私はもう送っている。         <a href="https://pixabay.com/photos/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=1023340"

ふしぎ体験(11)「スマトラ島にて③最終回」

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ふしぎ体験(10)「スマトラ島にて②」のつづきです。   そして、この「過去生体験」は、それ以上深追いすることもなく、そのままになっていました。   そして、2008年のこと。   ベルギーに移住してから8年が経ち生活には慣れたものの、40代半ばだった私は若いころのように無理が効かなくなってきており、身体中を連鎖反応のように壊した時期でもありました。 翌年の2009年にはノルマンディー・ふしぎ体験もあり、ちょうど人生の転機に来ていたようです。   さて、2008年。ふと、また過去生体験を思い出し、よく分からないままだった「自然を敬え」が、気になり始めました。   これは、「傲慢になるな」より、もっともっと深いメッセージなのではないか?   スマトラ島での私は、自然と共に生きていたはずだった。いったい、どんな自然を敬っていなかったというのだろう?   ・・・。   自分、だ。   最も身近な自然の一部、自分!   自分を、在るがままの自分を、ダメな自分を、過ちをおかす自分を、 最低の自分を、ゆるし、認め、更には敬いなさい、と言うことだったんだ! それがしっかり出来れば、自然の法則である「すべてとの調和」が、自ずと整いますよ、と!   人は脳が発達して自意識が芽生え、「私は何故生きているのか?」「私は存在に値するのか?」など考えるようになり、自分で自分を認めるのが難しく、他人に認めてもらおうとするようになった。   だからいつも自分をチェックし、完璧に近づこうとし、歳を取ることも、病気になることも、失敗することも、出来ていたことが出来なくなるのも許せない。   でもそれが他の人なら、例えば親友なら、歳を取っても何が出来なくなっても親友としての価値はまるで変わらないのに、 それが自分だと変わってしまう。   親友なら、例え彼(彼女)がスマトラ島の私のような過ちを犯したとしても、「自分を責めつくして自殺しなさい」なんて間違っても言わないはず!   自分を親友のように、ゆるし、認め、敬えばよかった。それこそが自然な在り方で、「自然を敬え」は、きっとそのことだったんだ!   自然に在れば、すべてとの調和は自ずと蘇り、超自意識過剰な私も固執から解き放たれ、真実が見え、正直になれ、深い感謝と共に揺るぎない調和の世界を築いていくことができたろう。   そしてそれこそが、真の「償い」な

ふしぎ体験(10)「スマトラ島にて②」

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 ふしぎ体験(9)「スマトラ島にて①」のつづきです。   ところが遂に大失敗! 私のいいかげんな「予言」がもとで、一人の子供が、なんと死に至ってしまう!   ・・・しかし、どういうわけだろう?! そんな事態にもかかわらず、人々は私にとってあまりにも都合のいい解釈をし、私を信頼し続けるのだ!!   どうしたらいい? 先に進めなくなってしまった。正直に話す? これまでついた嘘をすべて? 自分の罪は自分で被ろう、でも人々の怒りは、私の家族にまで及びはしないか? 食事も喉を通らず、誰にもこの葛藤を打ち明けられず、ますます痩せ細っていく。 「病気かい? 早く良くなっておくれ」「あの薬草が良いよ。私が取って来て上げる」みんなが心配し、励ましてくれる。つらい。非難され憎まれたほうがどんなに楽か。   恋人とはすでに別れている。こんな嘘と邪心にまみれた心の暗闇に、透明な光に満ちた彼を引きこみたくなかった。理由も分からず突き放された彼の悲しい顔が、いつまでも脳裏に焼き付いている。   そして私が選んだ道は、誰にも何も話さず、閉ざした心を罪悪感と自己非難で埋め尽くし、 身体は栄養失調と衰弱に任せて、じわじわと死んでいくことだった。 なかなか簡単に死に至るものではなく、沈痛な年月が流れる。 ある日、フラフラの身体を押して、吸い寄せられるように山に登る。 やっとの思いで頂上にたどり着き、向かいの山の見事な滝が見渡せる、大好きな風景をもう一度目の当たりにしたとき、   天から? 大地から? 心の奥底から? 大きな声が聞こえ、圧倒される。   その声が放った言葉は、「自然を敬え」。   そのまま二度と村に戻らず、山で孤独の死を迎える。 午後の太陽の黄色い光に、やっと吸い込んでもらえるような気がした。     以上が、 CDの誘導による私の過去生体験でした。   体験中、指や手足が勝手に、特に手の指が盛んに動きました。   「なんでこんなに指が動くんだ?」とか、「誰かがドアのブザーを鳴らすと困るな」とか、意識は現実の世界にもあり、眠りの状態ではありませんでした。   スマトラ島に関しては、今まで特に関心を持ったこともなかったので、驚きました。これは本当に過去生の記憶なのか、単なる空想の産物なのか?   自分としてはその問いはあまり重要ではなく、ただこの話が自分の深い内面の性質を怖いほど的確に言い

ふしぎ体験(9)「スマトラ島にて①」

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「ノルマンディーにて」シリーズが終了しましたところで、   私がこれまでに遭遇した、2大ふしぎ体験のもうひとつを、続けてお話しさせて頂こうと思います。m(__)m   それは、「スマトラ島にて」起こりました。 とはいえ、私はスマトラ島に行ったことはないのです。今生では。 はい。このシリーズは、私の過去世体験でございます。     1995年頃、まだ日本に住んでいた時のこと。 友人が、「過去世体験」というCDを貸してくれました。そのCDの誘導に従うと、催眠状態となり、前世ないし過去生が蘇る、というのです。   まったくの興味本位でやってみましたところ、以下のような、鮮烈なイメージと物語が浮かんできてしまいました!   子供時代。足元を見ると、はだし。   足の裏がとても硬くて頑丈なのが、自慢。 褐色の肌、引き締まった身体、漆黒の髪。小柄で痩せっぽちながら大変な働き者の少女、それが私。   大自然と人々と調和しながら、日々汗を流して働き、困っている人がいれば助け、みんなが幸せになるように知恵を出し行動するのが何よりの喜び。  愛情あふれる家庭。優しい村人たち。美しい自然に囲まれたのどかな村。 森に行くといつも出会う、派手な色の鳥が一番の友達。   一風変わった子供である私には、予知能力のようなものが備わっており、それで村人たちの問題を解決することが多く、みんなに慕われ大事にされている。 早く大人になって、もっともっと人々に、村に貢献したい。   私が住んでいるところは? スマトラ島。   17歳。恋人が出来る。瞳に深い優しさをたたえた青年。私の人生の中で最も輝いた年。 しかしその後、ようやく大人になろうとする私に、これまでの調和をくつがえす異変が起こる。 17歳をピークに、予知能力が衰えて行くのである。   そうとは知らず相談に来る村人たちに、正直なことを言えず当てずっぽうな予言・助言をしてしまう。 まぐれで当たったり、当たらずとも遠からずだったり。誰も自分を疑わない。   調子に乗ってそのまま「うそ」を通す。曖昧で意味深長なことを言えば、人々が後で辻褄が合うように解釈してくれることが分かり、その手を使い続ける。   ところが遂に大失敗! 私のいいかげんな「予言」がもとで、一人の子供が、なんと死に至ってしまう!     つづく    <a href="h

ふしぎ体験(8)「ノルマンディーにて⑧最終回」

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ふしぎ体験(7)「ノルマンディーにて⑦」のつづきです。   「どちらでもいいですよ! お好きなほうで、ね!」     ・・・その後も普段の生活では、彼の事を忘れていることがほとんどです。   ごくたまに思い出しても、・・・ええと、ジェームスさん? 健太郎?  「お好きなほうで」と言われても、ねえ。まどろこしいので、 ジェームスの愛称ジミーと健太郎をミックスして「ジミケン」と呼ぶことにしました!   呼称は決まったものの、ジミケンとの「交信」は、その後は全く!と言っていいほどありません。   実は私は昔から、弟の魂は自分に同化している? ような気がしていました。一つの身体に、二つの魂が入ることも良くあるのだとか。   皆さま私の文章を読んですでにお気づきかもしれませんが、私はどうも考え方・感じ方が女性より男性に近いところがあり、外側から見てもわかるらしく、少年っぽいだの中性的だの、よく言われます。  弟が同化しているのだとしたら、あの時あえて分離して登場したことになりますね。何のために?「己の深い魂の声」を聞くために? そして再び自分に同化しているのだとしたら、ほとんど思い出さないというのも理にかなっている?   まあ、ヘンな人のヘンな考え、と思って読み流してください。💦  あ?ここまで続けて読んでくださっているということは、あなたさまもちょっと変人?😄   ・・・さてここで、後日談です。   2015年9月、再びノルマンディーを訪れ、同じホテルに泊まりました。因みに私のではなく、夫のアイディアです。   また何か起こるかな??と思っていたら、20部屋ほどある中から、また前回と同じ部屋に通されました。  「6年前もこちらに来たのですが、その時も同じ部屋でしたよ」とホテルの人に言ったところ、「へえ、そうですか! ああ、あの部屋がある棟はね、来月から大改装することになっているんです。丁度その直前でしたね」   前回2009年の訪問時は曇りがちで肌寒く、アロマンシェ海岸「ゴールドビーチ」はD-DAYに思いを馳せるに相応しい、閑散とした雰囲気でした。 2015年の訪問時は素晴らしいお天気で🌞、ビーチは海水浴客で賑わい、同じ海岸とは思えないほど明るく楽しい雰囲気でした。   ノルマンディー滞在後、フランス・ベルギー国境付近の街に立ち寄り一泊。その時のホテルも20部屋ほどあ

ふしぎ体験(7)「ノルマンディーにて⑦」

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ふしぎ体験(6)「ノルマンディーにて⑥」のつづきです。   普段の生活では、ジェームスさんの事をすっかり忘れていることがほとんどでした。 そしてその2年後の、2011年10月9日。   父が亡くなって 丁度10年を迎えたこの日、私は日本一時帰国の途につきました。 フライトは、ブリティッシュ・エアウェイズのロンドン経由。イギリスと言うことでジェームスさんを思い出し、「お、まるで一緒に行くみたい! 楽しいー♪」。 実家に到着し、母の元気な笑顔に迎えられ、まずは父の遺影にご挨拶。すると、遺影の前に見覚えのある押し花が!    母はジェームスさんからのプレゼントを大切に、そして毎日、父と共に彼にもご挨拶したり話しかけている、と言うことだったのです!   家族に恵まれなかった、と言っていたジェームスさんは、母親の愛情に憧れているのだろう、と思っていました。 母が、直接会った私よりずっと、彼を大切な身近な存在として扱っていることを、きっとジェームスさんは喜んでくれているに違いない!と、私も胸が熱くなりました。     ・・・そして、その年(2011年)の暮れのこと。   腰痛防止体操をした後、そのままゴロンとしてボケーっとしていた私は、ふと!ジェームスさんの気配を感じました。   彼は、にこにこ😊しながら、こう言いました。   「どうして私が、あなたのお父さんと出会ったと思います?」  「ああ、そうでしたね、ジェームスさん! そのことを『いずれお話しします』とおっしゃっていましたね!」   父が親しくしていたあるご家族の、まだ小さいお嬢さんが霊視能力があるということで、父の他界後、彼女のバレエの発表会に父はロシア人など40人くらい連れてきた!という話を聞いたことがありました。 へえ!父は天国で国籍も超え色んな人と関わっているのか!と、その時とても愉快に思ったのですが、ではジェームスさんとはどういう経緯で知り合ったのか、大変興味をそそられるところでした!   「私はね、まっちーこさん。日本に生まれ変わろうと思ったことがあるんですよ」   ・・・息の根が止まるかと思うほど、驚きました。   「健太郎?!」   母は、私を産んだ2年後に男の子を出産しましたが、残念ながら死産でした。 「健太郎」という名前が、彼に用意されていました。   「・・・本当に?! ジェームスさん、 それ、本

ふしぎ体験(6)「ノルマンディーにて⑥」

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ふしぎ体験(5)「ノルマンディーにて⑤」のつづきです。   魂の存在そのものが、愛。 どんな存在も特別ではないのです。そして、だから美しいのです。 これらは、それまでの私には、全くなかった発想でした。   翌日。   ベルギーに戻る前に、海岸に沿って、同じく上陸作戦の舞台となったオマハビーチとユタビーチの間にある、オック岬に行きました。   そこにはドイツ軍の基地があったそうで、連合軍の爆撃に遭い巨大な穴が地面のあちこちに、今もそのまま残っています。穴の間を歩き、辺りにころがっている基地の残骸を見ながら、当時の様子を思い浮かべました。 「敵、って何なんでしょうね?」   昨夜会ったジェームスさんが、また話しかけてきたようでした。   殺風景としか言いようのない岬に、ふと薄紫色の一輪の花を見つけました。直径3センチほど、5つの花びらを思い切り広げている見たことのない花が、ひとつだけぽつんと咲いている。   「お母さんに、あげてください」   ジェームスさんがそう言ったような気がしたので、花を摘んで、押し花にして持ち帰りました。   母には電話やメールでジェームスさんの話をしました。母は大変興味を持って聞いてくれました。 母以外にも、機会があるごとに、多くの人にこの話をしました。   夫にはしていません。😅 ジェームスさんの言う通り、彼はこの手の話は信じないし受け付けないのです。が、本人に自覚はなくともジェームスさんの言うことを感じ取って行動した、ということですから、それで良いのだろうと思っています。   押し花は、数か月後にベルギーに遊びに来た母に、直接手渡しました。 「ジェームスさんから」と言って渡したとき、母がちょっと怪訝な顔をしたような気がしました。興味を持ってくれたとはいえ、霊からのプレゼントなんてやっぱり気持ち悪い、と思ったかな? ジェームスさん、がっかりしたかな?   「魂の存在そのものが、愛」 「どんな存在も特別ではない。そして、だから美しい」   彼から教わったこの二つの事は、その後もふと思い出しては、味わい咀嚼しました。   が、普段の生活では、ジェームスさんのことをすっかり忘れていることがほとんどでした。     つづく      オック岬